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(海外の反応)
1万国アノニマスさん
お前らが一番好きな戦士や兵士を貼ってみよう
2万国アノニマスさん
3万国アノニマスさん
何でサムライは過大評価されまくってるんだ
↑ 万国アノニマスさん
ボスっぽい見た目だから
4万国アノニマスさん
※ドイツ騎士団
↑ 万国アノニマスさん
ドイツ騎士団は棒を装備したような異教徒に負けまくりなのがなぁ
↑ 万国アノニマスさん
お雇いの軍隊だから気合いが足りないんだ
↑ 万国アノニマスさん
それでもドイツ騎士団は成功を見せている
バルト諸国を制服し、ドイツ化させて、第2次世界大戦の終結まで自分達のものにしていた
バルト諸国を制服し、ドイツ化させて、第2次世界大戦の終結まで自分達のものにしていた
5万国アノニマスさん
↑ 万国アノニマスさん
サムネで熊かと思った
6万国アノニマスさん
ナポレオン軍の胸甲騎兵:かっこいい
ナポレオン軍の胸甲騎兵:かっこいい
7万国アノニマスさん
※ビーア・カルロフ・ドーニア(フリジア人の自由戦士であり海賊)
8万国アノニマスさん
9万国アノニマスさん
プロイセン軍の歩兵
プロイセン軍の歩兵
↑ 万国アノニマスさん
何か惹きつけられる絵だけど
どうしてなのかは言い表せない
どうしてなのかは言い表せない
11万国アノニマスさん
※4世紀のローマ槍騎兵
※4世紀のローマ槍騎兵
12万国アノニマスさん
一番好きなのはローマ軍団兵
これは明白
13万国アノニマスさん
言うまでもないことだが
重装歩兵はローマ軍団兵よりかっこいい
言うまでもないことだが
重装歩兵はローマ軍団兵よりかっこいい
↑ 万国アノニマスさん
当然だな!
↑ 万国アノニマスさん
歴史上最も華のあるヘルメットだよね
↑ 万国アノニマスさん
全然ケルト人らしさが見当たらない
↑ 万国アノニマスさん
ケルト人は非常に多様なグループだった
トルコ出身からスペイン出身までいるので全員が全員決まった見た目ってわけじゃない
トルコ出身からスペイン出身までいるので全員が全員決まった見た目ってわけじゃない
15万国アノニマスさん
俺らはもう自分の運・仲間・度胸・鉄の武器だけで未知の大陸を征服することは出来ない事実
なぜこんな時代に生きているのだろうか
(※ロデレロという中世~近世スペインの歩兵)
俺らはもう自分の運・仲間・度胸・鉄の武器だけで未知の大陸を征服することは出来ない事実
なぜこんな時代に生きているのだろうか
(※ロデレロという中世~近世スペインの歩兵)
17万国アノニマスさん
ヴァリャーグ(※スラヴ系のヴァイキング)
18万国アノニマスさん
これが一番気に入ってる、一応祖先だから(バタビア兵)
これが一番気に入ってる、一応祖先だから(バタビア兵)
↑ 万国アノニマスさん
お前の先祖は馬だったのか?
↑ 万国アノニマスさん
バカなこと言うな、槍が祖先だろ
19万国アノニマスさん
モンゴル
モンゴル
↑ 万国アノニマスさん
モンゴル人ってイラストだと絶対楽しそうにしてるよね
良い暮らしをしてるんだろうなマフディー戦争:19世紀末に行われた植民地戦争。スーダンのマフディー教徒とエジプト、後にイギリス軍が戦った。これはマフディーの反乱とも呼ばれ、イギリスでは自国が戦った局面を指してスーダン戦役とも呼ばれる。スーダンがイギリス・エジプトの共同主権(英埃領スーダン)となる。
22万国アノニマスさん
聖ヨハネ騎士団(1140年)
23万国アノニマスさん
オスマン帝国の装飾はいつの世もかっこいい
オスマン帝国の装飾はいつの世もかっこいい
24万国アノニマスさん
※古代の東欧周辺に住んでいたトラキア人の軍隊
※古代の東欧周辺に住んでいたトラキア人の軍隊
↑ 万国アノニマスさん
↑万国アノニマスさん
幸せの盾なら呪われた怪物から身を守ってくれそうだ!
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コメント一覧
かと言ってクソ弱かったわけでもない
たしかにかっこいいけどコレ絵のおかげだろww
それを馬鹿にする日本人なんてそんなにいるか。
コメント1,2はお仕事だから無視すればいいことだが。
大勢いるところへ少数か下手すると単独で躍り込んで来て恐れを知らない、しかも数などものともせずに確実に敵対した相手を仕留める、って書き残してるよ?
あとモンゴルの子供服(?)の
「もふもふついた帽子+長い外套+ブーツ」のあの格好が激可愛いといつも思う
いつの時代を指して言っているんだか
見掛け倒しというイメージがある。
少なくとも16世紀時点では日本兵最強という事でいいんじゃね?
