(海外の反応)
1
(アメリカ)万国アノニマスさん

第二次世界中、お前らの家族に何があったか聞かせてくれ
2
(メキシコ)万国アノニマスさん

多分酒でも飲んでた
3
(アメリカ)万国アノニマスさん

俺は農民の家系じゃないから戦わなくてもよかった
↑
(イギリス)万国アノニマスさん

英国の伝統だと貴族が最初に戦争に志願するんだけどな
4
(カナダ) 万国アノニマスさん

パキスタン人だけど俺の一族は従順じゃなかったから
第二次世界大戦で戦ってないしそれ以外の戦争でもイギリスために戦うこともなかった
第二次世界大戦で戦ってないしそれ以外の戦争でもイギリスために戦うこともなかった
5
(ブラジル)万国アノニマスさん

大叔父は徴兵されたけど大西洋を渡ってる間に戦争終わってしまった
6
(アメリカ)万国アノニマスさん
俺の先祖はみんな若すぎor高齢すぎで戦争に行かなかった

俺の先祖はみんな若すぎor高齢すぎで戦争に行かなかった
7
(インド)万国アノニマスさん

うちの一族は第二次世界大戦では特に何もしてなかった
幸せに農業してた
幸せに農業してた
8
(フランス) 万国アノニマスさん
曽祖父母はウクライナ人とポーランド人だったので良い時代ではなかっただろうなぁ

曽祖父母はウクライナ人とポーランド人だったので良い時代ではなかっただろうなぁ
9
(ロシア)万国アノニマスさん
俺の祖父は爆撃機のパイロットだった
日本人はソ連の爆撃機が気に食わないみたいで対空砲を使ってきたらしい
対空攻撃が成功して祖父は脳震盪になったけど生き延びたから運が良い
というわけで俺は一生アニメを違法視聴して日本を破壊してやるんだ!
もう片方の祖父は東部戦線で戦った筋金入りの共産主義で英雄
よく知らないけど高官で旧ソ連共産党内で尊敬されてたらしい

俺の祖父は爆撃機のパイロットだった
日本人はソ連の爆撃機が気に食わないみたいで対空砲を使ってきたらしい
対空攻撃が成功して祖父は脳震盪になったけど生き延びたから運が良い
というわけで俺は一生アニメを違法視聴して日本を破壊してやるんだ!
もう片方の祖父は東部戦線で戦った筋金入りの共産主義で英雄
よく知らないけど高官で旧ソ連共産党内で尊敬されてたらしい
10
(プエルトリコ)万国アノニマスさん
普段どおり生活してたらしい

普段どおり生活してたらしい
11
(イギリス)万国アノニマスさん
曽祖父の1人が第二次世界大戦で死んだことしか知らない
イギリスではかなり珍しい

曽祖父の1人が第二次世界大戦で死んだことしか知らない
イギリスではかなり珍しい
12
(ロシア)万国アノニマスさん
若かった祖母は母国のために一生懸命働いてた

若かった祖母は母国のために一生懸命働いてた
偵察兵だった祖母の兄は前線の後ろまで行ったところで捕らえられ1945年に死亡
祖父は砲兵で1945年に日本人から中国人を解放
祖父の兄は砲兵の将校だったけど重傷を負い1942年に退役

祖父は砲兵で1945年に日本人から中国人を解放
祖父の兄は砲兵の将校だったけど重傷を負い1942年に退役

13
(ベラルーシ)万国アノニマスさん
曽祖父①:パルチザン(レジスタンス)だった
曽祖父②:懲罰部隊の指揮官
曽祖父③:前線に行きたくないから自分で自分の指を切り落とす

曽祖父①:パルチザン(レジスタンス)だった
曽祖父②:懲罰部隊の指揮官
曽祖父③:前線に行きたくないから自分で自分の指を切り落とす
曽祖父④:戦争開始1ヶ月で死亡
14
(モンゴル)万国アノニマスさん

馬とかでソ連を支援してた
見返りに日本の侵攻から守ってくれた
日本が勝ったとしても日本人がそんなことすると思えないが
見返りに日本の侵攻から守ってくれた
日本が勝ったとしても日本人がそんなことすると思えないが
15
(オランダ)万国アノニマスさん
祖父はナチスの親衛隊だった
そうでもしないと家族が食っていけなかったから仕方なくだよ…まだ祖父が18歳の頃だ

祖父はナチスの親衛隊だった
そうでもしないと家族が食っていけなかったから仕方なくだよ…まだ祖父が18歳の頃だ
16
(スウェーデン)万国アノニマスさん
曽祖父母はコペンハーゲンの路上でドイツ人が人を撃つのを見たらしい
それ以外だと誰も影響受けてないと思う

曽祖父母はコペンハーゲンの路上でドイツ人が人を撃つのを見たらしい
それ以外だと誰も影響受けてないと思う
17
(チェコ)万国アノニマスさん

俺の一族はみんなドイツ国防軍にいた
父方は8人くらい、母方も3人くらい
父方は8人くらい、母方も3人くらい
18
(イギリス)万国アノニマスさん
当時俺の一族はアフリカにいたから全く影響無かった

