スレッド「日本のカースト制度」より。
引用:Reddit
(海外の反応)
1
万国アノニマスさん

日本のカースト制度
これは日本が近代化した1871年に廃止されている
これは日本が近代化した1871年に廃止されている
2
万国アノニマスさん

これは興味深いな、商人が農民の下だなんて
3
万国アノニマスさん

天皇は天界の超人みたいな扱いだよ
4
万国アノニマスさん

最下層は何も生み出さないから最下層か
一方で大名は身を潜めて静かにしていた
一方で大名は身を潜めて静かにしていた
↑
万国アノニマスさん
トリクルダウン経済だな
600年前はちゃんと機能してたんだね
5
万国アノニマスさん

上流階級だって独自に何かを生み出してたわけじゃないでしょ
6
万国アノニマスさん
最下層だって仕事を生み出してるじゃないか!
7
万国アノニマスさん

商人は文字通り経済の中核だけど何も生み出してないって扱いだったの?
↑
万国アノニマスさん

仲介業者なんていつでもカット出来るだろ
8
万国アノニマスさん
サムライは上流階級だけど独占的なものではない
金のある商人や農民は基本的に武士の身分を”買う”ことが出来た
あと大名はヒエラルキー的には将軍の下の階級で
徳川時代の大名は将軍に忠誠を従わないといけないけど
現実には薩摩のように将軍に匹敵する権力を持った大名は何人かいた

サムライは上流階級だけど独占的なものではない
金のある商人や農民は基本的に武士の身分を”買う”ことが出来た
あと大名はヒエラルキー的には将軍の下の階級で
徳川時代の大名は将軍に忠誠を従わないといけないけど
現実には薩摩のように将軍に匹敵する権力を持った大名は何人かいた
9
万国アノニマスさん
無知な質問なんだけど何で天皇には権力が無かったんだ?
現代の国王や女王みたいに力のない元首で、首相が動かしてるようなもん?

無知な質問なんだけど何で天皇には権力が無かったんだ?
現代の国王や女王みたいに力のない元首で、首相が動かしてるようなもん?
10
万国アノニマスさん
チャートにも載ってない更に下層の階級もいる
死んだ動物や人間の死体を処理するグループね

チャートにも載ってない更に下層の階級もいる
死んだ動物や人間の死体を処理するグループね
11
万国アノニマスさん
僧侶はどこ?

僧侶はどこ?
↑
万国アノニマスさん

僧侶や尼は社会構造の外にいる存在
低い身分でも穢れた存在でもない、社会に属してないんだ
しかし歴史的には軍事力を持っていたこともある
低い身分でも穢れた存在でもない、社会に属してないんだ
しかし歴史的には軍事力を持っていたこともある
12
万国アノニマスさん
二次元嫁はどこだよ

二次元嫁はどこだよ
↑
万国アノニマスさん

生産的な人を非生産的にするから商人の下かな
13
万国アノニマスさん
忍者、ヤクザ、芸者はどこに入るんだろう

忍者、ヤクザ、芸者はどこに入るんだろう
14
万国アノニマスさん
将軍と天皇はそれぞれの立場で何してたんだ
将軍が真の支配者だったら天皇は単なる称号?

将軍と天皇はそれぞれの立場で何してたんだ
将軍が真の支配者だったら天皇は単なる称号?
15
万国アノニマスさん
相撲取りはどこに入るんだい?

相撲取りはどこに入るんだい?
↑
万国アノニマスさん

相撲レスラーは有名なアスリートみたいなもん
実際には権力構造の中にはいない
実際には権力構造の中にはいない
16
万国アノニマスさん

自分では何も生み出さない奴らをまた最下層に戻せないか?
ウォール街のトレーダーや銀行家や投資会社のことな
17
万国アノニマスさん
商人が一番下ってのが凄いね

商人が一番下ってのが凄いね
18
万国アノニマスさん
18世紀までには武士は戦士というより官僚のようになっていた
あと商人が最底辺ってわけじゃないよ

18世紀までには武士は戦士というより官僚のようになっていた
あと商人が最底辺ってわけじゃないよ
19
万国アノニマスさん

”廃止”されたかもしれないが階級は残ってると賭けてもいい
エリート支配者層、富裕層の地主やビジネスマン、職人、商人といった感じで
エリート支配者層、富裕層の地主やビジネスマン、職人、商人といった感じで
20
万国アノニマスさん
これでも資本主義よりはマシな気がしてくるよ(笑)

