引用:http://boards.4chan.org/int/thread/66188301
スレッド「親愛なるドイツ人と日本人へ:君達のおじいちゃんは第二次世界大戦で戦った?何か戦争の話を聞かせてくれた?」より。
(海外の反応)
1 万国アノニマスさん
親愛なるドイツ人と日本人へ:君達のおじいちゃんは第二次世界大戦で戦った?
何か戦争の話を聞かせてくれた?
アメリカ人の友達はおじいちゃん譲りの話をしてくれるんだけど
ドイツ人や日本人からそんな話を聞かないんだよね
何か戦争の話を聞かせてくれた?
アメリカ人の友達はおじいちゃん譲りの話をしてくれるんだけど
ドイツ人や日本人からそんな話を聞かないんだよね
2 万国アノニマスさん
実際に戦争の恐怖を体験した人はそれを喋りたがらない
↑ 万国アノニマスさん
それでも話すことは可能なの?もしくはドイツではタブーなの?
↑ 万国アノニマスさん
仮に人を撃ち殺したり爆死するのを見て
明日起きたら死んでいるかもしれない恐怖がずっと続くという酷い状況だとして
それを思い出そうとしたり、他人に話そうとするだろうか?
戦いたくもないのに戦って殺されたくないから殺していた、誇れるようなものじゃない
戦争はスピルバーグ監督の映画じゃないんだ、永遠に人生がめちゃくちゃになるんだ
明日起きたら死んでいるかもしれない恐怖がずっと続くという酷い状況だとして
それを思い出そうとしたり、他人に話そうとするだろうか?
戦いたくもないのに戦って殺されたくないから殺していた、誇れるようなものじゃない
戦争はスピルバーグ監督の映画じゃないんだ、永遠に人生がめちゃくちゃになるんだ
3 万国アノニマスさん
一度、大叔父がアメリカ兵との面白い話をしてくれた
地下室で1人泣いてるところを見つけてしまったらしい
地下室で1人泣いてるところを見つけてしまったらしい
4 万国アノニマスさん
母方の父親はロシアに上陸した帝国陸軍兵士だと母親が言ってた
数年前に本人が死んだのでサハリンか本土かは分からないし
戦争のことは全然話してくれなかったと母は言っていた
父方の祖父の弟は東南アジアのどこかで行方不明になってる
数年前に本人が死んだのでサハリンか本土かは分からないし
戦争のことは全然話してくれなかったと母は言っていた
父方の祖父の弟は東南アジアのどこかで行方不明になってる
↑ 万国アノニマスさん
なるほど
自分から聞いたことはないけど、俺の家族は朝鮮戦争やベトナム戦争の話をしてくれた
でも詳細は全然聞かされてないね
自分から聞いたことはないけど、俺の家族は朝鮮戦争やベトナム戦争の話をしてくれた
でも詳細は全然聞かされてないね
5 万国アノニマスさん
片方の祖父はロシアで戦車の指揮官をしていて
もう片方の祖父はギリシャで切り込み部隊をやってた
悲しいことに両方俺が生まれる前に死んでしまったよ
もう片方の祖父はギリシャで切り込み部隊をやってた
悲しいことに両方俺が生まれる前に死んでしまったよ
6 万国アノニマスさん
俺の祖父はアメリカ人で監視塔に駐留していたらしい
俺の祖父はアメリカ人で監視塔に駐留していたらしい
7 万国アノニマスさん
俺の祖父母は成りすましの中国人・日本人・韓国人を殺したらしい
凄く誇りに思うよ
凄く誇りに思うよ
↑ 万国アノニマスさん
台湾人はみんな嫌いなのか(笑)
8 万国アノニマスさん
祖父はパプアニューギニアで砲兵だった
これのせいで聴覚障害になり、上手く話せないため脳も弱っていった
もう片方の祖父はブリスベンのディーゼル発電機の機械工だったので
戦闘は目撃しなかったけどアメリカ人をたくさん見ているはず
祖父はパプアニューギニアで砲兵だった
これのせいで聴覚障害になり、上手く話せないため脳も弱っていった
もう片方の祖父はブリスベンのディーゼル発電機の機械工だったので
戦闘は目撃しなかったけどアメリカ人をたくさん見ているはず
9 万国アノニマスさん
俺の祖父は開拓団の一員として満州に行ってる
戦う準備はしていたものの若すぎたせいで戦闘しないまま1945年を迎えた
人間が飲める水が無かったと言ってたよ、飲む前に沸騰させないといけなかったから
俺の祖父は開拓団の一員として満州に行ってる
戦う準備はしていたものの若すぎたせいで戦闘しないまま1945年を迎えた
人間が飲める水が無かったと言ってたよ、飲む前に沸騰させないといけなかったから
10 万国アノニマスさん
俺の祖父はアメリカ人から橋を守ってた
長い包囲戦の後に眠ってしまい、起きたら橋が全てが無くなってたので家まで歩いて帰ったらしい
ちょっと脱走に該当しそうだけど、その後すぐに戦争終わったからね
俺の祖父はアメリカ人から橋を守ってた
長い包囲戦の後に眠ってしまい、起きたら橋が全てが無くなってたので家まで歩いて帰ったらしい
ちょっと脱走に該当しそうだけど、その後すぐに戦争終わったからね
11 万国アノニマスさん
祖父はしばらく満州に住んでいて
危険だったので毎日ピストルを持っていかないといけなかった
太平洋のどこかで戦ってて、空腹のおかげで死の淵から数回逃れたらしい
食べ物を求めて野営地に帰ると破壊されていて友人は死んでいたという
さらに戻ってみると友人がペットの猿を食べていたのを見かけたそうだ
祖父はしばらく満州に住んでいて
危険だったので毎日ピストルを持っていかないといけなかった
太平洋のどこかで戦ってて、空腹のおかげで死の淵から数回逃れたらしい
食べ物を求めて野営地に帰ると破壊されていて友人は死んでいたという
さらに戻ってみると友人がペットの猿を食べていたのを見かけたそうだ
12 万国アノニマスさん
祖父はヒトラーに会ったことがあると語っていた
戦争が起きる前、学校で優秀だったので訪問してきたらしい
戦争中はポーランド陸軍にいて飢餓状態でペットの猫を食べざるを得なかったそうだ
祖父はヒトラーに会ったことがあると語っていた
戦争が起きる前、学校で優秀だったので訪問してきたらしい
戦争中はポーランド陸軍にいて飢餓状態でペットの猫を食べざるを得なかったそうだ
13 万国アノニマスさん
オーストラリア人の意見は求めてないんだよなぁ
オーストラリア人の意見は求めてないんだよなぁ
↑ 万国アノニマスさん
今さら遅いぜ
14 万国アノニマスさん
スレ主はどうなんだ?