当時俺の一族はアフリカにいたから全く影響無かった
20
(スペイン)万国アノニマスさん
一族の大半はアルゼンチンにいた

一族の大半はアルゼンチンにいた
21
(イギリス)万国アノニマスさん
祖父は香港からのナミンだった
日本に占領される1週間前に兄と母親と一緒に逃げてきた
取り残された姉がいたらしいけど彼女のことは何も知らない

祖父は香港からのナミンだった
日本に占領される1週間前に兄と母親と一緒に逃げてきた
取り残された姉がいたらしいけど彼女のことは何も知らない
22
(クロアチア)万国アノニマスさん

曽祖父はユダヤ系スロベニア人でウスタシャ(ファシスト政党)に撃たれた
残りはクロアチアに逃げてきた
残りはクロアチアに逃げてきた

23
(フィンランド)万国アノニマスさん
俺が知る限りマジで何もしてない

俺が知る限りマジで何もしてない
24
(イタリア)万国アノニマスさん
母方の曾祖父はイタリアがドイツに占領された後、親衛隊入隊を拒んでアウシュビッツ行き
それ以外はあまり知らない

母方の曾祖父はイタリアがドイツに占領された後、親衛隊入隊を拒んでアウシュビッツ行き
それ以外はあまり知らない
↑
(アメリカ)万国アノニマスさん

アウシュビッツで生き延びたの?
↑
(イタリア)万国アノニマスさん

うん、90歳以上まで長生きした
アウシュビッツのことは絶対に話したがらなかったらしい
誰かがそういう話題にしようとすると硬直して泣き出してたみたいだ
アウシュビッツのことは絶対に話したがらなかったらしい
誰かがそういう話題にしようとすると硬直して泣き出してたみたいだ
25
(カナダ)万国アノニマスさん

祖先は誰も戦ってないな
ヨーロッパ戦線に参加しなくてもいい場所からの移民だから
ヨーロッパ戦線に参加しなくてもいい場所からの移民だから
26
(イスラエル)万国アノニマスさん
曽祖父①:スターリングラードの前線で死亡
曽祖父②:セバストポリの前線で死亡
曽祖父③:将校を務める
なお全員赤軍

曽祖父①:スターリングラードの前線で死亡
曽祖父②:セバストポリの前線で死亡
曽祖父③:将校を務める
なお全員赤軍
27
(ニュージーランド)万国アノニマスさん

ジプシーの曽祖父はイギリスの輸送船団に加わったけど
ニュージーランドに着いて置いていかれた
28
(スペイン)万国アノニマスさん
ニュージーランドに着いて置いていかれた
28

内戦でボロボロだったから第二次世界大戦に参加してるスペイン人は少ない
ナチスのために戦った人もいれば連合国のために戦った人もいる
俺の親族だと一人も関わってない
ナチスのために戦った人もいれば連合国のために戦った人もいる
俺の親族だと一人も関わってない
29
(トルコ)万国アノニマスさん

うちは何もしてない
ただ曽祖父は飢饉のせいで雑草からパンを作らないといけなかったらしい
ただ曽祖父は飢饉のせいで雑草からパンを作らないといけなかったらしい
30
(メキシコ)万国アノニマスさん

何もやってない
31
(オランダ)万国アノニマスさん

祖母はドイツ人に自転車盗まれたらしい
32
(イギリス)万国アノニマスさん

東アジアと北アフリカでイギリスのために戦ってる
イギリス国籍を取得してこっちで新生活を始めたらしい
イギリス国籍を取得してこっちで新生活を始めたらしい
33
(フィリピン)万国アノニマスさん

祖父は戦争に参加して祖母と出会ったらしい
34
(アメリカ)万国アノニマスさん

曽祖父は銃で撃たれた人を見てライフルの発砲を拒んだ
塹壕から頭を出して1度は撃ったみたいだけどヘルメットを撃ち落とされ二度と顔出せなかったらしい
臆病者と呼ばれたが100歳まで生きたし戦って殺された隣の兵士よりは遥かに長生きだ
臆病者と呼ばれたが100歳まで生きたし戦って殺された隣の兵士よりは遥かに長生きだ
↑
(プエルトリコ)万国アノニマスさん

