Ads by Googleスレッド「明治時代に凄く心地よさを感じる、自分の他に同じ気持ちの人っている?」より。
引用:4chan、4chan②、4chan③
(海外の反応)
2万国アノニマスさん
俺もヴィクトリア朝イギリスと明治時代の日本の写真やアートは大好きだ
3万国アノニマスさん
凄く興味深いね
4万国アノニマスさん
なんて素晴らしいんだ、こういうのはありがたい!
5万国アノニマスさん
日下部金兵衛が撮影した1870~1880年代の写真
残念ながら多くは手動でカラー化されていて、他の色よりも赤色がかなり濃い
残念ながら多くは手動でカラー化されていて、他の色よりも赤色がかなり濃い
6万国アノニマスさん
こういうのは素晴らしいね、ありがとうスレ主
こういうのは素晴らしいね、ありがとうスレ主
7万国アノニマスさん
8万国アノニマスさん
こういうのってフェリーチェ・ベアトの写真?
以前見たことがあるけど本当に良かったな
こういうのってフェリーチェ・ベアトの写真?
以前見たことがあるけど本当に良かったな
↑ 万国アノニマスさん
ここまでの画像はフェリーチェ・ベアトとは違うけどいくつか写真は持ってる
以下の写真はベアトが撮影した1867年の日本だ
彼は初めて日本を撮影した西洋人の1人であり
当時のビルマやインドや義和団事件後の中国を撮影した写真家でもある
以下の写真はベアトが撮影した1867年の日本だ
彼は初めて日本を撮影した西洋人の1人であり
当時のビルマやインドや義和団事件後の中国を撮影した写真家でもある
10万国アノニマスさん
この当時(1800年代後半)の日本の旅行記ってあるの?
この当時(1800年代後半)の日本の旅行記ってあるの?
↑ 万国アノニマスさん
そこまで多くないけどアルジャーノン・フリーマン=ミットフォードのTales of Old Japan
1866~1870年の日本の興味深い情報が彼の経験を元に書かれてる
1866~1870年の日本の興味深い情報が彼の経験を元に書かれてる
何でみんな肌が浅黒いんだろう?
一日中畑で過ごしてる農民ってことなのかな?
一日中畑で過ごしてる農民ってことなのかな?
↑ 万国アノニマスさん
肌はほとんどカラー化されてないからじゃないかな
西洋人でも古い写真を見ると似たような感じだと気づく
当時のほうが屋外で過ごしてる人達が多く、ライフスタイルも違っていたからでもあると思うが
西洋人でも古い写真を見ると似たような感じだと気づく
当時のほうが屋外で過ごしてる人達が多く、ライフスタイルも違っていたからでもあると思うが
14万国アノニマスさん
なんか笑顔の人がいないね
なんか笑顔の人がいないね
↑ 万国アノニマスさん
(当時の写真は)30秒以上ポーズを維持してないといけないから笑うのはちょっと難しい
自分がオタクだからかもしれないけど女性はみんな魅力的に見える
17万国アノニマスさん
どうして無知は全てをカラー化しようとするんだろう
自分はこういうのが抱きらいだ、写真に対する解釈が完全に失われる
実際には何色だったか馬鹿には分からないはず
基本的にはクリスマスの塗り絵みたいなものだよ
どうして無知は全てをカラー化しようとするんだろう
自分はこういうのが抱きらいだ、写真に対する解釈が完全に失われる
実際には何色だったか馬鹿には分からないはず
基本的にはクリスマスの塗り絵みたいなものだよ
19万国アノニマスさん
本当に素晴らしいな!
いつもの二次元オタクなスレと違ったものを見れて良かった
どこでこういう写真を集めてるのか聞いてもいい?
本当に素晴らしいな!
いつもの二次元オタクなスレと違ったものを見れて良かった
どこでこういう写真を集めてるのか聞いてもいい?