君のおじいちゃんは朝鮮戦争の話をしてくれるの?
スレ主はどうなんだ?
君のおじいちゃんは朝鮮戦争の話をしてくれるの?
↑ 万国アノニマスさん
こっちが先に質問しているというのに
まぁでも朝鮮戦争の話はしてくれるよ、ぶっ飛んだ内容は特にないけどな
まぁでも朝鮮戦争の話はしてくれるよ、ぶっ飛んだ内容は特にないけどな
16 万国アノニマスさん
もう死んでるけどおじいちゃんは青師団にいた(ドイツ軍に加わったスペイン義勇兵)
実際話そうとしてくれたけど、当時は俺が幼すぎて興味が湧かなかった
実際話そうとしてくれたけど、当時は俺が幼すぎて興味が湧かなかった
17 万国アノニマスさん
俺の祖父はどちらもヒトラー時代まだ幼くて戦争に行くには若すぎた
なので当時のドイツのことについてを大体話してくれる
曽祖父は戦時中に寒さからロシアで足を切断し
別の曽祖父は兵舎を爆撃している時に死亡している
俺の祖父はどちらもヒトラー時代まだ幼くて戦争に行くには若すぎた
なので当時のドイツのことについてを大体話してくれる
曽祖父は戦時中に寒さからロシアで足を切断し
別の曽祖父は兵舎を爆撃している時に死亡している
18万国アノニマスさん
祖父は97歳だけど一切戦争のことは話さないが、政治的見解は全く変えてないよ
祖父は97歳だけど一切戦争のことは話さないが、政治的見解は全く変えてないよ
どうやら昔は東部戦線にいて、犬を訓練していたらしい(目的が気になる)
そして手榴弾の破片で首を負傷している。知っているのはこれで全部だ
そして手榴弾の破片で首を負傷している。知っているのはこれで全部だ
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アメリカなら武勇伝になりますが日本やドイツはペラペラ喋る雰囲気ではないですよね…
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コメント一覧
というか20代の俺の祖父母だと戦線には行ってないから空爆とか防空壕の話くらいしか聞けない
曾祖父母は皆死んじゃったし顔も知らない
もう70年以上も昔の話だから歴史上の出来事と化してきてるな
大政奉還とかの出来事とそう変わらない印象だわ
妄想じゃない、本当の話をして貰えてる?
最終的な階級は少尉だって言ってたんだけど職業軍人じゃなかったんだよな。
他の上官がもう生き残ってなかったのかな。
話してくれるから聞いてんだろよ
アホが国を背にしゃべらないでいただきたい
戦後もずっとそのノリで運転してるとしか思えなかった
羨ましい
べらべら話すのは被害にあった側か、遠くから攻めた海軍や空軍。
陸軍なんて。。。無理だろ。
中国に送られ現地で緑内障が発症し、そのまま退役帰国。
実家に戻るとき北九州での空襲で死亡。
大伯母は戦後、再婚するまで恩給もなく非常に貧乏だったらしい。
(自分の祖父は話してくれるんだけど)みんなの祖父はどうかななんて会話どこにあった?
国民性なんだろうな
モールス信号とかを教えてくれたぐらい
お陰で日系人社会では恨みの伝播が起こらなかったという
ある日、半島から来た人が川で米や野菜を洗ってた。その川上で子供にオシッコさせてたって何度も聞かされた。
満州から沿岸部に行き日本に戻る船だと聞かされて乗ったのにロシアに連れて行かれて
そこから西へいく途中の列車から飛び降りた人は凍って死んだのだろうとか
日本に帰れた頃には農地改革で土地も無くなり物価も上がっていてほとんど無一文状態だったとかな
それを支えるネ卜ウヨwwww
沖縄に行く予定だったが、肝心の輸送船が出ずに
そのまま宮崎の駐屯地に足止めされて終戦。
しかしその後もすぐには退役にならず更に1年駐屯。
現地で退役したらしいが、
ひどく部下を殴っていた下士官連中はさっさと逃げ出し、
軍犬や軍馬を欲しがって近隣の農家からヒトがわんさか訪れ
中にはそのまま男手が足りないってコトで
村に根付く兵士もいたらしい。
今の30~40代くらいの人が子供の頃に聞いたことはあるだろうけど
当時戦地に行っていたとしたら、今90前後だから、今後は戦中の実体験の話を聞く機会はどんどん減っていく
なんだこれ
質問してる人間に質問しちゃいけないのか?