名誉ニートで素晴らしい
↑
(アメリカ)万国アノニマスさん

俺なら頭を出さず適当にライフル撃つかもしれないな
コメント ※httpや特定の単語をNGワードに設定しております。また、不適切と管理人が判断したコメントは削除致します。ご了承下さい。
コメント一覧
ウりが証拠二ダ
ちなみに運の悪い同僚は銃撃で太ももに穴が開いたとか
まぁ違法視聴率高い所だからなぁあそこの連中は
母方はみんな小さすぎて徴兵検査落ちた
祖母の父親は医者
祖母の母は精神病んで自殺したとはチラッと聞いたけどこれは記憶も曖昧で不確か
母方の祖父母は知らない
生き残って戻ってこられたが、重度の結核になっていて即ナサトリウム行きに。結核のストレスから胃癌になり亡くなった。
戦地から戻ってからは、何一つ生産的な事が出来ていない事をいつも嘆いていたそうだ。
母方の祖父は長男で結核持ちだったので、戦地には行かなかったそうだ。
祖母の弟(大叔父)は、東大に入ったのにも関わらず、学徒出陣でガダルカナル辺りで亡くなり、遺骨は戻ってこなかったそうだ。
破壊する方法がアニメの違法視聴ってのがかわいい。違法だけど。
性格歪んでる
ww2なら郊外の農家だったので近くに爆弾落ちたくらいで食料には困らなかったとか。
明治 戦争に行って叙勲。
幕末 国内で先祖同士が殺し合いをした敵対勢力に所属。
通信使だったんで前線からは離れていたが、米軍機からの機銃掃射は度々あったと言っていた。
以降は中国の奥地で転戦して食うものがなくて相当ひもじい思いをしたらしい
蛇や虫や草はもう食べたくないって言ってた
貴重な生き証人ですね
早く即身仏になって
祖国をお守りください
見事初戦敗退して生きて帰ってこれた
一発くらいは銃撃ったかもしれないが
もう確かめられない。合掌
長兄は足に銃弾を受け、帰国。次兄はインパール作戦で戦死
祖母は田舎から神戸の鐘紡の工場に勤労に出かけた(少ないが亡くなるまでその時の年金を受給)
*祖父方の兄弟
祖父は中国からベトナムなど東南アジアに出兵、捕虜となりその後帰国、通信兵で伍長
長兄は年齢が離れていたため出兵しないで、田舎で農作業
長姉は海軍大将を結婚して、他県に嫁ぐ
おふくろの親父は時計技師だったので計器類の整備で軍艦に乗る予定だったけど予定の船が沈んでしまい次の指令が出る前に戦争は終わってたって聞いた
で頭の良い人は兵事係を買収して徴兵されにくい情報に改竄してもらっていた。
勝利したフランコ新政府は、敗北した人民戦線の残党に二者択一を迫った
1、裁判を受け罪を償うか
2、政府に忠誠を誓い命に従うか
2を選んだ者は能力に従い新政府が必要とする部署に配置された
ある者はイギリスで諜報活動
ある者は逃亡した人民戦線残党を追跡
またある者はドイツ軍に派遣された青師団と共にロシアで戦った
根こそぎ動員のはりつけ師団だろうな
全滅を前提とした部隊
大陸(シナ)で戦病死とか言ってた気もするが。骨だってどうだか。戦争だからね
取られていない他の家と比べてしまうが、赤紙一枚でこれから働き盛りを戦争に取られ実家は明らかに苦労した。
祖母、父の苦労は勿論のことだが孫の私にも影響は有る。
最初は、そんなんあるのかと思ったが、調べてみると本当にあった。
確か、150㎝未満だったと思う。
ちなみに、自分は169㎝。
他の曽祖父母については聞いたことないし、調べたこともない。
母方は天皇陛下の近衛兵だった。
小学生の頃に学校から帰宅して家に一人の時、仏壇の引出しを開けてみたら勲章が有った。
勲章一個で。。こんなモノと思った。
敗戦後着の身着のままで復員したが命があっただけでも幸せなこと。
横須賀の武山海兵団で新兵教育を受けてる最中に終戦
そのせいで検査に引っかかり徴兵を免れたと話してた。
当時はその検査に落ちるのはたいへんな恥で、結婚相手を見つけるのに
かなりのマイナス要素になるほどだったとも聞くから、本当に酒のせいで
検査に引っかかったのか、そう思いたがってたのかは今ではもうわからない。
婆さん兄→シベリアで南無
婆さん弟→満州で南無
婆さん妹、弟4人は7歳までで餓し
爺さん→親父を婆さんに種付けて満州で南無
爺さん兄弟→よく知らんが軍服の遺影
しかし祖父は、逃げ回っていたら向こうが勝手に座礁したと言っていたな。
BBAさんは2歳で強制バイシュンの時できたのアレなのか
言ってた。近所の人が「早く逃げろ!」と叫んでいたが、「もうダメだからここにいよう」
と思ったんだって
76年ほど経ってばあちゃんはもういないけど、その座り込んだ場所のすぐ隣に
今ちょうど梅の花が咲いている。
これは確か韓国人が言い出したツッコミどころしかないネタだっけ?
いつ見ても笑ってしまうw
抗日ドラマネタやで