↑万国アノニマスさん
J・ポール・ゲティ美術館やハーバード図書館のサイト
あとは長年自分が4chanで集めてきた画像だね
前者のサイトはどちらも画像を保存するのが面倒くさかったりする
あとは長年自分が4chanで集めてきた画像だね
前者のサイトはどちらも画像を保存するのが面倒くさかったりする
23万国アノニマスさん
本当に素敵な画像だったよスレ主
19世紀の日本は本当に素敵だね
19世紀の日本は本当に素敵だね
24万国アノニマスさん
日本の歴史を学びたくなってきた
日本の歴史を学びたくなってきた
25万国アノニマスさん
ありがとう
これは素晴らしいコレクションだね、ここ数年で最も楽しめたスレだよ
これは素晴らしいコレクションだね、ここ数年で最も楽しめたスレだよ
26万国アノニマスさん
こういう写真は楽しいね、サンキュー!
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コメント一覧
通りの写真とか鹿とかもポーズ維持しててくれたの?
思った。あんまり変わってないね
防火頭巾?してる、水かぶって消火活動するんだろうな
魚屋の写真は天秤がブレブレで笑うw
見えないところに台を置いて支える工夫が欲しかった
どうして無知は全てをカラー化しようとするんだろう
自分はこういうのが抱きらいだ、写真に対する解釈が完全に失われる
実際には何色だったか馬鹿には分からないはず
これは当時の人が主に外国人のお土産用に彩色した物なんだが
当時はホントのんびりしてたんだねえ。
自然が豊かなのもあってノンビリした雰囲気に見えて良いんだろうな
今の西洋風に平面になった構造よりも、高低差付けた立体の美しさを出しているように見える。
こういうのは森を歩くようでわくわくする。
黒人差別なんて起こる訳が無いんよねぇ
露出を絞る時間の変更(シャッタースピード)の変更も可能とは思うけど
その場合はネガが暗くなるので現像が大変
たぶん上流の生活を撮ることは困難だったろうな
それにしても、この時代に農民がこんなにきちんとした服装をしてるのは先進国でも珍しいよ
欧米の労働者はみんなボロボロだったからね
技術そのものは素晴らしいと思うが
蔓延するとそれが予想された色じゃなくて
本当に当時の色みたいに誤認する人が増えてくる
消火と呼ぶより解体と呼ぶべき作業だったかも?
自分の近くに巨大な炎の壁が迫って来るとその熱を浴びる事になるから作業が済むまで耐える為に肌の露出を減らしてるのだと思う
コメントした人の想定してるものと違ってもうちょっと撮影時間が短いのか?
剥製でも置いたのか?おあつらえ向きに全頭じーっとしてたんだろうか?
台車に乗ってる桶の中身が畑に使われる肥えじゃないかと飼ってに推測している所です
自動車が通れる道路を作るためにすべて切り倒されてしまったんだろうけど……
昔から女性は尊重され、活き活きしてるね。
海にも行って釣りしたい
祖父が子供のころは近所の川に鰻が大量にいたらしいから
それをさかのぼれば更に綺麗だよ
世界的に見ても当時としては珍しい気がする
江戸時代ほどではないにしても、生活圏外へ出かけることもそうないし
機械化が進んでないからできることも限られる
郊外や田舎がのほほんとしているのは当然だと思う
この時代は男にもねーよ。ポリコレフェミきもち悪い。
十分な政治教育ができてない状態で、衆愚政治になる事を避けていたんだよ。
しかも最初は日本らしく家長女にも権利があった(家制度)が、「西洋に倣って」女を参加させるの止めたって敬意がある。
和服着てるだけだべ
そう考えると感慨深い
そりゃオフィスもトラックも無い時代は屋外での労働時間が圧倒的に長いからだろ
欧米人も農家は真っ赤かな顔してたと思うよ
昔は他所の国のように人や犬の💩が散乱してたわけじゃないだろうし、紙か藁か木っ端くらいしかゴミになるものは出ないだろうし、そもそもそれらが一瞬散らばっても、誰かが集めて焚き付けに使うだろうから、基本的にゴミになるものが殆ど無かったんだろう。
でもG20の中では一番チビな部類だという・・・
ダニやシラミが酷いってあったし、多分それが由来だろうね。
敗戦してアメリカに薬品ぶっかけられるまで、シラミに悩まされ続けてた。
今の京都や奈良もこんな感じじゃね?