それでも重装備やめなかったのには理由がある
過大評価でも過小評価でも別に構わないし
元や朝鮮は、刀は兜ごと頭を割った、とか書いてるし、明なんて、全てにおいて専門の兵士並、一人の侍が剣術だけでなく槍は槍兵並、弓は弓兵並、馬は騎兵並みたいなこと書いてる
以上!
解散!
侍カッケーだろ、実際
フルアーマーで集団戦しかしなかった騎士団よりは「勇気がある」って評価だろ?ま、そう言う意味では、モンゴルの騎馬民族も西洋の騎士団よりは上だよな
外国人にサムライオタがいて何がおかしいのか。
現代と同じじゃん。
欧米文化好きな奴もいればアジア、日本オタな奴もいる。
死んでも良いと思ってる奴が怖いのは、
自爆テロを見ても分かる。
侍じゃなくて一応坊さんじゃね?
だが歴史板にしては軽くてこれもイイ
戦士ならではの苦労はわからんが、そういう点に言及なくて残念だ
しかしミリヲタでは会話能力が低いジレンマ
負けるのは勘弁だけど、世界大戦で包囲された時に逸話が残るような戦いを1つでもして欲しかったわ
また日本が起源を主張するのか
侍一人で他の画像の連中瞬殺できるし。
西洋人ども侍のいる時代に日本と戦わなくてよかったな。
当時の日本人は小柄で時代劇みたいにカッコ良くないと思うが根性ありますw
武士のがきっちりしててかっこいいわ
もふもふいいよね、もふもふ
雪国の冬の軍服はもふもふしていて可愛い
フィンランド兵の冬の軍服の柄は雷鳥みたいで可愛い
わざとちっこくて弱そうな画像選んだろ。そもそもコスプレ写真だし。
写楽と西洋写実画の比較画像作ったのと同じ奴か?
侍もそうだが兜は重要なファクターだ。
豊臣ヒデもここから成り上がったんだし
もっと評価されても良い
カッコ良い
山、をなめちゃいけない
刀は技で斬ることが戦術
見ていて面白いのは刀で戦う侍だからな
そんなの応仁の乱の時点で時代遅れだろ?
信秀家の三傑、戦略や戦術が現代的だし
『碧蹄館の戦い』のとある描写より。
大明勢大崩せしなり、其中に、馬に離れて歩立ニ成り、重き鎧を着し、歩行不自由成敵あり、国富源右衛門追付て討けるに、鎧よきにや鑓剱不立、袖長ふして、刀等打巻で是を取るゆへ、切倒す事不成、見上る程丈ケ高ぶして力強く、源右衛門を其侭倒し押へける、刎返さんとすれとも、身重く力強けれハ不叶、喉をひねり殺さんとするゆへ、脇さしを抜て下より突ける、すてニ危き所へ家人来りて敵を引返す、重き物具ニて急ニ起る事不成を、頭打取りける。
翻訳云々ではなく、侍関係の記事の最後のコメントなんかにもそれがにじみ出てるのが結構あって以前から違和感があった。
侍がただ収奪者であることが海外の人にも周知されてきてますね的なコメント見たときはどうかと思ったわ。
この二つは結構違うよね。弓の時代と鉄砲の時代。
和弓は威力が高くて元軍の盾を貫くほど。そんな弓を重たい鎧を着て馬上で正確に射っていたのだから鎌倉武士恐るべし
戦国時代では日本はポルトガルどころか世界で最も銃を保有していたんだから、奴等も植民地支配を諦めざるを得ないな
モンゴル過大評価
日本人の原点だもの。
これから訪れる新しい時代に向けて日本人が一足先に順応しているとは考えんのかね。
そもそも誰を守り誰と敵対してるのか。
その時の民衆への向き合い方はどうなんだ?というところだろう。
いちいち日本人の話に首を突っ込むなや、ゴキブリの分際で!!!恥を知れ!
ゴキにも分かる様に教えてやる。
この戦士ウンヌンにお前らはミジンも関わり無い部外者だから口を挟まないように!!!
分かったら返事は?????????!!!!!!
ベニスの冒険家兼ラノベ作家
のマルコ・ポーロに騙されて
フビライ・ハーンが九州で完全敗北
した物語である
にわか知識乙
西洋でも生身ならスッパリ切られるし、逆に甲冑相手に剣はないわ
ちゃんと鈍器で潰しにいっとる、あっちは武器と防具のイタチごっこの歴史やぞ?