新兵が後3人入隊すればモップ係に昇進できるというタイミングで終戦
遺品整理で大正三四年の従軍記章を見つけたので
それ以上前の代の誰かは第一次の青島かシベリアのどちらかに行ってたようだ
まあ負け戦だしな
戦犯になるクラスってことはかなりの高官だったのかな?
結果知ってる今ならラッキーとしか思わんが
みんなが受かる試験に落ちたら恥ずかしいんやろなあ
中国各地の司令部前で大勢の陸軍高級将校と記念撮影した写真がたくさんある。
想像だが、多分ドンパチのあとの占領管理業務をしていたのではないかな。
中国で病気になってしまいボロボロになり内地に戻りどこかの陸軍病院で戦病死した。
「こんなことをしていたら戦争に負ける」と父に言っていたそうだ。
本家の伯父は教師だったけど多少英語が分かるので後半は徴兵されて通訳みたいなことをしてたらしい。
その後シベリアに抑留されたとのことで本家に集まって宴会になると抑留当時の話をしてた。
日本に駐留しているのがイカレている
戦後、一緒に生き延びた部下が毎年お礼の品を送ってきてくれていたらしい。
母方は県警警部補で、前線にはいかなかったと思う。
「野菜は書生さんの田舎から届いてたので、たくさんあった」
「昭和18年に(自分の)爺さんが『坊主、すき焼き食べに行くか?』といって、一緒にタクシーで食べに行った」
「空襲が始まったので、縁故疎開したが、家から近い場所だったので何も不自由しなかった」
とか、そんな話だったんだよ…”
左翼教師大激怒「戦争中は悲惨なものだ」のコピペ。
何となくコレを思い出した。
原爆は知ってても各都市への無差別爆撃はしらないみたいよ
なんで東京って古い建物少ないの?って聞かれたから何いってんだお前の国が焼き尽くしたんだろ?
って言ったらすげーショック受けて無言になってたわ責めるとかそんなつもりで言ったんじゃないけどね
それに戦争前に関東大震災とかで大分古い建造物減ってただろうし
通信兵だったらしいが、坊さんだったので、敵を撃たなくて良いようにという配慮があったのかも。
結局あまり戦闘がない地域だったのか、戦後突然リュック一杯に上等な毛布を詰めてもって帰って来た上に、行く前より太ってたと、祖母が話してた。
祖父の弟さんは南方に行って戦死。
やはり配属先で命運が別れた。
巣鴨プリズンは結構楽しかったらしい
バカか冗談なだけだろ。
中国の抗日ドラマでシリアスなシーンにぶっこんできたネタ
面白いので日中ともに人気があるのだが、悪ふざけが過ぎて
中国で抗日ドラマが取り締まられるきっかけとなった。
本人が兵学校の同期に申し訳なく思って、「何の役にも立たなかった」みたいに語るならまだ分かる。
でも本人以外の人間、それも身内が「何の役にも立たないまま終わった」って、辛口すぎる・・・
どんな戦いだったのか胸をワクワクさせながら聞いたがじーさんは苦笑いを浮かべながら答えてくれなかった。
数年後、ネット等でガダルカナル戦を調べるとじーさんが語らなかった理由がわかった。
あんな戦いを小さな孫に聞かせたくなかったんだろう。
じーさんは何も語らず今は墓の中だ。
日本は戦争に負けると早目に気づいて戻って来て助かったらしい
一山は当てられなかったが逃げ足だけは早かったとずっと自慢してたそうな
あっちの人も馬鹿げた台詞だと言う自覚はあるのね。
「新兵があと3人入隊すれば」とか話がすごいリアルだなw
うちの爺さんは衛生兵だったことを話してくれたぐらいで、そういうリアルな話は聞いたことなかったな。
南方にて戦病死
なお陸軍は戦地に兵士を送ったら死ぬまで~とのイメージがあったが意外にも二度ほど帰郷していたそう
なおその帰郷時に作った子供(祖父の弟)を曽祖父は一度も見ることは叶わず・・・
公式には脚本が忙しすぎて、設定のチェックを怠った結果だ
とのことだが、
一説には自由に好きな作品が作れないことに苛立ってわざとやった
とも言われている。
田舎の農家はそんなもん、田舎に空襲はないし、食う物はぜいたく言わなければ困らないし、母方の実家はみんな小柄で徴兵検査失格だから働き手も困らなかった。
あと、欧米のアジア侵略に加担した中国シバいてた。
対等な戦いならまだしも、黒人やインディアンなんて一方的にやられてるからな。
だったら戦って負けた方がマシ。
でも祖父は嘘をよく吐くので本当かどうかはわからない
平塚の軍需工場が夜爆撃を受けて遠くから火災が見えたと
戦後会社の工場で徴兵され人とされなかった人の間でイザコザが起こり
暴動があって仕事にならなかったと聞いた
開戦当日は国政が動かなくなるから、今でいう国家公務員はわりと除外されてた
上級国民は昔から優遇だよ
年齢やら病気で戦争行ってない
けど祖父母の兄弟が南方から中国大陸やら
硫黄島やらシベリア帰りでバラエティーに富んでるな