たまに10まで言わないと話が理解できない遅れいるよな
コミュ障ってやつ
戦後の密入国朝.鮮.人は最悪だって聞いた
とにかく冬寒かった事と朝起きたら隣の人がカチカチになって亡くなってた事そしてロシア兵が意外とフレンドリーだったってさ
満州に先発隊みたいなのでさっと行ってきたと言ってたな
口数が少なくて嘘をつくような人ではなかった
そいつらはもはや国を捨てたどこの国にも属さない浮浪者
朝鮮社会をつくることを放棄し日本社会に馴染もうともしない屑はさっさと駆除してよかったのにな
残虐なエピソードが聞きたかったんだろうな
後は中国人と仲良くなってコウノトリの巣を見せてもらったり、麻雀や阿片を一緒にやったりしたらしい。
それから暗闇で部下に日本刀で切りつけられたけど、キラッと光ったのがわかったから飛びのいて命拾いしたとか…
中国語できるのを自慢してたし、面白かった。大人になってから、もっとちゃんと聞いとけば良かったと思ってる。引き揚げとかの辛い面は話してくれなかったし。
戦場で何があったか喋らないのは
世界共通なんだよね。
ベラベラ喋る奴は、戦場で戦ってない。
徴兵期間が終わったと同時に現地で再徴兵。w
「長男だったらそのまま帰れた」とよく言ってたらしい。
しかし終戦まで居ることは無く
南方戦線に送られることになったが、港まで来た時に
突然退役OKで帰国。
戦闘については一体誰と戦っているのか解らないくらい
長閑だったらしい。
ただ、物資の現地調達は恨みを買うから良くないと言ってたそうだ。
残ったのはサルみたいなやつばかり
五人兄弟姉妹バラバラになりながらも全て帰国できたけど
本当に大変だったらしい
学校の朝礼で頭上を飛行機が飛んでって、遅れて警報が鳴らされたとか、疎開先の茨城で畑仕事手伝う代わりに食料わけるという話しで手伝ったら、最初に話してくれてた量の半分もくれなかったりとか。
ずっと兵庫の都会で住んでたから、疎開して初めて松葉さらえ手伝ったとか。そんな他愛もない内容だけど。
食われたところは、えぐれてたたよ。
祖母は未だにロシアを嫌ってる
母方の方も戦地には行かなかった、ただ空襲で家が燃えそうになり母方のじいちゃんが屋根に上って濡れ布団で一生懸命鎮火したと母親(戦後生まれ)に語ってたそうな
その当時の様子と戦後の様子も
でも一度も敵国を悪く言っていないよ。
立派だと思った。
後から知った話では、帰ってきてしばらくの間は眠ると凄い悪夢を見るのか、暴れたりして大変だったらしい。
今でいうところのPTSDだったのだろうね。
自分が祖母から良く聞いた話は、東京大空襲の事だ。
焼夷弾が落ちてくる音が恐ろしかった事、祖父の家は高台だったので、下町が燃えているのがよく分かったそうだ。「夜なのに炎でまるで夕焼けのように空が染まっていた。」と言っていた。
あとは、次の日下町の様子を見に行った祖父が三日間帰って来なかったので心配していたら、青い顔をしてフラフラになった祖父が戻ってきて、「下町は地獄のような有様だ…」と言ってぶっ倒れるように寝た事だな。
沖合にいる軍艦にボートか何かで向かってる途中に肝心の艦が沈んで
代わりの配属が決まる前に戦争が終わったらしい
あまりの餓えに耐えかねて友人5人とこっそり抜け出して松の実を取りに行ったが酷い雪で帰ってこれたのは爺さんともう一人だけだったそうだ
多分他はみんな凍死したんだろうとも言っていた
「強制連行されてきた!」
あ、そう。それいつ?どこに上陸?どこに住んでた?どこに配属?いくら貰ってた?隣近所の家の名は?母国での住所は?住民票見せてみ?何故今でも通名?何故帰国しなかった?等々
これら全てに辻褄合わせるのは無茶だよな。「戦後密入国(+密出国)」以外はさ。密入国は犯罪、犯罪継続中だよ~。
台湾では、戦後に大陸から乗り込んできた国民党と元日本人だった台湾人の間にゴタゴタがあって、
全土で大規模な暴動が起きた後、送り込まれてきた増援に鎮圧されて、台湾全土が戒厳令状態のままになったんで、戒厳令世界最長記録は、台湾が持ってたりする。
負け戦の話なんか普通は話したくないよなあ
うちの爺さんは衛生兵だったそうだけど具体的なエピソードはあんま話してくれなかったな
スパイ容疑で捕まったらボコボコにされるのを恐れて街に入っても人っ子一人いなかったって言ってたわ
韓国人は終戦直後の日本への引揚者にリンチしたりしたのはなかったことにしてるよな
地主やってたから徴兵上手く逃れたとかどうとか
当時やってた旅館へ、終戦間際に東条英機がお忍びで泊まりに来たって話くらいかな
どうも最初は、飛行機乗りになりたかったみたいなんだけども、詳しいことは分からない。
お陰でしょっちゅう里帰りするもんで、あの家の兵隊さんは非国民ではと噂されたとか(笑)
本当に何も話さなかったジジイは成りすまし朝人だからwwwwwwww
入院したとき周りが年寄りばかりだから戦争の話でも聞こうと輸送部隊だった隣の爺さんと喋ってたら、他の爺さんが「若い子に戦争の話を聞かせるもんじゃない!ペラペラと…」と怒り出したとかあったからね
その怒った爺さん顔が厳つかったから間違い無くヤッてるよあれは
自分は北東北だが、当時日本海沿いに住んでて就学前だった親父が県庁所在地が空襲受けた日の事を話してた。真っ昼間なのに其所だけ夕方の様に空が真っ赤で不思議な光景だった、後にそれが空襲の真っ最中だったと知った、と。
市街地ばかり焦土にしてくれやがって正義ヅラ、まさに勝てば官軍よ。
それ以上のことは勿論帰ってきてないので聞いてはいないけど
※57
戦後、空襲で焼け野原になった家に帰って来たと思ったら近所に知らないガイジン(ええ、自称強制連行()された方々ですw)が勝手に土地を区切って住みだしてたので周囲知人の土地だけでもと確保して持ち主や男勢が帰ってくるまで凌いでいたという。ちなみにその近くの全国でもそれなりに知られた神社では近年でも定期的に謎の延焼"事故"が起こりますorz
逆に祖母は若い時に民間人だった父を船毎沈められて失くしてるので戦争を嫌ってた。
イラク戦争でもだけど、一番危険なのは銃を持ってる連中じゃないんだよな。
わざわざ銃もってる連中は襲わないよ
補給をする民間人を殺せば危険な兵士も無力化できるんだから。
母方の祖父は大陸に出兵した事しか生涯語らなかった、祖母は満州から母を何度も捨てては拾いを繰り返しながら命からがら広島に引き揚げて、着いた広島湾で絶望したらしい。
赤子は泣くけぇ一緒に逃げようる人に迷惑かける、ゆうて他の母親は捨てようるのに、自分はどうしても出来んで、他の母親に申し訳のうて肩身が狭うてと泣きながら一回だけ話してくれた。
ドイツ人も言ってるが、本当の地獄を見た者は多く語らないんだと思う。ww2の事を大きな声で語るのは常に「勇敢で紳士的」な米兵と「絶対的な被害者」の特定人種だけ。
広島の被爆者も本物は案外中々話してくれないよ。
あまりの事にそこだけ記憶がない人も少なくない。
>何か戦争の話を聞かせてくれた?