西洋の剣でも研ぎ上げたものは兜裂くような事例まであるからな
敵の宗教の神の名を刻んどきゃ良い盾になるだろな
ワールドクラス、トップレベルなのは間違いない。おそらく最強。
第二次世界大戦時のアメリカ軍最強部隊は、日系人部隊だったしな。
戦闘前に腐食させたマキビシ大量にまいて戦闘後すぐに撤退して逃げまくればいい
数日間逃げたら相手は足の化膿で自滅か戦闘不能だw
侍は武士道と言う哲学まで昇華させた文化があるから違うんだ。
ふざけた名前の大王に敗北したワシのこと…
時々で良いから思い出してください」
つまり、前近代的な武器による戦争ではトルコやモンゴルのようなアジア遊牧民系民族が最強であり、そのモンゴル軍を二度に渡り退けたサムライが最強だということ(文永の役では上陸したモンゴル軍が海上に退避したあとに台風が来、弘安の役はモンゴル軍が上陸できず、やはり海上に退避したあとに台風が来た)。
ユーラシア最弱レベル
臆病さ故の重装が強かったに違いない派の根拠
モンゴルはじめ軽装のアジア騎兵に蹂躙された事実は華麗にスルー
こいつらただの異民族じゃねえ 組織強いし軍事力もあるし とても征服は無理です
って報告してるからな
それ位武力の違いが有る それに屁タレだから欧州は
そういうとこだから
いつもみてるならそんなことわからない?
なんでSAMURAIだっつってんのに「サマラァァイ!」になるんだよ。
SAM UR RAI じゃねえ!SAMU RAIじゃハゲ!
海外反応サイトの※欄にそんな上から目線のコメしてるあんたなら良く分かるだろうw
写真のは弁慶の仮装だよね?あの人僧兵だから、サムライじゃないぞ。
ちなみに外人は、800年前の侍は知らないだろ。ゲーム・アニメ知識からだから。
それより、一番強いのはWW1&WW2、日清日露の日本兵じゃないの?
外人、負けてるじゃん!
明治なら陸軍で乃木や児玉以上に
やれたものを、諸行無常の響きありか…
その通り、侍は世界で過小評価されすぎ。
なぜなら、日本人はわざわざ英語で主張することをほとんどしないから。
今のマスコミが、自分達はサムライの子孫でも何でもないくせに、ことある毎に¨サムライ日本!¨とかネーミングして、妄想してるだけです。
それだけ、自分に自信がない人が多いからでしょう。
バカにしたいだけだろコイツら。
日本刀、防御性の高い鎧、リーチの長い槍
弱いはずがない
俺は西洋の騎士なんてぜ~~んぜん興味ないね。
>>86
そもそもあのガッチガチに守りを固めた重厚な甲冑が欧州人の肝の小ささの表れだからなww
ここの在.日管.理.人も分かり易くそれに乗っかったのか
サムライは韓国が起源にだ。
忍者もそうにだ。
在はいつも矛盾がばかり。
レッドコート>ナポレオン軍>30年戦争の騎士>戦国武士>スペイン>ローマ軍
そういうのは日本にいなかったから
ゴリ押し戦法には対処できまい
日本は、一回負けて改善する
ただ一回負けないといけないのは大きな弱点でもある
損害が避けられないということでもあるし勝つまで時間がかかる
いまだに西洋の剣は鋳造だからナマクラで斬れないとか、まともな剣術がないとか毎回ふわっとした印象だけで語ってる人が多い
武士道は侍がいなくなった後の時代に想像で作り上げられたフィクションやで
そして現代では研究によって、武士道と実際の侍の在り様はかけ離れていた事が明らかになっている。
実際の侍はもっと打算的で現実的な職業軍人だったと判明している。
まぁ実際の歴史上の侍たちも、下剋上だの仕える主をコロコロ替えるだの闇討ちだの、武士道とは程遠い事やりまくってるからな。
西洋騎士を文字通り虐殺したモンゴル騎兵の馬と日本の馬は同じ種だぞ。
ポニーに乗った革鎧の軽装モンゴル騎兵に殲滅させられた西洋騎士を貶めたいのか?
あれのせいで何かファンタジーな職業だと思われてる感が強い。
すごく洗脳されやすい状態になっているのだろう
評価してなぜ悪いのか意味がわからない 強ければ良いと云うわけじゃない
その死をもって何かを社会あるいは世界に知らしめた先人へのリスペクトを忘れるべきじゃない
三国時代も個々のちメイドはあっても 隊に対する呼称って思い当たらない、無知なだけかな
逆に日本から見ると海外の装備が魅力的に見えたりもする。
いや俺も怪しいんだけど・・・
大昔からだろ
侍は格好良くて当たり前だから、
ダサい画像を使わないと西洋騎士達の魅力が霞んじゃうんだよ。
甲冑武器含めてかなり好きだけど、欧米人の盾信仰含めて過大評価感半端ない
確かにあれを並べて攻めて来たら戦意喪失する
欧州人にはまずこの前提を理解してもらいたい
まず、「過大評価」「過小評価」とされる現代の評価を誰がどうしているというのか?