中国と硫黄島は戦死してる。
蜂須賀家の血筋だからエリートだったとかなんとか
うちの地方だと、そういう根回しを「ハンドウをまわす」という隠語で呼んでいた
金持ちの若旦那や顔役の息子はバリバリ甲種合格のはずが、何故か難病持ち認定です
どの船かは知らない
俺も父方の祖父には会ったこと無いな。戦時は衛生兵として東南アジア戦線に赴いたが退却の度に戦線が押し込まれ、無事に帰ったのは祖父たちの船が最後だったらしい。もっとも戦争関係無い部分の方が謎が多い人物で、かの有名な宗教家の池田某とは口論になり、地元のヤーさんがビビって道を譲る、冷夏に海の家をやって破産しかける等。まあ直接調べられない事は思い悩んでも仕方ない、今を生きよう。
海軍士官学校在籍中に終戦になり、大学に入りなおすも新制旧制ダブル受験で倍率爆上がり
大学卒業して就活するも、GHQの武官排斥命令でまたも苦闘
あの世代は生きてるだけで上等だったと考えないとやってられんわ
主計さんが兵隊ならば蝶々トンボもの鳥のうち
海軍内ジョークで馬鹿にされがちだけど、実は厨房が艦内で一番安全だから、びびりな佐官はドンパチが始まると意味なく厨房に降りてきた
母型の祖父 満州に駐留、機関砲の人やってた
同じ村の人も戦争へ行った人が1人くらいしかいなかったとか。
ただ、親戚でどっかの軍需工場で働いてた人はいた。
曾祖父が中国に行くというので曾祖母と子ども達だけで地元に帰ったら、全く知らない家族に自宅を乗っ取られていたそうだ。
空襲で焼ける赤い空の話とか、学校のそばの病院で傷痍軍人が遊んでくれた話とか、古いアルバム見ながら何度もしてくれる。
その影響でほかの兄弟は兵隊なんて無理!っとそれぞれ兵士に取られにくい職業に。
第二次世界大戦のとき祖父は朝鮮半島で鉄道員やってたんで、帰る時は大変だったらしい。現地の人と仲良くしてたから、安全な道案内してもらって事なきを得たってさ。
源田実の下にいた。
母方の祖父
満洲で軍役。
父方の祖母
耕していた。
母方の祖母
東京理化学研究所にいた。
>日本人はソ連の爆撃機が気に食わないみたいで対空砲を使ってきたらしい
こいつは何を言っているんだ?
終戦直前に不可侵条約破って侵入してきた爆撃機を熱烈歓迎しろとでも言うのか?
南の島で敵の銃撃を受けて片腕となり、戦後はマンガ家として活躍しました。
親経由でしか聞いた事ない。
逓信省か運輸通信省だろ?
うちの祖父もそうだったけど、長年戦争に取られたし、最後は満州の現地召集で消えた。
似たようなもん。二十年以上戦死認定さえされなかった。部隊ごとシベリアに消えたらしい。
満州で現地召集される前に、そろそろヤバイと勘を働かせて妻子を日本に帰したから父は生き残ったけど、遺族年金さえ出ず、父の兄弟はほとんど成人もできず、精神的にもいろいろと影響があったようだ。
よく酒が手に入ったなあ。
野良仕事は出来たが兵士としては再起不能で、大戦には召集されなかった。
生きているだけで上等だよ。海兵出の大叔父は最後の出兵前に家族にこっそりと日本はもう負ける、これは無駄死にだと漏らしたそうだ。言葉通り帰ってこなかった。
母は隣の村だが兄(私の伯父)が浜松の友達の所に泊まりに行った晩に浜松大空襲があったので、翌日父親(私の祖父)と一緒に迎えに行った時し体をゴロゴロ見たらしい。まだ子供だったのにね。
>>106
米軍は関東を空襲したさい余った爆弾が邪魔なんで、ちょうど帰り道にあたる浜松にみんな捨てて行ったんだと。明確な意図があったわけじゃない。ゴミ捨て場にされたんだよね。それで浜松は同程度の規模の他の市に比べて、被害がゼロ一つ多いの。
大人になってからそれ知ってめちゃめちゃ腹立ったわ。
お母さんが無事で良かったね。
そういう人たちから直に戦争体験を聞いた最後の世代なんだな。
祖父からは話を聞くことさえできなかった。
うらやま、田舎隠れの術やな、俺も今後徴兵制敷かれて
戦争始まりそうならど田舎で自給自足の生活するわ。
10歳で精通する早熟もいるから可能性としてはあり得るかも笑
なんとか徴兵逃れるようにありとあらゆる手を試すだろうな、俺なら。
免れた後は食料品や酒、日用品を作って軍隊に納める商店を営んでた
戦後、軍隊に加担した企業扱いを受け全財産を没収された時には、鉄くずを集めたり日雇いで働いたりと
血を吐きながら働いて金をため再び小さいながら再び商店を興した時に亡くなった
徴兵されたけど板前だったので炊事兵に着任
他の隊員は上官からぶん殴られたりするけど爺ちゃんはあまりされなかったらしい。
何故かと言うと炊事兵なので無論料理を作る
すると暴力を振るわれた炊事兵は仕返しに料理にハナクソやフケといった汚物をいれてくる為、それを上官は嫌がりあまり暴力を振るわれなかったそうな。