これでも資本主義よりはマシな気がしてくるよ(笑)
コメント ※httpや特定の単語をNGワードに設定しております。また、不適切と管理人が判断したコメントは削除致します。ご了承下さい。
コメント一覧
1990年代から近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や、私たちが教えられてきたような上下関係がなかったことが明らかになりました。といっても、江戸時代が身分制社会であったことには変わりはないので、その点は注意が必要です。
支配層となる「武士」以外は、農村に住む「百姓」と、主に城下町に暮らす「町人」という形で居住地によって区分されていました。職業によって分けられていたわけではないのです。
百姓と町人の間には序列を設けていなかったので両者の間に上下関係は存在しませんでした。
研究成果を受けて、2000年代には文部科学省の検定済教科書から士農工商という言葉は削除され、それと同時に明治時代から使われてきた「四民平等」という言葉も必然的に教科書から削除されました。
シャイロックのように金融業が蔑まれていたのは珍しくない。
一般階級の外にある被差別集団の存在も、ユダヤ、ロマ(ジプシー)、インディアン、モルモン教徒と、挙げだせばキリがない
その武士も坂本龍馬しかり藩士の身分を金で買えてたし
と言うか最近じゃ教科書からも士農工商の文字は消えてるらしいけど
士、その他、賤民、ヒエラルキー外(公家、僧侶)ぐらいのもん
「四民平等」は明治時代の歴史的スローガンなわけだから削除するのはいかがなものかと思うが
なお、日本の士農工商は明治政府のプロガンダ 江戸時代ダダメだった、明治新政府はスバラシイ でもあるから誇張してるね。
士、とその他・・・農、工、商 その他のグループでは結婚もまあ自由だし、職替えもOK、但し、商家、仲買い、卸しは「株」が必要だった
みんな歴史に詳しいから良いハゲになるための的確ななアドバイス欲しいわ。
尊王攘夷も実は同じくチャイナの概念
穢x x多は 仏教の影響で屠殺が必要な、牛、馬の皮を使った職業を任されてたって面もある、馬具、武具ね。と、行灯の燈心の独占販売
非x、x人は牢獄とか、溜 罪人の病人の治療施設 の仕事とかね 非x、x人 頭ってもいた。
穢x x多、非x、x人、の頭の浅草弾左衛門は帯刀も許されてて、明治になってからは蓄財で靴工場を作って軍靴の納品で儲けた
でもそれは話に聞くカースト制度とは異なるもの
日本でもm金を扱う仕事は卑しいとか穢らわしいイメージが強いため、後ろ盾として寺社なんかがついたりしていた。
金貸しで有名なのは土倉(質屋)や酒屋。大名貸しの大商人とかか。メクラなどが救済措置として特権を与えられやっていたりもあった。
鎖国も西洋人の発想を逆輸入したものだしね。
コンプライアンスとかSDGsみたいなもんで、新しいことを始める際に、外国由来の言葉や思想を持ち出して権威にしたかったのだと思う。
扇子にちょうちょ乗せててふてふとか言って
外国人は力がなくて大人しくしてたと勘違いしてるけど
それを目指した社会主義、共産主義の崩壊を見ても明らか
食べ物は国の根幹であることは間違いないけど。
8のコメにもあるが”特別な仕事”には藩や幕府の免状や株が必要だった。免状には付帯する様々な義務や特権があり、その一部に力士は浪人と見做すというものがあった。というのも、力士は祭などの「神事」に必須だったので藩や幕府が家来として雇用したため「雇用されてない力士」は「まだ役職をもらえていない武士」つまり「浪人」と同じであるという扱いを受けることになった。浪人であっても武士は武士なので当然浪人は帯刀は許可されたので力士も帯刀が許されることになった。※厳密にはおかしな論理だが力士は当時のスーパーヒーローなので些末なことである。
17世紀の後半から、日本は,完全に,貨幣経済に移行している。
(西暦1601年~1700年までの100年間)
・東日本は、金貨が流通
・西日本は、銀貨が流通
西日本(大阪)では,米問屋(堂島米会所 )が先物取引をおこなっていた。
外国由来のものが権威を持つようになったのってもっと後 知識として有用とは思っても当時の日本で使う人間に権威がないと相手にされない、なんせ中世の封建社会ですから
士農工商(Four occupations)
身分制は嘘です。
・実際には、完全な自由主義経済です。
・銀行もあった。
・収入の少ない侍たちは、商人たちから,莫大な借金を負っていた。
・当時、権力を握っていたのは商人です。
・商人の中には、三井家などもいた。
・三井家は,のちに,財閥の大商人となる。
身分が金で買える時点で誰が1位か無知でもわかる
それはそれでかなり偏った考え方だと思うけどな 皇家の権威がないと普通に正当性を失って国が割れる時代だしな 公家にしても役職を持って働いてた有能な人達もいるし、どの身分でも人によるのは現代と変わらないと思うぞ 無能な上司もいれば有能な上司もいる、使えない部下もいれば有能すぎる部下もいる
と言うよりは、商人がわざと遜ってた
武士や百姓より裕福で妬まれないように
士農工商は支配者側から見た物じゃなく、町人側から見た世渡りの為のカーストらしき物でしかない
そしてその最下層は何故だか日本になっているらしい
えぇ!?俺ずっと商人が下だと思ってたー!!救ってー!頼む!救ってくれー!!
というか金を汚いものとする価値観は洋の東西を問わず中世の封建社会では見られるものだが、重商主義をとった田沼意次みたいな人とその有用性に気づく上層部がいなかったら江戸時代は途中で傾いてるよねって思う