人によりマチマチではないか。
さらに、課題か過小かを判定する指標となる「事実認定」もまた、あいまいではないか。
比べる「評価」も判定する基準も曖昧なのだから、論理的になりようがない。
【結論】
「サムライが注目されて、くやしいのう! くやしいのう!!」
「え〜い、ディスってやる!」
神風なんて最後の駄目押しで、実際はそれまでに実力で押し返してたってのが事実だからな。
元寇での様々なエピソードを知る度に、日本の武士のえげつない戦闘センスに震えるわw
日本人が騎士やナイトに良いイメージ持っている人が多いのと同じで
侍もポンチ絵ならさぞ強く格好良く見えるぞwwww
武家から仏門なんて話としてはよくあるし心得のある者はいただろうが。
総体としては出がらしだろうしな。忍者なんて彼らから分離したわけだし。
賢くもないし強くもない。野球なら三軍だ。だが残り続けているのは僧だ。
過大評価というか実態とかけ離れて超人化してるのは忍者(そもそも昔は忍者という呼び方ではないし)
駄目押しどころか、ぼろ負けし過ぎて逃げ帰っても責任取る事になるから帰るにも帰れず沖合で台風シーズンまで漂流してただけだからな。隙を窺っては居たんだろうが・・・
だから次は早い時期から三倍の規模の兵員で攻め込んで、・・・台風シーズンまで漂流したw
そういう虚構の受け皿になれる器でもあるんだよな
サムライ、ニンジャってのは
だから逆もありなんだろ
主要戦術の違いだよ、騎士は貴族階級が占めてたから重装備で生存を重視するようになった。
それにたいして軽装備で弓での遊撃をとる遊牧民の戦術はメタに嵌った。
一方日本の武士は専門軍人の武装集団なわけで、生活の一部で馬を駆り慣れてるのがモンゴルの強さの根源だが、武士は戦闘訓練が日常で馬を駆り慣れてる。モンゴル兵の強さと言うのは同等以上の土俵の相手には然程脅威ではなかったって事だね。例えばの話、馬降りて剣で戦えば騎士も負けなかっただろう。
騎兵隊が強かったのは攻めであって、遊牧民だからどこを攻めれば良いとか無かったのも大きいわけだが
得意の状況で馬を活かせる平地で武士とぶつかって負けて海に追い出されたんだからそれが地力の差だよ。
こんなんでも一応僧侶なんだよ。
ニートじゃなくて官僚。
まあ、ニートっぽいのも居たけど。
戦国みたいなときもあれば江戸後期のころまで色々違うし
海外の人の描く侍ってのは時代を反映させてるわけじゃなく
単に刀に魅入られてるだけなきがするよ
剣や弓ではアラブやモンゴルなどにはるかに劣る弱小だったからこそ、
頭を使って産業革命や軍事革命を起こし、パワーシフトに至った。
だから西洋人は、そのことを誇れば良いわけであって、
単純な戦士の実力を比べれば、日本の侍をはじめ蒙古の騎兵やアラブの戦士などの足元にも及ばない。戦士個人としても、軍事集団としてもね。
>大勢いるところへ少数か下手すると単独で躍り込んで来て恐れを知らない、しかも数などものともせずに確実に敵対した相手を仕留める、って書き残してるよ?
でも最終的に6年も戦ったのに寸土も得られずしかも最後は朝鮮の南岸にへばりついた状態で負けたしな
敵褒めるのはそれに勝った自分たちすごい!ってだけでしょ
金属製の鎧付けてたくせに木の棒のフィリピン人に撲殺、しかも戦術負けして殺されたマゼランさん
実際の戦闘を調べれば分かるけど、明軍は最後は海も陸も潰滅状態だったけどね。
李舜臣が最後に大勝利をおさめたという露梁海戦だって実際は日本側の将クラスの戦死は無し、一方朝鮮水軍は大将戦死、明水軍は副将戦死、大将も危うく討ち取られそうになる有り様。
実質負け戦だったのを隠す為に日本側の実質的主将の島津義弘を討ち取った事にする偽装工作までしてる。
ほかの国と比べてキャラが立ってるし
騎士といってもプレートアーマーのはダメだね
ラメラーアーマー系か、あるいは皮鎧の軽装が望ましい
一体成形でない鉄底靴や鉄兜は許可
なんでそれ以前にイスラム勢力が急伸長できたかってのはよくわからないが、騎兵が多かったとかあったんじゃないかな?少なくとも戦意は凄かったってのはあると思う。
ローマみたいな長槍と大楯、短剣、ラメラーアーマーの兵団を最初につくる
次に軽装の長弓部隊 その次に突撃用の少数の騎兵団
もし馬が多い地域なら最初からモンゴルみたいな軽装だけど強力な弓をもつ騎兵団にする
鉄は当然として銃や大砲、馬があるというだけで、圧倒的少数のスペイン勢に圧倒的にやられたらしい
当時、現地で一体どういう悲劇があったんろうかとおもう
身内贔屓も結構だけど現実を受け入れなよ
本命は明で朝鮮は通り道に過ぎないなんて言っておいてとうとうその通り道に休戦挟んで6年かけて何も得るものが無く
退却途中に敵の追撃振り切ったからこの戦は勝利!なんて言って誰が信じるのさ
これじゃ惨めなだけじゃないか
日本軍は明・朝鮮連合軍相手に9割の戦闘で勝ってるけどね
戦闘では圧勝しまくりだったけど7年という期間では朝鮮半島を獲れなかったという話
日本はようするにベトナム戦争のアメリカみたいなもんよ
>日本軍は明・朝鮮連合軍相手に9割の戦闘で勝ってるけどね
>戦闘では圧勝しまくりだったけど7年という期間では朝鮮半島を獲れなかったという話
お前っておもしろいことほざくね。
日本軍の勝利のほとんどは城に立て籠もっての籠城戦だろ。