ほんこれっすわ
皮膚病の件はバードが書いているのは東北の貧しい人たちだったけど、
シュリーマンも「日本人はとても清潔にしているのになぜ皮膚病が多いのだろうか」と書いているでしょう。
シラミばかりは戦後DDTが登場するまでどうにもならんかった。
でも、これは日本に限らないことでもあった。
今ならNHKラジオの朗読の「聴き逃し」でシュリーマンの『シュリーマン旅行記 清国・日本』を聞くことができるよ。
遊んでる土地がいっぱい有るかんじ。
植物が多いと風景が穏やかになっていい
戦後すぐまでの日本にはそのどちらも(有意差が出るほど)無かったので解決できなかった。
今でもホームレスや路上生活者には皮膚病患者多いしシラミもいる
今は清潔でも人間が汚れるのはあっという間だという事だよ
松前藩あたりでの写真なのか?
それにしても立派な衣装を着てるから、上下関係は有ったにしても道義に則った関係が築かれていた感じがする。
あれはシュリーマンの日本びいきが露骨で面白い
公式な場に出る時に良い服を着せている感じだと思う。貸衣装みたいなもん。
蝦夷の蝦夷(アイヌ)を士族待遇にして、庶民なら憧れる立派な武士の格好させたんだけど、そんな格好させられるのは屈辱だとして身分捨てて帰ってしまったみたいな話もあったよーな。
ちなみに樺太経由でチャイナのユーズド品仕入れたりしてたし、本州からも輸入できるから、別にそこまで粗末な格好をしていたわけではないはず。
北海道開拓だって、現地の協力がなければとてもじゃないが生きていけない場所だし、土.人法が制定されて、先住民(土.人)有利な環境も整備されてた。
楽ではなかったろうけど、北海道移民開拓で死にそうになってる人達に比べたら、ましな生活だったはずだよ。
※55
ひいきじゃなくて、事実日本の方が遥かに良い国だったぞ。
前後の清国の状況見ればわかるだろ、戦争と飢餓の連発だぞ?
明治初期やな
白黒写真でしか見たことないけど第二の日光東照宮というかあまりに荘厳で驚いた記憶が。
そらシュリーマンが見てきた中で世界一汚い、ぞっとするほど不潔な街だと天津を評価してるからね。
壮大な建築物、文化遺産を、いまや頽廃し堕落した民族が崩壊するにまかせているのを目の当たりにするのは、じつに悲しく、心痛むことだ、とも。
そんな国の後に訪れたら多少はそうなるかもね。
アヘンばらまいて、戦争ふっかけて、不平等条約結ばせて、奴隷のようにこきつかっていた西洋人が、堕落した民族が崩壊していくぞ自業自得だとか、まぁ西洋人だよねっていう。
それはない
ぜんぜんない
こういう動いちゃってボヤけてるのを見て「写真に撮られると魂抜かれる」とかいうのが生まれたのかしらん?と思ったよ
それじゃ釣れねーよ
韓国人のマネすりゃホイホイ釣れるからやってみな?
良い写真が見れて嬉しい。
ありがとう!