売る奴がいないと成立しないんでちょっと間違い
あれも結局は「他人の金や成果物で商売して儲ける、自分では何も作り出さない層」として、ユダヤ商人に対する侮蔑や嫉妬なんかが元になってる話やん
当時としては他人の金で商売やってる金融業とか、それなりに嫌われて見下されていたってのは、知られている話やと思ってたわ
別段、アジアの儒教的精神とかじゃなくとも、歴史的に見て過去には商業に対する偏見が強かった時代なんて当たり前やと
悲しい、悔しい
武士は農民と親和性がある
半士半農はあっても半士半商はあんまり聞かないし
まあ江戸時代だと傘張りしてる浪人くらいはいるけど
>>1
李氏朝セン(Korea)
朝センは、完全な,官僚国家でした。
・地方を治めているのは,科挙官僚の、両班(Yangban)
・両班(Yangban)は、任期を終えると,都のソウル(Seoul)へ戻るので、土地に愛着は持っていない。
・両班(Yangban)は、平民から,絞り上げるだけで、開発など一切おこなわない。
“日本さん”を無理やりエキゾチいいいック(タメて)ジャペンと定義したがるんが
彼らヒロミゴーの悪いクセだわ
仮に件の士農工商って括りが大いに謳われてたとしてもさ
カネちからで世俗をブイブイ生きている商家への水飲みファーマー連が抱く怨嗟
そのガス抜きみたいなもんじゃんね桔梗屋さん描写で理解してたわ小学生の時分に
やっぱり弥生さんいいわー声も吉田理保子だし最強だろ!?
底辺を底辺に置いたら不満溜まってテロリストだらけになって国が滅んじゃうよ
今も工場とかの労働階級や農民の底辺低学歴を頑張ってる偉いって美化する価値観を押し付けて平和維持してる
今も昔もやってることは変わらないものだ
朱子学(Cheng–Zhu school)
・中華思想の,朱子学には問題点が,ある。
・士農工商は,朱子学の,イデオロギーです。
半士半商の代表格が金上武士や
商人や中間が御家人株買って商売もやめないってのが多々あった
天皇は神官としての役割がある
今もだけど毎日神事をしてる
信心深かった昔はだから「倒そう」とはならなかったし、
源氏や平氏も天皇の血筋を引いてる神聖な存在とされたからこそ武士を掌握出来た
武家社会には戦ってくる武士たちのために祈ってくれる存在が必要なんだよ
偉そうに歴史語りながら下層部のハゲになるための心得も知らん奴ばかりかよ。
準備なしでタイムスリップしちゃって魚売れないハゲになったらお前らのせいだからな。
いや日教組だよ
明治政府やぞ?
まあ江戸時代の思想が儒教が基礎な訳で
地主と小作人とか言うプチ農奴制
アメリカが解体するまでずっと有った
つまり士農工商の農は地主豪農であって、小作人はその他最底辺
更に家庭内でも長男とそれ以外という強烈なカーストも
俺はいいくに作ろう鎌倉幕府の年代が違ったってわかった時にはもう勉強する気失せたわ。不確定の過去の事でマウント取り合ってる奴ら見るとヘソで茶沸かしちゃう。
蕎麦を啜り喰らうのばシェフへの賞賛の証いいいとかさ
こんなんの一人歩き三千万里を止めるヤツはおらんの?頼むでしかしい
キリは地下家と呼ばれる昇殿が認められてない家柄で、明治以降は筆頭クラスの家や功績があった家が華族になれただけで、原則的に士族になった。
昔と今の歴史観の過渡期だったのかな?
こんなんも欧州とおんなじww
その解釈がマルクス主義で汚染されていたのが問題。
まずマルキストを徹底追放すべき。
だからタイムスリップした歴史に詳しいお前らがわかった顔して未来に起きる事を言い当てようとしても間違ってて打ち首にされる可能性が高いから今後妄想する時はそれも考慮に入れろ。
ボトム百姓なら飲み放題だっ
歴史をまともに勉強しないからこういう頭の悪さを平気で露呈できる
実際は、武家の江戸家老や大阪の家老が商人に頭を下げて借金してたわけで
天皇が御所の壁の修理も出せない中、豪遊してた事実上の王は大商人w
というか階級決まってんなら農民が町人に威張り散らしてる話がどこかにあるはずなのにどこにもないしなあ
落語なんかで最大のネタにされるだろ
偉くて貧乏な侍が格好の笑いのネタにされてんだから
級
制
度
??
天皇の絶対的地位とエタヒニン以外は、身分制度としても
階級制度としても、それほど厳格だったとは思わないけど
江戸時代の固定化がそう見えるんだろうね。
末端はその辺の庶民と変わらないぐらい貧乏だったからな
その貧乏だった一人が後の五百円札のおじさん
それを現代の人間がこの順番は農民をおだてるためだとか言い始めただけで根拠はない
あとどうでもいいことだけど天皇が一番上ってのも実力面ではほぼ形骸化しちゃってたよね
無知と無知の知なら後者の方がまともだよ。
食べられるやつと腐りかけの食べられないやつに分けてたって話だよね
食べられない方は町民に恵んでもらってたとかすごい話だ
多分不確定の事柄でマウント取り合う人に刺さったんだろうけどね。お前はどうせ、自分の勉強した歴史が正しいって信じてて他の説を唱える奴に勉強不足と言うタイプだろうな。
下らない奴だよお前は。
商人は無税で利益上げられてたんで商人の(財)力は戦国時代からとんでもないことになってたのよね
年貢を廃止して金銭の形で取るべきという発想になったのは明治になってから
65. 万国あのにますさん 2022年09月28日 10:34 ID:LQf8KskS0
※55
歴史をまともに勉強しないからこういう頭の悪さを平気で露呈できる
ということは、農工商は現代で言う1次2次3次産業みたいな考えかもしれませんね。
格式上「本膳」形式を維持しなければいけなかったからね