わざわざ、朝鮮半島まで攻め込んできて籠城戦ばかりやってる時点で負けなんだよ(^0^)
>日本軍の勝利のほとんどは城に立て籠もっての籠城戦だろ。
違う、どんな戦でも勝ってる
それに籠城戦での勝ちがなぜダメなのかサッパリわからん
結果は敵を壊滅させてるし
干ョソくさい言い訳はNG
1.文禄1(1592年)7月16日
祖承訓率いる明軍先鋒隊五千騎が平壌城を急襲 →小西行長の配下一万によって撃退 【日本軍勝利】
※八月、乾福山にて小西行長(沈惟敬と)休戦協定、平壌にて正式な講和使を待つ
2.文禄2(1593年)1月6日
李如松率いる明軍四万三千余が平壌を総攻撃→正式な講和使を待っていた小西行長とその配下一万五千は寝耳に水。 明軍は平壌城を奪還【日本軍敗北】
3.文禄2(1593年)1月26日
碧蹄館の戦い。 李如松は平壌城を落とした勢いに乗じてさらに南下。 体勢を立て直した日本軍四万一千は漢城近郊で明軍四万と激突 →【日本軍勝利】 (李如松は戦意喪失し辞職願まで出している)
※3月頃より再度講和に向けての調整が始まり講和条件等が吟味される
第二次晋州城攻防戦。 明将劉テイ指揮下四万が普州城の救援に向かったとの報を受け、
立花宗茂と小早川秀包は兵四千を率いこれを迎撃→日本軍が撃退に成功【日本軍勝利】
※嫌戦気分のまん延した明は講和に傾く。秀吉、部隊を段階的に帰還させる。が、約束の講和条件が満たされていないことを知り再侵攻。講和条件の齟齬の責任は仲介の朝鮮にあり(事実かどうかは別議として)とされ、朝鮮征伐の色合いの濃い派兵となる。
漆川梁海戦 。 日本軍支配地に侵攻を試みた朝鮮水軍が 機動力に勝る日本水軍に翻弄され、 疲労困憊して退却途中に陸海から挟撃される。
慶尚道南岸の泊地になるような場所は、日本側が前役から城塞を築いて押さえており 例えば水の補給のために上陸した加徳島では加徳城在番の高橋・筑紫の兵に迎撃され朝鮮水軍は400の損害を出したとされる。 兵力は双方とも1万数千程度。 →朝鮮水軍壊滅【日本軍勝利】
6.慶長2年(1597年)8月12日~15日
明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃 →陥落【日本軍勝利】
7.慶長2(1597年)8月16日~8月18日
明・朝鮮連合軍が守る黄石山城を日本軍が襲撃 →陥落【日本軍勝利】
8.慶長2(1597年)9月7日
稷山の戦い。 稷山で解生率いる明軍先遣隊明軍2千(援軍2千)と黒田長政率いる日本軍5千の部隊が遭遇戦 →一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。 日本側に援軍2万5千が現れたのを機に撤退【日本軍勝利】
蔚山城の戦い。 楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を襲撃→加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破。 日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた 【日本軍勝利】
10.慶長3(1598年)9月~10月
第二次蔚山城の戦い。 麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が
再び蔚山城を襲撃 →日本軍は巧みに防戦、明・朝鮮軍は攻略の目途が立てられず撤退【日本軍勝利】
泗川の戦い。 董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃→島津義弘配下七千が城外へ打って出て明・朝鮮連合軍壊滅【日本軍勝利】
12.慶長3(1598年)10月2日~7日
順天城の戦い。 劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千の連合軍が順天城を襲撃→小西行長配下一万三千が防戦し、明・朝鮮軍を撃退【日本軍勝利】 ※八月から伏せられていた秀吉の死去が公表され、10月、撤退命令。
13.慶長3(1598年)11月18日
露梁海戦。 明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突→双方に甚大な被害。 しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、連合軍は明水軍副将の鄧子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦死
■ 自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息
なぜかこれで日本の負けと主張しているのが>>172です。
>それに籠城戦での勝ちがなぜダメなのかサッパリわからん
>結果は敵を壊滅させてるし
籠城戦って追い詰められてるってことだぞ、この馬鹿
朝鮮半島まで行って城に立てこもらなきゃいけない時点で
全然強くないよね(笑)
半島から撤退してるんだからな負けと同じじゃん。