お前の親日派の爺さんに聞かせてもらえよボケ。
俺が仮に前線に行って帰ってきたとしたら記憶に蓋してしゃべらんと思うよ
リアルグロとか思い出したくも無い
家にある古い写真の中には、祖父ではない親戚(?)の人が太平洋戦争直前に満州の新京で撮ったと思われる、軍服姿の集合写真がある。
母親・妹(未婚)・嫁・娘x2・生まれたての長男という凄い構成だったので
仏印で前線ではなく補給関係の役務につかせてもらった
もう一度仏印に行きたいと死ぬまで言っていたが、ベトナムもカンボジアも
政情が悪すぎて連れて行ってあげられなかったのが残念だった
現地人に優しい日本人は助かったんだと。
現代でも中国人研修生を奴隷のように扱ってた日本人経営者が殺されたりしてたけど、中国人って恨みに思うと必ず報復するんだな。
満州帰りの衛生兵だったウチの亡くなった爺様は、戦後何十年経っても、いつも救急箱を手元に置いて手放さなかったよ。そして生涯をPTSDに悩まされた人だった。
敵対していた米兵を悪く言うことは無かったし、差別も嫌いな人だったけど、朝.鮮.人だけは大嫌いだったよ。
この見解はヘン
今の子供たちには関係ないんだ。もう許してくれよ
父方は自分が生まれる前に亡くなっているのと太平洋戦争中は兵隊じゃなくてスパイとしての参加だったらしいからほとんど何も話さなかったらしい。中国やフィリピンにいた、終戦後引き上げてくるときは偽名を使って必死になって帰ってきた、くらいの話しか聞いたことがない。
まあどっちにしても戦争の事なんかあんまり話したい事ではないんじゃないかな
父は東京大空襲で家や家族を失ったらしいけど、つい最近までその事話さなかったから聞いた時は凄くびっくりしたわ
それは日本に逃げてきた在m日でしょう。戦争時や終戦直後の敗走での朝m鮮m人は特に問題なかったよ。敗戦後にGHQに統治され以降に日本にいた在m日朝m鮮m人がめちゃくちゃしたんだよ。要は戦争を経験した老人じゃなく「戦後の日本の惨状」をみた老人達が「在m日だけは信用するな」だ。そこはうちも言われてたよ。
平民に聞かせるには後ろめたい事をしたから話せないのだと何故考えないのだろうか
『水子の譜(うた)―ドキュメント引揚孤児と女たち 』
兵士として出て行った人も、戦後に自分たちの行動が全否定されたとなれば、言いたくもなくなるよ
語ってくれる人は相当勇気を出して伝えてくれたと思う
自分の祖母(祖父はどちらも既に他界)からもそんな話を聞いたことはないな
自分も聞こうとは思わなかった
代わりに背中を見ていた親が、その教訓を自分に伝えたんだと思っている
雑誌がベトナム戦争での韓国軍の行いを取り上げたら元韓国兵士が乗り込んでテロ・・・抗議しましたw
孫に嫌われるから止めろという犯行動機だったとか・・・・・・・・
え?何に謝ってるの?