実際に食える方の膳部は一汁三菜程度だったとか
「国王や貴族なんて収奪して良いモン食ってるに決まっているだろ!」的な
外国人の一般認識では理解できない話かもしれない
定住してた農民と定住してなかったり農民とは異なる価値観を持つ芸能人などのヒニン
農家などからも丁稚入りしてたやはり農民とは異なる価値観の商人など
それぞれ貧富があって富があればいい暮らしができてた
エタやヒニンの頭は浅草などで大名並みの生活をしてた
暴れん坊将軍でお馴染みの新門辰五郎は侠客でクラスでいえばヒニンでなおかつ江戸を巻き込んだ大喧嘩で人もなくなって前科者でもあるが勝海舟や徳川慶喜とも顔なじみで徳川慶喜の警護を並み居る大名を押しのけて自分でやってる
金貸しと徴税人が金持ってたからって社会的地位も高かったか?
別に違った訳じゃない
幕府の成立の解釈を変えただけだ
それは後半では御用商人に勝手方を任せるっても増えた、で、苗字帯刀をバンバン出してたから。
米でサラリーを貰う(年、3回)が、皆が同時期に換金するので売値が安かった、取り扱ったのは札差し。 でもって、衣服は高いし、武士は新調が基本で、その他、格式にあった季節毎、年齢毎の儀式とか出費も多かった、衣服は庶民なら古着もOK、参勤交代、天下普請、河川の改修などをアサインされた大名は自前でやる・・・ってことで後半では貧乏が加速したので、商人に任せるってことだった 商人はその藩の特産品を一手に独占して、沖出し(藩の外への輸出)で儲けた。 干鰯(ほしか)=イワシから行灯用の油を搾った後のカス、関西の瀬戸内海側、千葉の外房での綿花栽培、漆=高級食器など
マジで無知やぞ
年代を変えたのは幕府の成立の解釈を変えたからで別の事実から変えたわけではない
変わった時にちょっと調べれば間違いと言うのが間違いだとわかるから
小作農も全くの他人は入れず、いい家の嫁を入れたとか頑丈な子が多い血族で賄ってるからこそ惣村ってのが出来上がってたんだし
農は士分の貯金箱であり箔付けに必要な不可分な存在であって、商や工は農を下支えする存在だったんだよ
お金を多く献金すればそれだけいろいろ便宜を図ってもらえたし
名前も名乗れたしな
財政難で名前売ってた時期もあるし
この区分けはわりかし近代に入って適当に区分してるだけで
今も昔も金持ってるやつが一番偉いことに変わりはないよ
古くは植民地支配であり、産業革命での一部資本家による収奪とか
今の新自由主義的格差の要因だと理解。
78. 万国あのにますさん 2022年09月28日 11:08 ID:abL0TEVg0
「国王や貴族なんて収奪して良いモン食ってるに決まっているだろ!」的な
外国人の一般認識では理解できない話かもしれない
いくら士官した侍でも、儲からず。ピンからキリまでだったから。大店の商人に、お金を借りに行っていた事もあるから、頭が上がらず。(もちろん、無礼を働けば、追い出されるし。大店の商人の方が、顔が広いため。一気に話が広がる。)
大昔に歴史科目の先生から聞いた話だから、今と違うかもだが。子供ながら、結局金のある所に、権力が集まるのだなぁっと思った思い出。
必死になって否定しても厳然とした身分制度があったわよw
身分の差で席次や階級の違いや限界が決り違う階級とは結婚も出来ないそんな時代
朱子学ではなく儒学だ
儒学の派生の朱子学は受け継いだにすぎない
あと変なカンマ使用は頭悪く見える
何だァ?てめェ…
職業で身分が決まってたわけじゃないし
大百姓と小作人を農民と一括りにするのがそもそも無理
「日本」って一括りに言うの無茶苦茶無理がある
ちなみに食い逃げダップン悔しい二だヤラセ八百長イカサマ背乗り大将軍羅家康は先祖が元々背乗りで禾歳どひ二ん階級に属してたいわゆるインドの不可触民に近い言わば不可視民(まさに今のアチラ系)みたいな存在で
元祖背乗り系成り済まし羅家康が将軍になった時に同じ階級の仲間で情報源でもあった禾歳どを禾歳たに変えて禾歳たヒ二んを商人よりも下にしたけどこれは不可視民的ならでは逆差,別的つまり特権階級(まったく今のアチラ系と同じ構造)で幕府はこの禾歳たヒ二ん階級に農民や商人の生活を監視させてた秘密警察兼税務署マルサ的な役割させてたってことしって知ってた?
秘密警察やマルサなんかは嫌われて当たり前でこれが後のぶらく差,別に繋がる禾歳たヒ二ん階級の始まり始まり~w
羅家康についてまだ知らない人は『日本人のお名前が調べない羅家康』で調べてみてね😉
普通に花魁などから大店などに身請けされて妾や正妻になってる例もある
山東京伝の奥さんもそう
ただ一族からすればデメリットばかりでメリットがほぼないので猛反対されたというだけ
理解力のない奴はいつでも一番下な
イデオロギーに盲目すぎる人は話の主旨を理解しない文盲になりがち
ちょっと一呼吸置いた方がいい
本当このサイトって何が禁止ワードに引っ掛かるのか書くの大変だわ
まさかダップンのプンの漢字が引っ掛かるとは思ってなかった
しかも同じ文章の場合でも2つに分ければ書き込めたり本当イミフだわ
同心の下で岡っ引きをやってた、お話だが銭形平次なんかがそれ
ヒニンは犯罪の近くで生活していたものも多いために防犯のほうでも活躍してた
すでに書いたが極端な実力者で有名どころだと暴れん坊将軍で有名な新門辰五郎
町火消の親方でもあった
それな。マルクス主義に毒されて意味不明な歴史解釈になってるんだよね。