日本には「支城」っていう思想があってね。それにもとづいて実効支配した半島沿岸に無数の"いわゆる倭城"を建てていった。 倭城は結構こじんまりとした作りでね。がんばれば落とせるんじゃないか?っていうギリギリのサイズ感にわざと作ってある。 そして案の定これに食いついて明朝鮮はがんばって落とそうとする、しかし史実を見ていただく通り、ついぞ倭城は一つも落ちなかった。 なぜだとおもう?まあわからないだろうね、偉大なる明朝鮮もそれがわからずじまいだったんだから。でも日本人なら、もしかしたら軍事の素人でも直感的にわかる人もいるかもね。 答えは簡単、互いに城が支えあうってだけ。一つの城を攻めようとすると、別の2つの城からの伏兵に迫撃される。そういう位置に互いに城を配置してるんだよ。単純だろ?この単純を理解できず明朝鮮は連戦連敗。 逆に日本は籠城すれば勝てるシステムでひたすら待ち受けるわけだ。
慶長の役においての日本は別に朝鮮を「政治的に」支配する気はないわけでね。戦略上朝鮮南岸は全部抑えたけど国家中枢はどうでもいいという状態。
日本の狙いは貿易再開を前提とした明との和平交渉だからねぇ。
文禄で既に必要なデモンストレーションは出来ている。今度は明に「ここまで来させる番」なんですよね。朝鮮南岸まで明軍を派兵させる、その経費人員、明の負担の重さたるや・・・
日本はいるだけでいい。そこにいるだけで明への嫌がらせになる。
朝鮮民衆と商売したり植林したり鷹狩したり宴会したりしながらのんびりと「生活する」だけ。
だから7年いたわけだ。知っての通りがっつり戦争やってる時間より、「年表上何にもしてない時期」「ただ朝鮮にいるだけの期間」が長いでしょ?多分君はその理由知らんかったんだろうねぇ。
攻城戦でも野戦でも日本軍は明朝鮮連合軍に勝っている
>攻城戦でも野戦でも日本軍は明朝鮮連合軍に勝っている
強がってもだめだって(笑)
本当に侍が強かったら文禄の役で撤退・休戦したりしない。
明軍や朝鮮軍にビビってソウルさえ明け渡してる。
侍厨は言い訳ばかりだな(笑)
明史のこの一文が結局結論なのよ・・・「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
非情なスパルタ訓練なので大体みんな強い
文禄の役で休戦したのは日本が再三要求してる講和要求を明側が飲んだから
何か勘違いしてるけど日本は攻撃の最初から明に「講和要求」してるのよ
講和が条件での示威行為で戦争吹っかけてるんだから「わかった話を聞こう」と明に言わせればそりゃ休戦するに決まってるのよね。詳しくは※176※177を読もうね。
ちなみに日本の要求はおおむねこう→
明との講和条件七ケ条
一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。 二、勘合貿易の復活 三、日明両国大臣の誓紙交換 四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲 五、朝鮮の王子、大臣を質とする 六、捕虜の朝鮮両王子を送還する 七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する
どう見てもビビってる国がする要求じゃないよねぇ・・・
大半が普通だろうが
土地柄陸上戦が伝統だし人数が多い分いろんな人材がいる
どんどん攻め込んで女真(オランカイ/満州)まで攻め込む。
それが文禄の役
日本「あれー?約束の件全然進んでないけどどうして?」「仲介の朝鮮くん嘘ついてたの?お仕置きしなきゃなー」「明くんどうする?まだ戦い足りないなら相手するけど?今度はそっちからおいで?」
それが慶長の役
>籠城戦って追い詰められてるってことだぞ
う~んこのガいジw
3万の明兵が籠城した7千のサムライに最終的に全滅させられてるのにw
秀吉が病死したことも知らないんだろうなあこの千ョソw
>何か勘違いしてるけど日本は攻撃の最初から明に「講和要求」してるのよ
はあ、日本側が明側に休戦を再三要求したっていつのことだよ(笑)
明軍が朝鮮半島に入ったのは1592年12月だけど・・・
>文禄2年(1593年)3月、漢城の日本軍の食料貯蔵庫であった龍山の倉庫を明軍に焼かれ、窮し>た日本軍は講和交渉を開始する
これのことだったら日本が弱いからだろ(笑)
無知のくせに粘着気質なメンタル
逃げまわりながら延々と言い訳してもお前の負けだよパヨク干ョソ
一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。
二、勘合貿易の復活
三、日明両国大臣の誓紙交換
四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲
五、朝鮮の王子、大臣を質とする
六、捕虜の朝鮮両王子を送還する
七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する
>逃げまわりながら延々と言い訳してもお前の負けだよパヨク干ョソ
逃げ回ってだって!?いつ逃げ回ったんだよ(笑)
秀吉は何のために朝鮮に渡ったんだ!?
明に攻め込むためだろ!
>明との講和条件七ケ条
この条件を得るためじゃねえよな(笑)
つまり戦略目標を大幅に減退させてるんだよ。
京畿道ってソウルがあるところだろ、軍事的に占領中の
ソウルを一度放棄してわざわざ講和条件に含むんだ?
そのまま占拠しておけばよいじゃん。
戦況がやばいんで撤退したんだろ、この馬鹿が!!