無政府状態だったんですし、良い奴も居れば悪い奴もいる。救いが無かったのかといえばそうでもないでしょ。そもそもこの本だって真偽は分かりません。とはいえ実際にうちのじいさんもその仲間もほぼ全員が引き上げに成功しているし、それが結果だと思いますよ。この著者すら帰ってきてるんだからね。
祖父の経験談とは結構な高年齢だね
つーかスレ主はせっかく体験談が集まってるのに性格悪いな
こんな要求するやつに大事な身内の話なんて披露したくないけど人が良いな
でも一昨年亡くなる数ヶ月前に「実は俺は陸軍中野出身で、諜報部員として中国に渡っていたんだ。」って暴露されて驚いた。詳しく聞く間もなく病気で倒れて意識が混濁しちゃったから本当かどうかわからないけど…。
「あの地域は朝cho鮮sen人jinが多くて危ない」とか朝cho鮮sen進shin駐chu軍gunがどうとか言ってた
その頃俺は小学生だったから理解できなかったけど、今思えばちゃんと聞いとけばよかったとめちゃくちゃ後悔してる
あとじいちゃんが毛嫌いしてたのは朝asa日hi新聞だったw
NGワード多すぎるぞ!このクソブログ
「川がすっごい氾濫して、すっごい怖かった、みんな必死で村の人助けた」
って、ばあちゃんが聞いたのを憶えていて
黄河決壊事件ってのをしって、あー、じいちゃんが遭遇したのはこれかー、と思った
銃弾くらったことを武勇伝として酒の席でよく言ってたと葬儀で聞いた。
戦争については、「あんだけ頑張ったのに貰ったのは紙切れ1枚ぐらいのもんだ」とかなんとか言ってたらしい。
何か海部首相の名前で書かれた賞状みたいなのを昔見たから、紙切れはそれのことだと思う。
今の韓国の若者はそれ以降に起こった
島民の5人に1人、6万人が殺 された「済州島四・三事件」や最大120万人が虐 殺 されたと韓国の遺族会や研究団体が主張をする「保導連盟事件」や、
被害者も来韓をしてその被害を訴えるも、韓国の退役軍人会から「殺 せ!」等の暴言を吐かれてもいるという、ベトナム戦争時の、少女を含めた韓国軍による大規模な性犯罪、その被害者の子弟も含めた数万人単位の「ライタイハン問題」等について、きちんと当事者から説明を受けているのだろうか。
また更にその後の同じく数万人規模のフィリピンとの「コピノ問題」、東南アジア島嶼部の少女たちが韓国漁船員に襲われるという「コレ・コリア」問題等について、きちんとした認識を持っているだろうか。
またこれらの問題について、韓国政府は、日本政府が韓国側の主張をする「慰安婦問題」に対して行ったと同程度の調査や補償をしているだろうか。
実際には、補償どころか、調査自体も満足に行われてもいない事を、例えばこのスレ主はしっかりと認識をしているだろうか。
「被害」を語りながら、その後の時代に自らがより酷い他者に対する「加害者」となってはいないのか、韓国民は足下をよく見つめ直す必要がある。
けど、それをすべてまとめる人がいない、多すぎる、絶対に誰かが編集する
消され語られなかった部分が、また戦争の火種になるだろう
「無事に帰って来られた」数を母数にすりゃ、そりゃ100%無事だったと言う結果になるわな
問題は無事じゃなかったケースとその割合、あと「戦後の混乱期」を加味しても、とても正当化できない酸鼻な凶悪犯罪の数々なんですが
↑
そういう例もあるかもしれないけど人の名誉を傷つけてるぞ
日本が韓国に嘘だと言うのは証言が変わる、その事実がない(年代も違う)人数も合わない、1990年頃言い出した、条約もある、補償もしてる、レアケースと心情には謝罪も何度もしてるのに、という点があり、韓国人は実質、昔から現在まで偽証が多い。
実際に殺されてるのは、待遇良過ぎて引きこもってネット三昧してた中国人に帰国を促したら刺されたとかだけどなw
強気に出る相手には弱いのが中国人、中国で仕事してる人も優しくしたら逆らわれて仕事にならず解雇する覚悟で強く出たら同じこと言ってるのに従順になったもんで、理詰めで説得しようとしてた努力は何だったんだと嘆いていたw
日本人が排斥されたのも逆恨みだしな。日中戦争前、日本人の商店が定価販売を始めた事でぼったくりする中国人商人の店が閑古鳥鳴いたので一致団結して日本人を襲撃し始めた。中国人の行動は基本逆恨みだよ。
ごもっとも
韓国と中国は、
自国の歴史認識がおかしいって、わかっている層とそうじゃない層と、格差が激しいと思う
聞かされるよ
ばあゃんからなんか特に朝鮮ジンは嘘つきでデタラメだから近付いたらだめって聞かされてる
戦争でたくさんの人が亡くならなかったら本当は生まれていた命があったんだと思うと悲しくなる
将校待遇だったから最初は一軒家の宿舎と現地人のお手伝いさんがいたが、戦況が厳しくなってからはそれどころじゃなかったらしく、特に終戦後の収容所での強制労働はボンボンの祖父には堪えたようだ。
だが生きて帰っただけでもよかった。
学校の授業で聞いてこいみたいなんがあったときに聞いたかな…??
身近な人に話せないようなことを話せるのが、ネットの世界やん…
そこでは嘘でもほんまでも、ええやん…
仲間達と野草とりに行ったら、突如現れたグラマンに掃射されたそうだ。
全員一目散に逃げたけど、そのうちの一人が背後から撃たれて即死。
腹側は大穴があいていて内臓が全部飛び出ていたとさ。
なんの偶然か わしが中学生の頃の先生の体験談がそれだよ 昼は隠れて夜に北極星で方角を確認して徒歩で移動して命からがら帰国できた と語っていた。
たぶん 別人なんだろうけど
祖母・祖父が満州に行っただか住んでたかの話と自分は地主の娘だけどパンの方が好きだから友達とパンとご飯を交換した話
これで戦争を経験して凄いとか生き残って尊敬するなんて感情をどう抱けと
こういうのって日本だけじゃないはずだよね?
いくら知識を得て取り繕っても、やはり滲み出るものがあるねぇ
お里が知れるっていうか…
意味わからんけど、その話が人生のすべてと思ってんのか?
あえて「ほのぼのとした話」だけをしてあげたんだろ
苦労した話を孫につらつら話すジジババって、うぜぇぇぇぇぇ、と思うだろ?
それをわかった上での話だろ、察っしろや
普段お喋りだった祖父だけど、生々しい戦争の話はほとんどしなかったな。
幼稚園の頃、祖父の脇腹に穴が開いてたのを見て、おじいちゃん、どうしてお臍が二つあるの?
と無邪気に聞いた時には流石に話してくれたけど
寒い日には鷹の爪を靴に入れたとか、馬と一緒に寝ると暖かいとかそういう話はたまに聞いた
あいつらはこうやって情報収集して、それを自分達のプロパガンダに悪用するんだぜ
残虐行為の捏造話だけだと説得力ないけど、そこにこういうリアルな話を加えるのさ
例えば「満州では空腹でペットの猫や猿まで食べた」に「敵の人肉まで食べた」を付け加えると、「人肉を食べた」が本当の話っぽく聞こえるべ?