これ何の肉だろうな…と思いながら料理したこともなあったそうな…
戦後はその技術で農薬を配合作成する農薬会社を建てた
今現在その会社は母方の従兄弟が経営し、面白いネーミングの農薬を幾つも幾つも販売している
父方は公務員で母方は新聞屋
いや、そりゃあ死にたくはないだろうが自慢する事でもないだろ…と子供ながらに落胆したわ
母方はどこか南方に行ったことと生きて帰ったら妻子がいるはずの広島は焦土になっていて上司?に見合いを勧められたけど断って戻ってみたら呉に疎開していた妻子と再会できたって話だけは聞いた
昔の小説とか読むと、
登場人物がそういう背景だよね。
戦中末期には共産党員が徴兵を免れるために軽犯罪を犯して刑務所に収監される事で徴兵を免れようとした者たちが多くて、人として許されないやつらだったと憤っていたという話だった
戦後はその共産党員からの告発で巣鴨に収監され、共産思想のGHQ職員のからの暴行により亡くなった
勉強したくて海軍で職業軍人になった
機関学校に入り戦争末期は鹿屋航空基地で
特攻機の整備やっていた 小学校出て
最後は特務大尉まで上り詰めた。
母方の爺ちゃんも子どもで、ひもじい思いをしたと言っていたけどその横で婆ちゃんは農家の娘だったおかげでひもじさとは無縁だったと豪語していたのが印象的だった。
>絶対に国や天皇なんぞのために人殺しなんてしたくないし殺されたくもないんで、
その国の中には国民が含まれていて、国民の中には君の家族も友人も含まれ、天皇はそうした国や国民全体の象徴なわけだけど、自分の母や姉・妹、恋人や娘が襲われ犯されるかも知れなくても知った事じゃないから逃げたいというのなら、まぁ周囲から見下げ果てた奴だと思われてそれなりの扱いを受ける事になるだろうなー。
自分は敵国から空襲とか受けても徴兵から逃げたから反撃できない、一方的に殺される立場ってのも、それはそれで嫌だなぁって思ったり。自分が「人殺しなんてしたくないし殺されたくもない」ってご立派な平和主義を掲げても、相手にとっては関係ないもんね。殺さなければ死ぬ世界。自分はそんな時代に生まれなくてよかったと思うだけ。
祖父は戦闘機に乗る日に食中毒になってしまい
代わりの人が乗ったらしいが
その戦闘機は帰ってこなかったらしい
運ってあるよね
ちなみに祖父には脇腹に銃で撃たれた窪みがあった
水木先生成仏して下さい
うちの家系だと、母方祖父が従軍して旧満州とかに行ったという話は聞いたことがある。
父方祖父は、戦時中でも結構な年齢だったから従軍せずに済んだらしい。
親父は末っ子で戦後生まれだが、長男の伯父さんはもう少し早く生まれてたら従軍してた可能性がある世代。
伯父さんは、士官学校へ行く勉強をしてる間に戦争が終わったとか。
31 Netherlands(オランダ)万国アノニマスさん
祖母はドイツ人に自転車盗まれたらしい
同じく大伯父が教師だったけど徴兵されてた
暗号解読班だったらしい
友人や家族なら日本人、外国人に関わらず命をかけて守る、殺人もせざるを得ない。
別に天皇や他人の日本人が殺されそうになってても命をかけては守れない、薄情なようだが逃げる。
それで見下されるなら、それはそれで仕方ない。
ヒーローにはなれん、自分がかわいいわ。
戦後道路の拡幅工事で100m家が移転した模様
配給制になったとき、運送やってた祖父は寒さで凍えている人たちに泥炭を掘って分けていた。
口先だけで何も動かない共産党員だった私の親父と比べて立派だったよ。
それ微妙や。
ウチの爺さんは、戦前は名古屋の裁判所で働いてたけど、大尉(?)として大陸に出てたそうや。
爺さんが一時帰国中に全滅したとの事だ。
毎年、椿の時期に悔いを話してたらしい
産まれた時には他界してたから、直接聞いた事はないけどね。
祖母①も女子医科学校を出て大阪の総合病院で内科をしていた。
祖父②は医学生だった。
祖母②は庄屋の娘で近隣の食料の面倒を見ていた。
大変誇らしく輝かしい出自だが残念なことにうちはもう没落している。
爺さんB 上海事変に従軍。戦功で金鵄勲章授与。一度退役したのち再徴兵されて仙台の高射砲陣の兵として終戦を迎える。
日ソの間に不可侵条約なんて無い
日本との間にあったのは中立条約でソ連との不可侵条約を破ったのはドイツや
母方の祖父は神田にあった中規模の会社で経理責任者だったが開戦時には
既に三十路半ばでおまけに虚弱体質だったので戦争末期の根こそぎ動員にも
引っ掛からなかった
もし爆発していたら俺は存在していなかった
君めちゃくちゃ頭悪いんだね…
どうして友人や家族が殺されそうになるかといったら敵が攻め込んでくるからだよ
どうして攻め込んでくるのかといったら攻め込んでくるのを阻止できなかったからだよ