マルクスは社会発展論を唱えて人類は狩猟採集から徐々に発展していき最後には社会主義になるという理論を唱えたが、実は当時の間違った文化人類学の理論から構築していたのでもはやなんの意味もない主張なんだよね。例えば、マルクは「遊牧」を粗放農業レベルの劣った文化だと考えていたが、現在では遊牧が人類の文化で最後に現れた文化だと判明してる。※遊牧が成立するには穀物・野菜・塩など人間が生きていくために必要な食品と、肉や毛皮など家畜から取れる物資を交換する交易が前提。つまり、十分に農業社会が成熟していなければ遊牧社会は維持できない。
他にも、王政から民主制になって社会主義に進むと主張したが、実際には紀元前には一旦ギリシャやローマなどでは民主制(共和制)になっているなど反例が多すぎる。
彼らの顔をたてとかないと領地経営がなりたたないから
伊能忠敬とか二宮尊徳とか小学校には二宮金治郎の銅像がよく置いてあった
あと韓国人が良く嫌ってる豊臣秀吉も出自は行商や農民あたりだとされてるし
織田信長の正妻の帰蝶の父親は油問屋から大名になった斎藤道三だし
士分になってる元忍者の服部半蔵なんかも出自はおそらく農民ですらない
服部というのは機織りからきてる
弾左衛門相手に非x x人頭が訴訟を起こしてる 配下では無いって、敗訴
なお、歌舞伎役者が弾左衛門の配下では無い、鎌倉幕府の朱印状は無効って訴訟もあった、役者が勝訴、それを祝ったのが助六由縁江戸桜て出し物、ただし、今はその色が薄められてる
弾左衛門はwikiが判り易い
歴史の解釈は人それぞれの部分があるが解釈の定義し直しで歴史が信用できない云々いうのは
人それぞれじゃなくて単なる無知、無知のひけらかしはアホ丸出し
ニートみたいなもんだしな百姓が一番偉いわ
農→貧乏
工→まあまあ
商→金持ち
日本が江戸時代だった頃 ヨーロッパやアメリカではどうだったか 農奴 奴隷制度 それに伴う奴隷売買 植民地支配による搾取等それはそれはご立派な歴史をお持ちでいらっしゃるようだが・・・
それで 士農工商がどうしたって?
仕官できずに食えなくて農民やってた人々も結構多い
江戸なんかだとそういった貧乏侍を浅葱裏なんていって馬鹿にしてた
結局本人の能力や運しだいということ
現実的には農民は常に苦労を強いられていたし
本スレで、外国人たちに荻生徂徠とか紹介して欲しかったな。
プロパガンダによる日本の弱体化はもともとは連合国の方針だった。ここぞと中韓もそれに乗っかってきたが、GHQ的には都合がよかったため自由に歴史を創作させた。
日本人含めた世界にプロパガンダを浸透させ、日本人にも反論できないようにする。その為具体的な政策のひとつとして現在の歪で非合理的な日本の英語教育を創り上げたんだよ。
108. 万国あのにますさん 2022年09月28日 12:04 ID:LQf8KskS0
※75
歴史の解釈は人それぞれの部分があるが解釈の定義し直しで歴史が信用できない云々いうのは
人それぞれじゃなくて単なる無知、無知のひけらかしはアホ丸出し
今日は取引の件で商人の誰々に接待受けたとか日記にちょくちょく出てくる程度には立場あったようだ
江戸時代小氷河期で酷い飢饉だった時のが一番興味深かったけど
実際は農民が下だったろ
反乱や打ちこわしをするのは農民だったんだし
切り捨てごめんなんて大嘘やんだけどね😞💨
仮にも人1人の命だから、たしか3人以上(同階級の者)の目撃者がいて切り捨てるに足る無礼があったことを証明出来なければ、切腹か打ち首か、お家断絶の沙汰が下されたはず?
これくらいしか読んだ事が無いから正しいかどうかは自信無いけどね🥵
違うね。日本が3月決算が多いのは、秋に徴収した年貢米の計算が終わるのが3月だった事に起因してる。
そして、その侍達の給与は米給与だが米商人によって換金される。この換金益には商人には旨味は少ない。
しかし凶作の年もあるので足りない年の米給与分は米商人から借金する。
この借金の利率が高くて、18世紀頃になると、幕閣すら米商人に頭が上がらなくなり、
破綻した藩(普請等の借金)では米商人が資産管財人になり、藩の収支を厳しく管理するようになる。
また出世するかもしれない侍には、その出世の接待費を商人が貸して、侍の出世が商人達の投機対象にもなってた。
江戸時代の武士って公務員だぞ。武士だから身分が高いとかない
というより権益の差配を握ってる武家の役人が偉い そこから権益保護してもらってるからどんなに大店でも代わりになる規模の商人がいるなら頭が上がらん 上でも書いてあるが公家でも武家でも商人でも木っ端が苦労するのは現代と同じ 能力主義や成果主義よりも権威主義的な色が強いのが中世社会 バランスの問題だけどね
違うね。中央集権国家(中央から地方官が任期まで派遣され統治する)では、赴任官は自分の派遣期間まで赴任先で自身の蓄財の為に収奪するんだよ。日本だと平安時代の国司制度がそれ。
この国家制度だと3年分年貢の前徴収とか収奪が横行するので、経済発展は乏しい。
で日本は、各地の世襲領主が統治する体制に移行するけど、この制度では自分の赴任先は永遠に自分の領地のままだから、収奪するよりも殖産興業して収益を上げる方が蓄財出来る事になる。これは武士も騎士も辿って来た過程が同じ。欧州と日本が先進国になれた理由はこれ。
植民地支配というのは、本国で栽培できない商品(消費したい商品、砂糖、ゴム、コーヒー等)を植民地で作る経済体制の事で、全く違う話。
立ち回りによっては被差別階級ですら金持ちになれた
逆に下級武士なんかは貧困の極みって感じの生活していたりもした
当時の天皇家だって金持ちってほどでもなかったりする
江戸時代も300年近くあって、尚且つ武士が権力を握り続けた時代なんだから、天皇も公家も遊んでるだけなら生き延びれないだろ
意外と仕事してた記録あるぞ
もともとは儒学擁護で士農工商、四民に業あり、士農工商=すべての人って意味だったのに