父方爺ちゃんはロシアは信じるなと帰国後大病で若死にしたらしい
最初は満州で終戦間際は中国にいたからあまり嫌な思い出がないらしいw
捕虜になってる間は中国人と友達になったって言ってたしwww
あれがお前のじいちゃんだと教えてもらった
じいちゃんは終戦辺りに生まれたらしい
当時はよくわからなかったが
犬は木に貼り付けて棒で叩いて殺すとか
あと米を密売している人はズボンの裾に隠してるから
ボンタンみたいに膨れてるとか
数年前、軍人会みたいなのが解散するとかで祖父の経歴が送付されて来た。
それによると満州事変後の治安回復に参加、上海上陸から南京戦へ参加してた。
曽祖父は203高地で戦ってたらしい、何だこの軍人家系。
父方の祖父はフィリピンで戦死。
それはそうと中国に行ったらしい母方の祖父は一切しゃべらなかったけど
父方の祖父は訓練だけで終わって前線に出なかったからか厳しい訓練に耐えた事と行けなかった無念さを語ってた
元泊周辺の地図を見せてもらったとか、ソ連との国境線(菊の紋が施された丸太の柵)の記念写真があったりとかそれくらい。
そこさえ理解していれば十分だと思うがスレ主は真実かどうか分からない細かい事を聞いた所で何か満たされるのか?
タイトルも、どうしてドイツ・日本人に対しての投げかけになるのか理解出来ない。
戦争のプロ、アメリカに聞けば良い。
婆さんは大阪にいたから空襲の話は凄かった、あと爆撃機が数キロ先に墜落して数人と見に行って初めて白人を見たらしい
戦後2年くらい帰って来られなかったらしい
母がおじいちゃんは戦争で人も殺してるかもしれない、聞かれたくないだろうからあんまり聞くなって言われてた
おじいちゃんから唯一聞いた話はジャングルみたいな所にいたら現地の人から果物を差し入れてもらったってほのぼのエピソードのみだったわ
現地の人には嫌われてなかったみたいだからこの韓国人が聞きたいような話は出て来なかっただろうね
子供の頃に聞いたら「ワニは不味かった」としか教えてくれなかったけど、
もっといろんなものを見てたんだろうな
それから少し離れた集落で朝.鮮.人が悪さをするし犬を食べてるから近所の犬(特に赤いの)が盗まれてたって言ってた。だから母が小さい頃までは「朝鮮っ子」と言えば侮蔑の対象だったらしい。
だもんで私が小さい頃は何か悪さすると祖父に「お前は朝鮮っ子か!」って怒られたもんです。
地方都市に住んでた小学校時代に、アメリカの戦闘機がたくさんきて
戦闘機から銃でババババって人を狙って撃ってたそうだよ。
逃げるニワトリも追って撃てったというから、ゲーム感覚もあったのかな?
非戦闘員を撃ちたくなかったのかもね?
でもこれがあっちの普通のメンタリティだということは容易に想像がつく。
うちの婆さんは女学生時代に挺身隊として工場で働いて地元以外(ちょっと遠く)の女学生と仲良くなったと話してくれる。
武勇伝のように語るのは自己顕示欲がでかい人位じゃないか。
体験談も怪しいよ。
当然、勝ちに行ってた戦いで敗れた話なんて、兵士ならしたくはないだろう
戦後の苦しい時に凄く助かってずっと感謝してる話を母から何度も聞かされる。
おじいちゃんの方は、どっかで鉄道敷いてたとか何とか。
当時よく喋ってたらしいけど、興味が無かったからちゃんと聞いてなかったとか言ってたね。
横っ腹にある銃創を見せてくれた。
軍属研究員で戦闘訓練も碌に受けてないのに血気盛んな守備隊と一緒にバンザイ突撃して早々に撃たれて死に掛けたようだ。
あと捕虜収容所で裸踊りさせられたと言ってた。
イラクで捕虜に裸踊りさせてたってニュース聞いた時その伝統は今もって脈々と受け継がれてるんだなと感じたわ。
殴り頃しちゃうだろ韓国人は
韓国兵は前線から離れた位置でアメリカ兵が命を掛けて戦ってたのを傍観してたって
聞いたけど・・・
韓国が制作してる朝鮮戦争を題材にした映画って、アメリカの軍人とかに笑い者にされて
るらしいよ。
田舎だったし、鬼気迫るような話ではなかったが、苦労話って感じで
自分の土地にロープが張られていて
朝鮮・人に2箇所の土地を盗まれていた
取り戻すための借金返済に何十年もかかった
祖母は関東大震災時の朝鮮・人による
蛮行と井戸の毒も事実だと言っていた
身の程を弁えろ
金髪だったって嬉しそうに言ってたら婆様に睨まれたwww
戦中の血生臭い話はしなかったな。
私はピアニストしてるんだけど、祖父が満州での唯一の安らぎが夜のラジオ番組のオープニングで流れるシューマンのトロイメライを聴く事だったそうで、日本に帰ったら子供に音楽を習わせるとその時思ったとか。
当時私の母はまだ産まれてなかったけど、祖母と母の上の兄五人を引き連れて命からがら日本に戻った話はしてくれて、その戦争の時の物語は私の名前と私のピアノに
引き継がれてる。
そのラジオ番組のナレーションをしていた素敵な女性のナレーターの名前を付けられた私(笑)
出来事のみをつづったものだが、当時戦争というものは普通のことだったのだと感じた内容だった。
俺の婆様、満州からの帰国船でソ連の潜水艦にボカチンくらってタヒに欠け帰国。
どっちも当時にしては強運な方だと思う。
>うちの爺さんは連隊長の馬係だったので、体罰の度に家に帰らされたそうな(形式上は体罰禁止なので、ばれると連隊長に下の士官が叱られる)
建前的なもんだとしても体罰禁止は初耳。
各隊の方針によっても色々違うんだろうけど、大体はもっとおおっぴらに体罰公認されてるもんだと思ってた。
同民族の黒歴史のジェノサイドをまず語れよ