イギリスでは自国でもアヘンを薬として使っていたが、依存性の高い致死性の麻薬に仕立てて周辺諸国にばら撒いてたのはむしろ清の方な。どう擁護しても同罪以上の悪党。
そして清の国内情勢は日本人の書き残した書物とも一致してる。
人種がそれぞれ違うしw
日本では色黒の方が価値が高い。色白が良いとされるのは箱入り娘だけ。
特に農村では、色黒は健康で仕事に精を出す証拠で、色白男はその逆として(働かなくてもいい金持ちでもなければ)差別すらあった。
古事記にも、色白は罪であるとして書いてある。
清でも栽培するようになってばらまいてたから、日本がアヘン乱用に繋がる流通を抑えて、適正に使われるよう取り締まってたらしいね。
大連辺りでは日本がきちんと取り締まりをするから儲けられなくなったので、日本の責任者を排除しようみたいな動きがあって、実際取り扱ってた日本人の不審死も続いた。
チャイナと関東(満州)軍の麻薬利権繋がりが日中戦争へと繋がっていったんだろうか。
みたことないのが結構あったな
たぶん湿度だろうね
今でも熱帯雨林気候(多雨と高気温)の東南アジアなんかは皮膚病が多い
ごめん
露出絞って撮影したらネガは明るくなる
そこからの現像を普通にやると写真は暗くなる
当時は新品の反物は高価で着物を仕立てられるのは上流階級の人間だけ。
庶民は主人や出入り先からお下がりとして与えられたものや古着屋に出回ったものをそのまま着たり仕立て直したりしてきていた。
子供にはそのまたお下がりを仕立て直して着せたりしていた。
だから元の生地そのものは今より高級な品でお洒落な柄も多かったようだ。
実物は何度も洗い張りされて色落ちしたり擦り切れかかってたりしたんだろうけどね。
後ろの人だけ陣羽織をしていない
アイヌの画像を検索すると出てくる特徴的な模様が無い
接待を受けてる船乗りの記念撮影?
階級や貧富の差も激しくて犯罪や身売りする女性が横行して、行政機関すら麻痺するような伝染病がたびたび蔓延していた時代なのに
ネットやコンビニを便利に利用できる現代よりも、身の丈にあわせた暮しかたが羨ましくもある
江戸中期からは庶民でも反物買えるようになってたんじゃなかったっけ。すり切れなんて着てたら乞食扱いだよ。庶民てわざわざ山奥の貧しい農村とかを指すわけでもないし。
まして明治になったら、合成染料などの普及でどんどん値段が下がり、大正時代には庶民でもかつての超高級品なみの鮮やかな衣装が着られた。
※84
>行政機関すら麻痺するような伝染病がたびたび蔓延していた時代なのに
どこの朝鮮史だよ、まじぇまじぇ脳傷害は精神病棟か半島帰ってすっこんでろw
日本人は清潔だとなんども書かれているように、伝染病なんてそう起こらない。ああいうのは人が密集した都会で不潔な生活送ってると起きる物だ。
本当の自分の先祖の姿を見てる可能性だってあるわけだよな
でも西洋の労働者の写真は世界はあまり興味ないんだよね…
何故か『日本が特別貧しくて自分達の国の庶民は貴族のように暮らしてた』と思い込んでる
この当時カメラを所有して日本まで旅行できるのは上流階級だけで、上流階級は自国の労働者がボロを着て働いてるのは当たり前という感覚で高いフィルムを使って撮影しなかった
関東軍特務機関は日中戦争中ですら国民党特務機関とアヘン取引をしていた
そこら中開発しまくりの今は景観が悪いわ
俺らが写真の色調修正を嫌うようなもんか
アイヌじゃなくて蝦夷だろ。蝦夷地の意味がわからんのか。
本州アイヌは絶対に存在しない、なぜなら明治以前に北海道に住んでいた人達につけた総称だから。
アイヌ民族もアイヌ語もアイヌ文化も存在しない。アイヌと呼ばれた人達の中に、複数の民族言語文化が存在したから。
そもそも一般に知られて居るアイヌの昔話に、先住民についての話があるので、本当の北海道先住民ですらない。今アイヌ民族だのアイヌ文化だのやってるやつらこそ、数百年前に侵入してきて、先住民の存在や文化を消して行ってる真の北海道侵略者。
>通りの写真とか鹿とかもポーズ維持しててくれたの?
野外で天気の良い日なら光量が十分だから一瞬で露光するのでは?
野内や天気の悪い日や、紙の質とかで違うと思う
欧米人が誤解した可能性もある。
子供の頃、近所のドイツ人家族にそれで誤解されたことがあった。
流石にオバマ元大統領レベルってのは言い過ぎだと思うが、
日焼けして肌が黒くなる、皮膚の色が変化するってのが当たり前だったんだから
肌の色で差別するって感覚がよく分からんってのは理解できる
西洋人は余裕で戦争に勝てると思ったろう
いえ。分からない。ごめんなさい。
東北地方の蝦夷(えみし)と北海道のエゾが同じ漢字だからそれと勘違い?