明治政府が江戸時代は悪、新政府が正義ってやりたくて身分制度強調のために広めたってね
今の歴史の教科書だと、武士・町人・百姓になってるね
金が無いと商人と関わらないしな
他人が作った材を右から左に流すだけで儲ける汚い連中
ってイメージなんじゃないかな商人は
今でも投資家はそういう目で見られがちだろ
向こうは奴隷制じゃないが支配で成り立ってたが日本は協力で成り立ってた
エタ頭の弾左衛門も独自の利権を持って強大な力を振るっていたが
鳥羽・伏見の戦いで幕府に協力した功績で配下と共に幕臣になってる
インドのそれと同じだとは思ってないだろう
日本人だって例えで何々カーストってよく言うじゃん
御所に入れる人たちもいるしね。
帯刀も武士は二本差しで、平民でも道中差しは出来たという
そのままインドのカースト制度の意味のまま元スレで通ってるよ、否定してくれてる人達もチラチラ居るけどね
服部が機織部から来ているというのは定説だけど、そう名乗っている人たちが機を織っていたとは限らないよ。
菅原氏や大江氏の祖で高野新笠を通して天皇家にも繋がっている土師氏だって当主が埴輪作っていた訳じゃないだろ。
ちょっと中央の統制から外れたらすぐ周りの土地切り取り始める地侍や戦国大名。
自分達の先祖みたいな奴らが江戸幕府にとって一番ヤバい奴らって身をもって知ってるから
武士兼農民だけは存在許せんかった。
銀行は新政府になってからじゃなかったか
付け加えると、現代的な視点では「町」であっても、当時は公式に「町」と認められていない場合があって、そこの住人は商人だろうが船主だろうが工人だろうが、みな「百姓」なんだよね。
例えば金沢藩領の能登・輪島は開運で栄えた所で我々から見たら「町」だけど、金沢藩としては住人はみな「百姓」。もちろん、農民ではないので無高=田畑を持たないから「水吞百姓」とされている。
衣服は染をする、使い古した染汁で裏地を染める
でもって、武士たるもの衣服(江戸時代は綿=太物っていいます、 絹物への対比)は新調します。特に羽織には金を掛けます
田舎から参勤交代で江戸に殿様に従って来た勤番侍(江戸で常勤のひとは定府)の野暮な仕立ての服(安い浅葱裏の裏地の羽織)、汚れ防止での丈が短い袴(くるぶしが出てる)、野暮な髪型(髪床には行かない、同僚が互いに髷を結う)、拵えがごつい太刀などなど
そして、定番の吉原、あるい場所に行ってルールを知らずに(吉原から見たら)狼藉をすることを揶揄した言い方
例えば総籬の見世に上がって初手から花魁に口を聞いてもらえない、半籬の見世で「回し」、一晩で何人もの男の相手をするで で待てない・・・など
承認に金を借りてる士族は多かったし、
農民に平伏している商人のことなんか聞いたこともねえしなあ。
貨幣経済は物の交換を貨幣を媒介にして行うものだから、日本での貨幣経済への移行はもっと早くて、大量の宋銭が移入された12世紀~13世紀だと思うけど。
鎌倉中期・13世紀中頃~後半には、年貢を銭で納める代銭納が広まるぐらいで、つまりは年貢を納める側が銭を手に入れられる状態であったということだから、貨幣経済に移行していないとこれが成り立たん。
サムライから商人なった奴も
いっぱいいますよ
ワキガ臭いワキガ臭いワキガ臭い
ワキガガイ人さんwwwww
現代的な銀行であればその通りだけど、いくつからある銀行の機能で考えると、
・両替 : 異なる貨幣を一定の比率と手数料で交換
・為替 : 遠隔地で行われる債権・債務の決済を、現金の移送を行わずに決済
・借上 : (高利)融資
は中世に成立しているから、銀行があったともいえるかな。
現代でも様々な法律で縛ってるからそうなりにくいだけだし
そう考えると商人=下賤の者っていうイメージは理解できる
しかし時代が進むにつれて カネを持ってる奴が強いということが明らかになってきた、と
李氏朝鮮なんかはこの儒教の考えに縛られて商業が発展しなかった
それも苗字帯刀だけで実際に侍の格好や暮らしをするわけではないからの。
幕末の混乱期なら兎にも角、江戸時代は通して身分が絶対。
それだけでも体験したくない時代よ。
下には下を作った
今また硬直化して経済が窒息しそうになってる
A:江戸時代入ってから速攻で町人階級が経済的に台頭して形骸化しました。武士が往来で刀を抜いて町民を斬ったら普通切腹ものです。
時代劇のイメージが付いちゃってるけど実際はこんなもん
今どき専制君主や独裁国家なんて論外だが資本主義も民主主義も完璧ではなかった
自分たちの食い扶持すら怪しくなってきたから将軍家が食わせてやってた
こんな体らたくだから家康が禁中並公家諸法度を出すに至った
>現代の国王や女王みたいに力のない元首で、首相が動かしてるようなもん?
西洋でいえば各国の国王や皇帝の正当性を担保するローマ法王のような存在だから。
大名や御家人が天皇に危害を加えようとすれば勅令が下され
地位の正当性を失って他国に集中攻撃されて討伐される。
将軍も関白などの官位も天皇の任命があるからこそ権力として意味がある。
そんな事されたら白土三平の漫画が成り立たなくなってしまうではないか?
実際は商人のほうが裕福そう。農民も商人もピンキリだろうけど
権力のある武士階級は貧乏、商人は財産はあるが地位は低い。
武士は貧乏だが、尊敬を集めたし、商人は財産はあるが 身分は低い。
欧米は、権力と財産が集中して、王様にも金を貸す。だからユダヤ金融に支配される。
権力のある武士階級は貧乏、商人は財産はあるが地位は低い。
武士は貧乏だが、尊敬を集めたし、商人は財産はあるが 身分は低い。