左翼の小学校教師がお爺ちゃんに戦争の話を聞けと言っていたからその時聞いてみた。
祖父の遺品でもらったものに中国語で書かれた当時の記念品がある。
ちなみに祖父は中国人を嫌っていたようだが、当然日本人と現地中国人の倫理観は違うからしょうがないな
戦友との楽しかった思い出とかは話すけど、
辛かった話は避ける、詳細は話さないとか。
ずっと戦時のこと語ってる老人いるっておかしいと思わないのか 韓国は
軍医だった叔父は日頃から自分の食料を周囲に分け与えて健康面を気遣ってたそうだ。
本当なら確実に死ぬと分かってた戦地に向かう予定だったんだけど、日頃面倒をみてた兵士たちが日本行きの船に乗せてくれたんだって。
もちろん船には脱走兵がいないかを調べる別の兵隊たちも来たけど、乗船してた人たちが命がけで隠してくれたらしい。
祖父の叔父は既になくなっていて、この話は母が親戚から聞いたものだよ。
母方の祖父は大陸の方でトラック運転してたと聞いた。
実家には多分父方の祖父の兄弟達であろう白黒写真があって、海軍の帽子に蒼龍?と書いてあったりパイロットの格好をして写ってる写真を見たことがある。みんな凛々しくてものすごい男前でビックリした。
家の前の電線に爆風で飛ばされた丸焦げの遺体が引っかかってたとか、自宅の庭に防空壕を作って避難していた家が、爆弾の直撃を受けて一家全滅とか。
田舎の家だし、家の跡取りは徴兵されなかったらしいし、教師、役人も徴兵された人少ないんで、戦争に行った身内は知らない。
地元の神社に英霊を祀った碑があるけど、書かれてる名前はそれほど多くなかった。
あと、戦後生まれの両親の話として、脱脂粉乳が相当不味かったらしく、豚の餌を飲まされてたってアメリカを恨んでた。
食の恨みは恐ろしい。
あと教師面して作文を集めるかのように仕切らず、箸を向けられたら手前自身の話もしろよ。都合の良い被害者体験談のことじゃねえぞ。
いっつも言ってた。
子供のころはわからなかったが・・・、今ならなんとなくわかる。
通信基地がある島で標的になったらしい
祖母がまだ少女だった頃の話…
説明してないのに勝手に理解した気や教えた気になるのがコミュ障だと思うが
文脈みても「知人の祖父が戦時の話をしたと」いうのを又聞きした話しかしてないのにどの文脈から質問者の祖父も戦時中の話をしたと拾ったんだと聞いてるんだが
質問前に文脈から質問者の祖父が朝鮮戦争の話をしてたの先読みしてたのは驚愕せざる得ない
ぜひしがないワトソンに順を置いて推理を説明するホームズのように教えて欲しい
蜘蛛すら食べてるし、毒キノコとわかっていても食べるぐらい生への執着
いじめで自殺する子達にはこういう話を知って自分はまだまだ打開出来ると思ってほしいよ
いじめなんて逃げれるが戦場では逃げれないんだからね
政治的見解は変えてないって未だにナチ支持って事なんですかね…
もうそこまで来たら意地なんやろなぁ
帰っては来なかった。
妻(祖母)と(俺の母親含めた)三人の娘が残された。
おじいちゃんは真実を知ってるんだよ
連合国に歪められた歴史じゃなく
キムチ英語とドイツ英語の絡みが面白い。
ワイの祖父母は代々京都の棒財閥企業だから...ワイは何とも思わない。当時から"ある程度の企業務めなら、満州と朝.鮮.からの引き上げは総務部が簡単に手続きしてくれて安全に事は済んだ"と聞いている。棒財閥内での朝.鮮.人.の生活ぶりも聞いているけど...あえてここでは言わない。
ドイツで戦争の話なんてしたら二度と話しかけてもらえなくなるよ。案の定、4chのキムチ英語の末路にワロタ。お前らもドイツ旅行する際は気をつけて。
何故なら当時の兵士はほとんど亡くなってて(年齢的に)戦争体験がある両親は当時子供だった人がほとんどだろうから。
むしろ、日本は長寿だから存命の方は多いほうだと思う。
これは本当にそう。子供のころ何度かせがんだけど、どの人も非常に口が重くて、子供心ながらに、同じように感じるところはあった。ぺらぺら喋る人は、サイコか、イキっているだけ。本当の話か疑ったほうがいい。
おそらく同年代かもなw
確かに双方の話は食い違う部分が多々あったわ
戦時中徴兵された祖父世代と徴兵に達していなかった
伯父世代はメンタリティの違いも如実。
後者はダブルスタンダードがあって祖父世代より謙虚じゃない。
更に戦後生まれた叔父世代はもっと質が悪くてビッグマウスという感じ。
祖父世代はもう黙ってても付いて行きたい後ろ姿があるけれど、オジ達にはそういう敬意は持てない。
彼らは敬意や感謝はされるものではなくさせようとするのよ。
今老人の世代がそういう感じで不快な思いしてる若者が多いと思う(笑)
満州にいたんだけど、敵兵に捕まって強制労働。辛かったわwって感じで。
母方の祖父は第二次世界大戦には行ってないみたい。当時商売で成功して結局母親の母とは離婚したから会った事はない。俺が5歳ぐらいの時に病気で死んだらしい。
自分も小さい頃に聞いたけど一番印象に残ったのは
「朝鮮.人は信じるな」だったけどw
世界中がこの事実を知っている。韓国を除いてw
機銃掃射で近所の女性が蜂の巣にされた事を涙ながらに話してくれたよ。
俺は思う、アメリカ人はケラケラ笑いながら誤射をする。捕虜を拷問する。隠蔽する。米軍にとってはオーバーキルは勲章みたいな物。
機銃掃射→遠隔ドローンによる機銃掃射
アーロン収容所→アブグレイヴ収容所
人間の宗教観、国家観、卑しいマインドはそうそう変わらない。
GHQ憲法の改正には大賛成だが、結局自衛隊は世界の警察の尻拭いをさせられるのだろうか?