まぁ朝鮮戦争では我が国がアメリカと日本に勝利した、って教えてるところがあるらしいから、そういう教育を受けた人にとっては、大明出兵は日本の負けなんでしょう。
詳しい方、いろいろ書いてくれてありがとう。
ろくに勉強もしてこなかったんだろ、この馬鹿が!!
お前も馬鹿だね、軍事占領していたところを一時的に放棄しておいて
講和条件で改めて割譲を要求することのおかしさがわからないのか(笑)
実際、明側は割譲の要求を飲まなかったしな(笑)
順序がおかしい。
なんで「攻め込むため」が目的になっちゃうかな
攻め込んだのは「手段」。 「目的」は交易再開を含む交渉の席に明を引きずり出すためだよ。
つまり殴っておいてから講和するのが目的
なので日本側の認識としても
当時の明の認識としても「秀吉が死ななかったらそのまま続いてたろうね」ってことになってるのよね
はい何度も申し訳ないけどね。→「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」←こういうことなんです・・・はい
>日本軍の勝利のほとんどは城に立て籠もっての籠城戦だろ。
お前のこの主張間違いだよ
局地戦一個にこだわる君が
その他の局地戦で連勝してる日本軍が負けという主張なのはおかしくないか?
個々の戦の勝敗については※176~180を見てね
お前わざと話をすれ変えてないか!?
戦略目的を果たせなかったのはどうしてだってことだよ。
日本軍が優勢なのにどうして文禄の役で占領した地域のほとんどを放棄して
半島南岸まで撤退するんだ!? 答えてよ(笑)
まあ、今までのことからも話をすり替えるんだろうけどさ(笑)
>文禄の役で占領した地域のほとんどを放棄して半島南岸まで撤退するんだ
ここにすごくよく特徴が表れてる
漢城に以上にこだわるとこも特徴的
さて、じゃあその話をしようかな 次のレスに続きます
大陸の人はすぐに「領民まるごと壁で囲って全部抱え込む」っていうのをやりたがるけど、武士はこれリスクとしか考えてないのよ。
なので都市を防衛するという発想がない。 単純に「地の利が悪いから別の場所で戦うわ」ってさっさと退いちゃう。
碧蹄館の戦いなんかまさにそれでしょ。退却したはずの日本軍が自軍に有利な地の利を得た途端、迫撃してきた李如松軍をボッコボコ。
この時の朝鮮の考え方が丁度今の君と同じだよね
「逃げたから弱いはずだ」「逃げたから負け」これにコロッと騙されて自ら地の利を捨てて日本に有利なところまで
追っかけてきてくれて、結果大損害を出すというね・・・
どうも向こうの人は純朴というかなんというか、相手が「逃げた」っていう目先の情報に踊らされすぎるのよね。
普通は逃げた相手の損害をまず確認すると思うのよね。日本人なら当然そうするとおもうじゃない?
損害を確認すればさ、「あれ?日本軍ほとんど無傷なのに何で逃げたんだ?なにかこれはおかしいぞ?」って気づけるじゃん?
彼らはね、それしないんだ。「逃げたから負け」と「負けた相手は徹底的に嬲る」っていう思考回路なものだから、カンタンに追いかけてきちゃうんだよね。
結果、毎回毎々、返り討ちにあって大損害を出す。
この繰り返しの歴史なんだよね・・・
繰り広げたのか(それを操っているのがアングロサクソンだということも)知らないんだな。
局地戦では明主導の戦いでもけっこう日本に負け続けてたけど少なくとも大局的には
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
であったことをきちんと把握してたわけだから
当然知ってるよね?そう、平安時代です。
もっとも、これも都市まるごとを取ったり取られたりっていう市街戦ではなく、単に戦場が市街地ってだけではあるんだけど。
武家屋敷だったり、貴族の屋敷だったり、交通の要所である橋を取り合ったりっていう市街戦は日本もやってた。
そういえば聞くところによると朝鮮の人って、平安時代の話されるの嫌がるらしいね。
どうする?嫌なら広げるのやめようか?平安時代の武士の話。
テョソ、朝鮮征伐の戦闘は日本の圧勝だし李舜臣は雑魚だぞw
放棄して撤退したことは説明できないんだね(笑)
書いてくれてるじゃない。貴方が読めてないだけだ。とてもためになることを書いてくれている、親切な人だ。百回ぐらい読んだ方がいい。でないと釣り野伏の絶好のカモになりまくる運命から逃れられないよ?