欧米は、権力と財産が集中して、王様にも金を貸す。だからユダヤ金融に支配される。
ふとした場面で恥をかきかねない。
噴飯ものだな。武士のみに認められていたさまざまな特権はどう説明するんだ?
他国の封建制に比較するとわりと流動的だったのは事実で、たしかに百姓や町人から名目上士分になることは出来たものの、
武家の先祖代々の門閥に入ってないんだから当然、中では差別はされる
旗本の次男以下の京都見廻組と農民出身の新選組の差の付け方はどう説明する?新選組は幕臣になっても甲州攻めに連れていくよう上から命じられたのは浅草弾左衛門配下のえたひにんだが?
歴史学は一次史料にないものは認めないから実態と乖離することがある
個人の日記などの史料も含めたら、先祖代々の武士と、農民や町人では歴然と差が付けられていたことくらいすぐわかるんだよアホ
ただし、農家の場合は跡取りは家督相続して農家のまま、次男以下が商家に奉公に行かされたりするので
感覚的には農家>商家、町人、というのはあったと思う
でも商家も藩の御用クラスの大商人になると、藩から名目上の武士の身分をもらえたりするし、
幕末期になると各藩の勘定方が逆に大商人に気を遣ったり、建前の身分と実態が逆転してることはままあったようだな
あと、武士の身分が別格ではなかった、という例で坂本龍馬を出してくるなら、土佐藩の上士と郷士の待遇の違いくらいは知っておいてねw
アホですか?
二条城で徳川慶喜の警護を自分でやってる
質屋は世界最古の個人向け金融だな
士農工商が完全な身分制だったら金のない下級武士が刀を質に入れる状況になんてならないだろ
実際は金のある商人の方が力を持ってた
そこはバレなきゃおとがめも無しで、三代将軍様も黄門様もやったという辻切りの出番ですよ
その考えだと浪人も武士階級と見なされたのが説明できません。
江戸時代の武士階級とは仕官できるの能力のある知識階級だと思われます。
町人や百姓でもそれなりの能力があれば仕官できたということは知識階級は俸禄をもらっていなくても武士階級に準ずるものと見なされていたという事でしょう。
逆に浪人の子弟がまともな教育を受けていなければ武士階級とは見做されなかったと思われます。
でも、中韓(特に韓)は一般人は自分たちで言ってるほど英語出来ないみたいだぞ。
アメリカ留学して言葉が解らないから、授業全くついてない上友達もできず、留年繰り返して自殺するってのが多くなって韓国で問題になってた。
ガチガチの身分社会のだったのは欧米ぐらいで、中近東もインドも中国もそこまで身分が固定していたわけではないみたいだね
欧米というよりゲルマン人自体がかなり血統を重視していて、それが結果的に階層の固定化を招いた
今のエリートは三菱とか商人の出だから、士農工商はなかったとか歴史学者に圧力かけたんでしょ。
そもそも士農工商は古代中国からの制度なので日本にはいってきてないわけない。
やはり何も生み出さない商人が大きな顔をする社会は俺は好きになれないね。
目撃者は必ずしも必要無かったみたい。(取り調べはされるからいた方が良いが)
あと、無礼討ちを行ったと言う届出が必要でこれが結構面倒くさい物だったはず。
処分は重くて追放で、切腹とか死ぬようなのは無かったみたいよ。
豊臣秀吉がそうだし伊能忠敬、二宮尊徳など
二宮金治郎の銅像は多くの小学校で薪を背負って読書している姿で建ってるよ
中国とはだいぶ前に疎遠になっていて
そもそも中国の士ってのは文官、日本のような武士じゃない
士道不覚悟だから、太刀をどこかに置き忘れた場合、背中に刀キズを負った(つまりは逃げた)場合も処分、軽くても免職、重いと断絶(その家は無くなる)理由は同じ士道不覚悟
但し、江戸市中では無礼打ちは認められなかったらしい。3代将軍の家光時代、旗本奴・水野成之と町奴・幡随院長兵衛で有名な様に無頼が江戸で吹き荒れてた・・・それ対策が始まりで街中で抜刀したら処分だったみたいね それが後まで続いた
それもあって各藩は町奉行所の与力、定町廻り同心に(彼に任そうってっ人を決めて)定期的に金を渡して、かつ、参勤交代から江戸に下がって来た時、節句時には贈り物をしてた、目付に知らせる前に我が藩に連絡してね~ って (逮捕権は町奉行所には無いけど、街中での騒動の取り締まりは町奉行所)
文化の担い手としての役割があった。
和歌が1000年以上も廃れずに継承されていたり源氏物語などの1000年以上昔の文学の数々が現代まで消失せずにきちんと残っているのも彼等が保存に努めていたおかげ。
百姓は農村に居住している人を指す身分。
町人は藩や幕府が設置した「町人地」に居住する人で、「市街地に居住している人」という意味ではない。
一般的に町人地は藩や幕府が管理する城下町、宿場町、港町、門前町に設置されている。
農村の集落が都市化したものを「在郷町」と言うが、住民は百姓で構成されている。
全人口の8割を占める百姓は農民、職人、商人を兼ねていて、「士農工商」の序列が誤りだと分かる。
公家に至っては関白ですら内職をしていた暮らしぶりで、高貴な身分ではあるが
豊かな生活をしていた訳ではない。
酒田の本間家(新潟屋)は徳川四天王の酒井家を凌ぐ名声を上げた大名主(百姓)であり
おそらく世界で初めてテクニカル分析を金融市場で導入した大商人でもある
捨て置くと暴動になるから、下士の中の郷士って身分を与えた、藩士である 但し俸禄はスズメの涙 坂本龍馬の坂本家は商家であり、郷士の身分を買った
身分を買ったのは結構あった、米山検校(男谷検校に改名)は旗本、藩の士分の株を買いまくった、子孫の有名人に男谷精一郎、勝海舟などがいる