魅力が分からないとか、
情緒の無い人かな?
何かノスタルジックな感覚じゃない?
それを西洋文明圏でも感じられるというのが興味深い
色付けは無用やと思うけどね。
また、明治と言っても東京(江戸)と地方じゃインフラにも天と地の差があるしの。
洋館や商館などはもはやガス灯もあったろうに。
田舎に行けば、高層ビルもなく、似たような場所があるからなあ・・・
と言ってもほとんどの人が、和服を着てないが。
奈良県民で観光客じゃ無ければ人間が横にいてもわりとぼーっとしてる。朝早くとか車が見当たらない所で気付いたらいっしょに信号待ちとか。
そら庶民は見たことも無い妙な器械を向けられたら警戒すんだろ
これに限らずガイジンって今の尺度価値観で昔の事を語るから困る
特に日本をバカにする時にこの傾向が顕著
服の上からでも明らかに健脚なのが分かる
力士の人とかハワイ勢の参入で超重量化するずっと前だし
上背はなくとも今とはまた違う「力強い相撲」が見れそう
よく理解できずにいたが、海外の人が日本の原風景に郷愁めいたものを感じていることで
なんとなく理解できたように感じる。洋の東西を問わず、郷愁を誘う風景って素敵だと思います。
京都来たことないんだろうなw
日本的なものをとことん貶して西洋のサ.ルまねばっかりしてたせいで
どれほど貴重な文化が失われたことか
直ぐに錆びて折れるだろうに
そのおかげで権力握れた公家薩長中心にそういうやつもいたけど、そうでないやつも沢山いた。なので大正時代くらいまでは和洋折衷で良い感じだったと思う。
破壊は災害によって失われる事で大きく進んだのだと思う。特に関東大震災などの震災とアメリカの民間市街地空爆によって。
西洋美化日本貶めは、フランス傾倒とかの人が多いね。あそこはサヨク革命勢力の根拠地だし。最近はサヨク系キリシタン?なんかが1番活動してるんかな。
沈黙で日本人は悪で咎人だとプロパガンダ、長崎の世界遺産でも日本人は悪で咎人だとプロパガンダし続ける。完全にキリスト教が日本侵略しにきてる。
>>19
>>39
古い白黒写真の感光剤は、青色より短い波長の光のみを吸収するため,黄色や赤色には感光しない。
だから、肌の色が、暗くなったり、唇の赤も黒色のようになったりします。
要は、肌が黒く写っているのは、日焼けしているからではなく、紫外線に近い波長で撮影しているからです。
緑色から黄色まで感光して、人間の目で見た印象と同じぐらい正確な濃度の白黒写真が普及するのは、日本では昭和初年ぐらいからですので、幕末から明治の肌が特に黒かったわけではありません。
1878年から乾板が普及しはじめ1~3秒でシャッターが切れるようになるんだよ
いまのITほどではないが、20年も違う技術を同列に扱ってはいけない
今と違って日差しの下で働くのが当たり前の人間が大半で、車もバスも電車も自転車すらもなく、日差しの下を歩いて活動している人達が、今と比べて肌が焼けてなかったわけがない。
洗浄剤で毎日皮脂や垢を十分に落とす事もなかったろうし、肌が今よりも黒ずんでいるのも、同じ日本人だからこそ当然そうなんだよ。
なにが気に触ったのかしれないけど、そんなことは当然でしょう。
当時の写真が、正確な色を記録できなかったということは、科学的事実です。
日本人に限ったことではなく、西洋夫人のドレスだって、赤や緑の美しい色が、黒く写ってしまっています。
500nmより短い波長でしか感光しない材料で撮ったら、現代人の肌もかなり黒く写ります。
何が気に障ったのかしれないけど、今より日焼けしていたという話題に、
>肌が黒く写っているのは、日焼けしているからではなく、紫外線に近い波長で撮影しているからです。
などと、色調調整された写真に対して事実誤認を招くような言いがかりをつけている人が居たから、書いたまでですよ。