どうして阻止できなかったかといったら阻止するための戦いに負けたからだよ
軍の一員になるのはその戦いに勝つためだよ
常に一緒にはいられない家族や友人が敵に殺されそうになってから駆けつけてればみんな助けられたり
または家族や友人の幸福な暮らしが自分一人の水際防衛で守れるんなら誰も軍隊なんか行かないんだよ
多分学生だと思うけど、自分が一番合理的で賢いと思い込むのはやめて、もっといろんな人の意見を聞いていろんな本を読んだ方がいいよ
因みに日本は昔、鬼強だったロシアに奇襲かけてるので基本的に「日本が間違ってる」と言い張ります。
非国民だの差別を受けることはなかったらしい
ちなみに俺にも病弱の血は受け継いでいて、わりかし洒落にならん入院を何回か経験しているので、そりゃ分かってる人には差別受けんだろうなと思った
父方は終戦後3年間中国人ともロシア人とも家族ぐるみで和気あいあいと仲良く過ごして楽しい思い出ばかりだったとか。ちな敗戦時にそれまで中国人を差別したり暴力を振るっていた日本人は皆殺しにされたとの話だが祖父は中国人にも平等に接して優しく仕事を教えていたから逆の立場になっても中国人と助け合いながら平和な生活を送れたと叔父が語っていたな。その後にロシア人がやってきたがロシア人は酒と喧嘩が滅法強くて飲み屋でたまに喧嘩になるから仲の良かった上級将校に相談したら将校バッジを渡してくれて以後はアジア系ロシア人将校待遇でロシア人に厚遇されたと祖父が楽し気に話してくれたのが20年前か。技術者であり語学にも堪能で他の民族とも分け隔てなく付き合える一芸に秀でていた祖父らしい逸話。芸は身を助くとはよく言ったモノで。
これが何の能も無い一般軍属だったらシベリア抑留コースだったんだろうな、と。
アラブの春に始まり、香港、ミャンマー、ロシアと、民主化の波は、有っても、東欧や、旧ロシア共和国のようにまた、独裁国家に戻ってしまう国も多い。実際、民主主義を確実にするためには、多くの血が必要だと思わざる得ない。平和裏になかなか実現できない。
日本は、右も、左も、中道も、問題あっても、お互いに切磋琢磨して「、共存できる国であり続けてほしい。そのためにも、野党は、もっと現実的で、まともな政党になってほしい。
悲惨だった兄たちに比べ、末っ子の父は全く食べ物に不自由はせず、夏の農閑期は釣りに行ってた。
で、末っ子だった父が家を継いだわけだが広い農地を自分で耕作しないといけなくなった。
耕運機や自家用車(軽トラともいう)の出現までは恐ろしいほどの重労働だった。
私と妹はほったからしで育ったが、まー仕方ないですねー。
を英語にして元記事に投稿しても、ガン無視されるんだろうな。
国家に洗脳されとったんやろ、当時のアメリカ兵も…
俺も戦中に生まれたら国家に洗脳されて「大日本帝国、天皇陛下に死ぬオレ、カッケー!神風特攻ヒャッハー」
してたかもしれん。
そうだよ、頭悪いよ、自分が賢いなんて思ってない。
俺は日本が滅ぼうが天皇や赤の他人の日本人が死のうがどうでもいい薄情なヤツで
自分、家族、友人が助かるためならいくらでも日本を裏切るし敵に媚びへつらう卑怯な男よ。
それと、俺が戦争に行ったら、いつ殺そされるかわからんストレスで頭がおかしくなり善悪の区別がつかなくなり、
なんの罪もない中国の一般人を殺しまくった一部の日本兵みたいになりそうで怖い。
敵の目の前に立ってりゃ56してくれるよw
中高生か?どこからツッコめばいいのか・・・。
当時の中国は国民党、共産党、軍閥、馬賊が跋扈してただでさえ人が死にまくってたのに、日本兵だけが一般人を殺しまくってたとか思ってるの?先入観だけで決め付けるなよ。
俺は日本兵「だけ」が殺したなんて俺は一言も行ってない、
そして日本兵全員が虐殺したとも言ってない。
気に入らないならアメリカ兵でも中国兵でも好きなのに置き換えてくれればいい。
俺が言いたい本質はそこではない。
中国で無辜の市民に対する虐殺を侵した元日本兵の死ぬ前の良心の呵責に耐えかねた告白をドキュメンタリーかなんかで見たが
戦争に行く前に前科んてない人だし、戦後も犯罪なんて犯すことなく真面目に働いてきた善良な市民、好々爺という感じの人だった。
平時には一般的な道徳の持ち主で虐殺なんて間違ってもしないような人が
戦争という極度のストレスのかかる混乱状態だと良心を失って虐殺に走ってしまった…
(勿論、そうならず良心を保ち続けた人も大勢いたよ)
今は虐殺なんてこと思いもしないけど、俺も無理矢理戦場に放り込まれたら良心を失って虐殺してしまうんではないか?という恐怖よ。
何を言っても、その時代の雰囲気から逃れる事ができないのは何処の国の国民も同じだ。
自分の意思や好き嫌いなどなどに関係なく、誰もが大きな渦に飲み込まれざるを得ない。