米沢藩の郷士も藩士ではあるけどもっと大変だった・・・
関ケ原の戦いで西軍についた上杉家は90万石から30万石に石高を減らされたあと、奥州に転封されたが、家臣を減らさなかった、当然ながら困窮、8代目には領地を返上しようか? ってなった。
で、養子で9代目の藩主になった上杉鷹山(治憲)は苛烈な緊縮を行い、多くの藩士は郷士になった。米沢藩での郷士ってのはほぼ全農、城の周囲に町には住まない、たま~に城に出仕、身分は藩士だけどね。 藩財政の再建は上杉鷹山の時代、その後(前の8代の藩主の子供)、更にその後までかなわず、郷士は長く続いた。
上杉鷹山は養子で、彼の子孫は藩主にはならなかったかな? 妻は脊椎カリエス(結核菌が脊髄に入る)で幼児(体形も精神も 着てた服、上杉鷹山の日記の記述、正室とはおままごと遊びをしてた)だったし、側室は・・・
実際には士>農工商だったわけだし。
心配しなくてももうハゲてんだから、あとは釣りして売りに歩くだけや
最近は教科書からも消えてるよ
未だに新しい資料も発見されるし、研究者たちによって解釈が異なるから、学会で議論してこれまでと違う方向性になることがあるから、昔と今とじゃ解釈も変わるなんてザラ。
何せ当時を知る術は書物しかないし、学者も全ての資料を把握してるわけじゃないから、不変な歴史なんてないもんよ
下級武士なんて鍛練も特にやってないけどな。江戸に参勤した下級武士とか特にやることもなく、江戸をぶらぶら観光して時間潰すしか金も仕事もないからやってないし
日用品、武器を作る工人も商人の上だった。
相撲取りは、実力があると士族に取り上げられた。
士族は、領土を運営するため高度な学問が必要だったため士農工商の順になった。
簡単に言うとこんな感じかな。
日用品、武器を作る工人も商人の上だった。
相撲取りは、実力があると士族に取り上げられた。
士族は、領土を運営するため高度な学問が必要だったため士農工商の順になった。
簡単に言うとこんな感じかな。
日用品、武器を作る工人も商人の上だった。
相撲取りは、実力があると士族に取り上げられた。
士族は、領土を運営するため高度な学問が必要だったため士農工商の順になった。
簡単に言うとこんな感じかな。
その米を生産するのは百姓。
戦費調達に金を商人に借りる時、
位までが上位だと甚だ具合が悪いだろ?
間違ったことを広めないでもらいたい
天皇以外はみな平等である
カースト制度などない
家の各とカースト制度を一緒に考えるな
同じような家柄でないとうまくいかないことくらい、現代結婚にも当てはまるぞ
それを身分制度やカースト制度と一緒に考えることじたい間違っている
家の格
真面目に考えすぎ
今どきは単純に格差って意味でカーストという言葉を使うのご存じ無い?
例えばスクールカーストとか
士とその他だよね。なんか勝手に農民の身分が上って意味わからんわ。農民が商人に切捨て御免が出来たのかと。
ちゃんと文章読んでる?士農工商という区分と農工商(町人と百姓)の上下がなかった、と言ってるの。武士の特権は否定してないでしょ?
坂本龍馬の実家とかな
某国の労働英雄っていうプロパガンダを思い出した。
日本にも必要だわ(笑)
1185 守護・地頭を全国に置き、統治権を確立した
1192 征夷大将軍の称号を貰った
鎌倉幕府という統治機構の成立としてどちらを取るか検討されて、名より実で1185年で落ち着いた。
今は(いつからかは知らないが)そうは教えていないらしい
お互いに世代間ギャップがあることを念頭に置いとかないと
会話が噛み合わないな
逆に無礼討ちをしないと士道不覚悟で武家の誇りを穢したと切腹…
問題は士農工商と四民平等は江戸時代の実態を説明した言葉ではなく、前政権を貶め新政府の正当性を主張するプロパガンダだという事。
江戸時代の説明として士農工商を採用するのは実態に合わない。
日本の士農工商は職業による身分制度です
渋沢栄一💢韓国とも仲良しだったよね。
上下じゃなくて、並列。皆平等。無論、建前で、武士が偉い訳だが。
商人と農民と町民は、身分としては平等だった訳。
裕福な方が優位性が高いってだけで、教養や技術や一族の力等によって、商人の方が武士より優位だったり、豪農の方が商人より上だったり、教養や人格によって町人が一目置かれていたり、割と自由。
地方の歌会や茶会にスーパーアドバイザー的な賓客としてお公家さん呼んでたそうだから、文化普及の担い手でもあったんだよね
地方の歌会や茶会って幕府の隠密にとっては大事なイベント。松尾芭蕉に随行した弟子とかね。
普通の旅人は街道筋、宿場からは逸脱できなかった、逸脱=隠密の疑い
歌人、俳人、お茶の師匠が在郷の百姓(裕福な)、商人に招かれた場合には逸脱はOK
お公家さんにも随行する場合は恰好の隠れ蓑
刃渡り60cm以下の短い脇差しのほうやね。長い打刀は武士の特権であり身分証でもあったけど、脇差しは補助的な武器(サブウェポン),護身具扱いで武士以外でも所持できたらしい。
町人の娘だって一旦武家の養女にしてから武士の家に嫁がせるという手段も有ったし。
ネットの時代に昭和の知識かよ
とはいえ中国の士農工商は単に”万民”の意味であった。ところが最近の中国の古装ドラマ(時代劇)はどんどん日本化されていて、この士農工商も身分としてあったかのように扱ったものもある。中国人は日本を勝手に中華文明の継承者と位置づけている。文字絵画文化以外が断絶した中国にあって、日本独自の文化さえ、中国にかつて在ったものと、思い込もうとしているのだ。つい最近も、和菓子の写真を堂々と掲げ、中国人の菓子職人の修業の賜物としてレ弧チャイが紹介した記事などもあった。
コメントする