本州にもアイヌいたはず
蝦夷はいたけど中世までに大和に同化
アイヌは北海道だけだよ
青森県にはアイヌがいました。特に津軽には、1800年頃まで、アイヌの集落があって、
当時の人別張には、日本式の名前ではなく、「クニキラタ」とかアイヌ名で載っている家がある。
その後、同化が進んで行ったけれど、今でも大間のマグロ漁師さんとか、アイヌ系の彫りの深い
顔立ちの人は多い。
専門的な論文としては、
田中桜子さんのブリティシュ・コロンビア大学の論文
"The Ainu of Tsugaru" 検索すればpdfで全文読めます。
明治の末から大正頃でも、普通乾板は、500nm以下で、整色乾板でやっと600nmぐらい。
赤い色の波長域まで捉えられる白黒写真乾板の「全整色乾板」が、昭和初年頃にようやく、半分ぐらいの普及率になった。だから、幕末明治の頃の写真の肌は色黒なんです。
東京芸大の吉田 直人・鴈野 佳世子・平 諭一郎・石井 恭子らによる
『モノクローム資料写真をもとにしたオリジナルの彩色推定に関する基礎的検討』
「青色より短い波長の光のみを吸収するため,初期の写真は黄色や赤色には感光せず,このような色の
被写体は相対的に暗く写る特徴があった」
その頃の小説によくそういう記述が出てくるけど、こういう写真をみるまではどういうことなのかよく分からなかった
そういう意味では彩色された写真も興味深い
白米を食べてると色黒にはならへんのやで。玄米とか雑穀とか食べてるとチビで色黒になる。
同級生で白米食べないって奴がおっていっつも玄米食べてたけどこのスレの写真みたいやったよ。
感じとしたら、いつも玄米食べてるとジャッキーチェンみたいな体格の大坂なおみみたいになるんですよ。
日本に来た外国人も当時の日本人はチビで色黒で貧相なクセにやたらスタミナがあったみたいなこと書いてますよ。
西洋の彩色肖像写真と「横浜写真」とは、かなりの違いがあります。風景写真に対して、横浜写真のようなみごとな手彩色は西洋では行われませんでした。ベアト、シュティルフリート、日下部金兵衛、ファルサーリ、玉村康三郎という写真家たちによって、「横浜写真」がつくられたわけですが、ベアト頃のものは、顔料系の絵の具を乾いた印画紙の表面に塗っていました。その後の日下部金兵衛や、ファルサーリに雇われた手彩色職人は、染料系絵の具を湿った表面に塗るようになっので、染料が卵白の層に染み込んで、写真の粒子と融和し、違和感のない彩色が可能になったもので、これは日本独特のものです。
ただし、天然染料が退色する一方、化学染料の赤だけが目立ってしまっていたりして、彩色当時の美しさは失われています。また同じ写真でも、職人がまったく違う色に塗っているものも多いのと、当時の写真が青と近紫外線しか捉えていないので、可視光線の領域全てで撮影された昭和時代以降の白黒写真とは異なる点があります。
観光用の鹿だと思ってたよ
一応春日大社創建時から居るよ。
奈良時代:保護
平安時代:会えたらラッキー
室町時代と信長:コロすと死刑
江戸時代:死刑なくなり角きりして共存
明治大正:減らして増やしたり無茶苦茶
昭和:戦争中の食料不足で密猟で減ったから増やす
どっかに年表あるよ。
ゴミは俺がガキの頃(1980年代初頭)は今より街に落ちてたよ。
みんな結構ポイ捨てしてた。俺も空き缶とか歩道に捨てたなあ。
タバコは吸い終わったら道にすてて踏んづけてグリグリやって火を消すのがデフォ。
80年代中盤ぐらいから、なぜかみんなポイ捨てしなくなって、俺もなんか捨てづらくなって捨てなくなった記憶がある。
心霊写真みたいになっててこえーわ
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