それが人間の歴史と言うものだ。
戦いは国と言う概念ができる前から続いているもので、国や天皇陛下を否定しても無くなるものではない。
サルトルの「悪魔と神」と言う戯曲を読んでみなさい。
169だが、本の推薦サンキューです。サルトルって有名な哲学者ですね、
俺で理解できるかはおいといて機会あれば読んでみるよ。
それと、別に天皇や国を否定知るわけではないよ。
平和な先進国の日本に生まれたのはいいことだし、別に天皇嫌いでもないし。
国や天皇より自分、身近な人間のが遥かに大事というだけで。
左翼とかそんな必死に天皇制なくそうとしんでも…と思うし、平成天皇の人柄は好きだしね。
ただ崇拝したりする右翼見てると違うな、と思うだけで、俺は中道。
「悪魔と神」はサルトルの中でも読みやすい戯曲です。
内容は優秀な傭兵隊長が平和を求めてコミュニティを作るが、自分が留守にして居る間に外部勢力に襲われて全滅してしまった。
絶望した傭兵隊長は「神は居ないのか!」と絶望して又戦いの場に戻って行く、と言うストーリーです。
ドイツの農民戦争時代に実在した傭兵隊長を主人公に据えています。
自分は逃げても争いは向こうからやって来ると言う事でしょうか。
自分も中道で、極端な左翼も旧日本軍の格好して天皇云々する連中も不愉快です。
俺の先祖はみんな若すぎor高齢すぎで戦争に行かなかった
祖先もまさにこれで、最近やっと認識したが戦争からすっぽり抜けられている世代がいる
曾祖父は高齢すぎて徴兵はされたが国内労働で、その子供世代の祖父兄弟はぎりぎり兵役にいかずに済んだ上の子供を筆頭に幼児まで
祖父達は子供時代こそ貧しかったが猛烈に昭和平成と働いて貯蓄もあって余裕の年金逃げ切り世代
その子世代の父はバブルで就職も余裕、そしてそのまた子供の自分は安倍政権で就職率が跳ね上がった運のいい世代
戦争で従軍させられた人の大変な話を見聞しているだけに、本当に申し訳ない気持ちになる
戦後はシベリアで赤化洗脳教育
どっぷり洗脳されたらしく、死ぬまで解けなかったな
安定の共産党支持者で、俺が子供の頃は赤旗祭りとか行ってた
多分お祖父様は洗脳を受けやすいタイプ。
多分戦中は天皇陛下万歳、大日本帝国万歳、我は誇り高き皇軍戦士!
とか言って大日本帝国から洗脳されてたタイプかと。
心の底で「天皇?皇国?アホか笑」とか思うだろう俺みたいな面従腹背人間なら
そこまでの洗脳はシベリアでもされんと思う。
洗脳されたふりして「マルクス、レーニン、アホか笑」みたいな。
なんで口をそろえて「戦時中は非常に暮らし向き良かった。戦後暫く甘いものが食べれなくなったのが寂しかったくらい」
父「祖父が日露戦争のころ軍用羊毛の羊の子もらって飼い出して家に10頭ほどいた。毛刈って毛糸にして靴下も自分で編んでたよ、父が自分の遊び相手にと軍用犬の子を貰って来た」
とか教科書や戦争番組と温度差が凄まじい話しか聞いたことがない
すいません、ロクな家系じゃなかった。
東大とか関係ない文系学部が徴兵対象になっただけ
後学徒出陣の半年以上前にガ島陥落してるから
なくなったのは南方戦線のどっかだな
徴兵検査したのが対米開戦後とは書いてないし
あいつら爆撃機の護衛で来てるから
日本の迎撃機が上がってこないとか追い払った後だと
暇潰しに人撃って遊ぶからな
大叔母も家に隠れてたら近所のお姉さんとお爺さん機銃掃射で目の前でバラバラにされたって言ってたわ
>国家に洗脳されとったんやろ、当時のアメリカ兵も…
>俺も戦中に生まれたら国家に洗脳されて
念のため、洗脳の技術はソ連で確立し、中国にわたって「洗脳」と漢訳されたもの。したがって戦中の日米にそんな、自己啓発セミナーみたいな状況作って思想改造する様な技術はないです。敵を悪魔化するプロパガンダの様なものはあったけど、それは洗脳とは言わないし、戦中を悪魔化する戦後のマスコミも同じ事やってる。
>「大日本帝国、天皇陛下に死ぬオレ、カッケー!神風特攻ヒャッハー」
多分「天皇陛下に死ぬオレ」なんて変な日本語でヒャッハーする人は日本語下手な敵国のスパイですw
という頭の悪い揚げ足取りはともかく(ごめん)、戦中の人間のステレオタイプがそんな感じであること自体、自分が戦後教育に惑わされているんじゃね?と疑ってみるのもいいかもよ?
軍に検閲されているはずの特攻隊の遺書ですら、色んな考え方の人が居て、不謹慎な言い方になるけど面白い。
爺ちゃんは中国で馬に乗って侍みたいに戦っていたんだ…て言ってた。
流石に嘘だと思ってたけど、軍歴照会したらガチだった。
爺ちゃんゴメンナサイ
祖父の姉ちゃんでさえ、教師の旦那と一緒に満州にいって、診療所を経営してた
あとは、関東軍だろ、第二次は
なんかおもしろいなw
コメントする