日本軍の敢闘がかつてナチスの蛮行と並び称された様に、自衛隊の懸命なる奮闘も米軍の蛮行と
共に歴史の一ページに陳列されるのだろうか?
ドイツや日本の元軍人が「当時の残虐行為を後悔している」、或いは「それが故当時の事を語りがたらない」、という書き込みをさせて改めて戦犯国と卑下したいだけだろう。
きっと同情されたり、誉めてもらったり、自慢できると思ってスレを立てたんだろう。はぁーー、しょうもな。
終戦で周りの人が急に冷たくなって怖かったと言ってた。よく帰ってこれたとよく言っている
それでも朝鮮に悪い印象は無いと言っている、青春時代すごしたから
でもそれ知ったの葬式の時だったよ。
終戦時40歳だった人は110歳、30歳だった人なら100歳。責任ある大人の立場で戦争に遭遇した人たちはもうほとんど生きていないだろう。
家族にすら話さない。子供だった私が聞くと、言葉少なになって異様な雰囲気になったこちを鮮明に覚えている。ああ、これは聞いてはいけないことなんだというのがなんとなく分かった。あの雰囲気は実際に接してみないとわからないだろうね。
語りたがらないというのは、後ろめたいから語らない、とか、罪の意識とか、そんな軽いロジカルな話じゃないんだよなぁ。
家族や恋人が邪悪な日本兵にジープで連れ去られる時、怖くてこわくてガクブルしながら地面に穴掘って隠れてた武勇伝だろ。
聞いたきいたw
爺ちゃんたちが実際に体験した歴史が
あまりにも違いすぎるもんで
話そうという気が起こらないんじゃよ
第二次大戦で戦勝国だった韓国w
おばあちゃんは その後 頑張って 私の父と 叔母を育てました。
今 97歳の おばあちゃんは 骨も入ってない空っぽの お墓を 毎朝 1日も欠かさず 掃除に行きます。
昔は 戦争の事 話さなかった おばあちゃんは 最近 苦労した事を 話してくれます。
おばあちゃんも あっちの人は 嫌いです。
ばーちゃんは大変だ、しか言わなかった
夏休みの宿題で年寄りから戦争の話を聞けという課題があったがあれが大嫌いだった
切ない顔する年寄りに毎年聞くのは酷だったと大人なって気がついた
母方の実家には、シンガポールで撮った写真が飾られてる。
おでこのど真ん中に窪みがあってね。戦争中に銃弾を受けたんだって。
ヘルメットを被ってたから助かったとか。(距離も遠かったんだろう)
親指の第一関節くらいの面積で1cmくらいは凹んでた。
その銃撃で死んでたら、俺の母親は生まれてないし俺も生まれてない
ちゅうかんはwいわせるなよww
亡くなりました。大砲爆撃後に塹壕内で片足切断出血多量だったそうで、
現在の当地農業学校のあたりに埋葬されたと戦友会の方に聞きました。
近所のお爺さんで、終戦時に朝鮮半島の港で勤務していた海軍所属だった方に
聞いた話は衝撃的でした。戦争が終わって日本行きの船に乗るまで地獄だったそうです。
後に読んだ「竹林はるか遠く ヨーコ・カワシマ・ワトキンス著 ハート出版」の記述のままの
様子を話して頂きました。お爺さんは彼の国も人も大嫌いでした。あたりまえですね。(笑)
いつだったか町で偶然、満州で同じ女学校だった先輩と戦後初めて出会った時、懐かしそうに声をかけて、能天気に、自分は運良く終戦1年前に帰国できたって話したら、突然相手は口を閉ざしてしまった。
終戦直後命からがら帰国したその人は、記憶から消したいくらいの経験をしたんだと察したよ。
隊長の死体を戦場に置き去りにしたくないと
銃撃戦の中を突っ込んで隊長の死体を運んでたら
その時だけ敵の銃撃が止んだと聞いたな
敵さん弾切れだったのか紳士だったのか
ほとんどの人はこの世の地獄とも言える光景ばかりじゃないのかな。
そうだとしたら話すどころか思い出したくもないだろうし、ましてやそれを人に話したいなんて考えもしないと思う。
だいたい韓国人は前線ではなく後方で民間人に対して武力奮ってた卑怯者だろうが。
謝罪に来いとか賠償金払えとか言わないけど、少なくとも良い感情はもってないだろう。
このことについてどう思うか聞きたい。
だけど、アメリカを許すなという意味合いは決してない。
大岡昇平や堀田善衛などの戦争体験談や戦時中の中国での日記を読むと、南京虐殺もフィリピンでの虐殺なども間違いなくあった。それは戦争を実行した部隊がおかれた状況や倫理観が各々違ったことによると思う。
問題は戦後にこれを積極的に反省しなかったことにある。
若い世代としては、中間からの嘘の情報や感情的意見がいつまでも続くのには辟易するが、そもそも初めから真実を見ようとしなかったが為、こうもドロドロしてるわけで。
戦後よく中国に旅行に行っていたな、追悼なのか観光なのかは知らんが写真は観光だな。
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