予想道理、結局話をすり替えるしかないよね(笑)
自分のいってることに自身のない奴は無駄に饒舌になる。
自信があったら簡潔に説明できるよね(笑)
そのために15万以上の軍勢で攻め込んだんだろ。
それが明軍4万3千の援軍が着き、朝鮮軍と協力して反攻してきたため、
朝鮮半島南岸まで撤退してることについて俺は聞いてるんだよ。
なんで敵の反攻を打ち破って朝鮮半島の征服を完了できなかったか?って
明を征服するためには、たかだか4万3千の明軍なんて撃退できなきゃ(笑)
日本にとっての「街」っていうリソースは直接占領して奪うものではないんだなぁ・・・
そういう水物は持ち主を屈服させた後に、持ち主から「もらうもの」なんだよね・・・だから、講和の条件に書いてある。
街に武装集団がいればその撃破はするが、街そのものは平気で捨てる。 勝った後に持ち主から貰えばいいんだから、意地になって武力で守るようなものじゃない。
実際朝鮮南部でも日本は個々の街はほったらかしよ。 がっつり守るのは倭城と互いの連絡網だけ。
だから現地人とすぐ仲良くなって色々商売したり情報流してもらったりね。 武士からしたら「街」ってのはそうやって必要な時に「使う」だけのものなのよね。
わざわざ占領して一般人のヘイト集める必要ないでしょ?ってのが武士の考え方。
ちなみに、「明が講和条件を即座に履行しないから日本の負け」ってのもおかしな話よ。
本当に明のほうが日本より強かったら、こんな講和条件出された瞬間に突っ返すんだよね。 大陸の人はメンツにこだわるからね。本来なら即答ですよ、「断る」つって。
でも出来なかった。断ったら負け、でも当然こんな法外な要求飲めない。 だから、聞こえないふりで時間稼ぎをしてたわけだ。向こうの人からしたら屈辱だよね。 島国の僻地の蛮族にプライド捨てて聞こえないふりしなきゃいけないなんてね。 でもそれもいつまでも通用せず、結果慶長の役と。
秀吉が頓死してなければ7年どころか、10年でも15年でも居座って戦闘と交渉を続ける。
でお互い妥協したりなんだりを繰り返して、それから履行ってことになる。
ぶっちゃけ一番欲しかったのは貿易の復活なのでそれ以外の要求は結構ふっかけてるとこあると思うよ。
でも、だからこそ、秀吉がしなず、ずーっと朝鮮に居座られ続けたら、いつかは明は根を上げて、半分ぐらいは飲まされたんでしょうな。
なのでほんと何回も申し訳ない。→「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」←はい。こういうことなんです。
明との講和条件七ケ条
一、明帝の女を日本の皇妃に迎える。
二、勘合貿易の復活
三、日明両国大臣の誓紙交換
四、朝鮮の京畿、忠清、全羅、慶尚、四道の割譲
五、朝鮮の王子、大臣を質とする
六、捕虜の朝鮮両王子を送還する
七、朝鮮の大臣が永久に日本にそむかぬよう誓約する
予想通り、拗ねた反応しかないねぇ。貴方のイメージでは一直線に中原まで攻め込んで首都を陥落させなければ負け、ということになるのかもしれないが、戦い方にはいろいろあるんだよ。それを詳しい人が書いてくれているのに、読めてないから、万年属国の人だなぁという感想になる。
9割の戦で日本にボコボコにされてもウりは負けてないにダ
そのために15万以上の軍勢で攻め込んだんだろ。
それが明軍4万3千の援軍が着き、朝鮮軍と協力して反攻してきたため、
朝鮮半島南岸まで撤退してることについて俺は聞いてるんだよ。
なんで敵の反攻を打ち破って朝鮮半島の征服を完了できなかったか?って
明を征服するためには、たかだか4万3千の明軍なんて撃退できなきゃ(笑)
話をすり替えないでね(笑)、まあ、無理だろうけどね、プププ
やっぱり話をすり替えてきたよ(笑)
どうしようもねえな、お前は、
講和条約なんて1593年になってからだろ、
おれが聞いてるのは1992年から始まった日本によろ朝鮮出兵のことだよ。
この戦略目標はなんだってかってことだよ。
朝鮮征伐は9勝1敗1引き分けで日本の勝ち
千ョソがゴネても無駄
>朝鮮征伐は9勝1敗1引き分けで日本の勝ち
>千ョソがゴネても無駄
お前の敗北宣言と受け取るからな!!
最初からお前の全敗だよw すべてで論破されてる
日本の9勝1敗1引き分け
↑
まずこの成績で明・朝鮮軍が強かったことにしようなんて無理ゲ
1.武士が強かったから
2.支城による挟撃&学習しない明朝鮮軍が呆れるほど弱くて愚かだったから
3.宇宙の起源は朝鮮だから
あれって事実上、日本に対する朝貢だよな
朝鮮は明の属国なので
明の意向に逆らうようなことはできないわけで
これはメンツを重んじる明からのワンクッション挟んでのご機嫌伺いでもある
撤退してなお、ここまで両国をビビらせ、日本のご機嫌をうかがい続けさせるほどには
明・朝鮮に大打撃を与えたってわけだ
ここで妄想を垂れ流している反日のヤツは
4、5年前に2チャンネルの【日明戦争】ってスレで、文禄・慶長の役の基本知識も
知らないくせに、ここでやっているような妄想を垂れ流して、
一次資料を駆使するガチ勢住民の反撃を食らって逃走してたよww
つか、数年前にボロ負けして逃走したのに懲りていなかったんだな。
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