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(海外の反応)
どこで見つけてきたんだ?
銅か何かの金属だろ?どれくらいの大きさで太さなんだ?
読みにくいけど絵馬かもしれないよ?
銅か何かの金属だろ?どれくらいの大きさで太さなんだ?
読みにくいけど絵馬かもしれないよ?
5
万国アノニマスさん

これは詩っぽいな
でも書かれてることは非常に理解しにくい、日本語ネイティブから見てさえもそうだろうな
辛い時代について述べられてる気がする(戦争に関連している可能性が高い)
自分に分かるのはそれだけだが、控えめに言ってもこれは凄く興味深い
地元のお年寄りに頼んでこの日本語を「現代日本語」に訳するのがベストだと言いたい
出来る限り、シンプルにして書き出してくれるはずだ
でも書かれてることは非常に理解しにくい、日本語ネイティブから見てさえもそうだろうな
辛い時代について述べられてる気がする(戦争に関連している可能性が高い)
自分に分かるのはそれだけだが、控えめに言ってもこれは凄く興味深い
地元のお年寄りに頼んでこの日本語を「現代日本語」に訳するのがベストだと言いたい
出来る限り、シンプルにして書き出してくれるはずだ
6
万国アノニマスさん
日本語ではあるけど、読めない
数文字しか認識できない

日本語ではあるけど、読めない
数文字しか認識できない
7
万国アノニマスさん

「地表で」ってどういう意味?
金属探知機を使ってトレジャーハンティングしたのか?庭を掘ったのか?
どこの国で見つけた?これは魅力的なもんだな
(申し訳ないが自分には数文字しか日本語が読めない)
金属探知機を使ってトレジャーハンティングしたのか?庭を掘ったのか?
どこの国で見つけた?これは魅力的なもんだな
(申し訳ないが自分には数文字しか日本語が読めない)
↑
スレ主

古くなった庭の地表でこれを見つけたんだ
見つけた時はそこが改修中だった
金属板or銅板みたいな感じで、厚さは3ミリ、長さは27cm、幅は10~13cm
見つけた時はそこが改修中だった
金属板or銅板みたいな感じで、厚さは3ミリ、長さは27cm、幅は10~13cm
↑
万国アノニマスさん

どこに住んでるんだ?
第二次大戦中、日系人が強制収容所にぶちこまれる前に自分の財産を埋めていたって話はある
第二次大戦中、日系人が強制収容所にぶちこまれる前に自分の財産を埋めていたって話はある
↑
スレ主

ニューヨークのヴァッサー大学の庭に埋まってた
↑
万国アノニマスさん

翻訳するのが妥当だろう
もっと物が埋まってるかもしれないし
もっと物が埋まってるかもしれないし
9
万国アノニマスさん
日本人の妻に読めるかどうか聞いてみたが
残念ながら旧式の書き方だから読めないと言っている
昔の筆記体系を勉強してる人に聞くといいかもしれない

日本人の妻に読めるかどうか聞いてみたが
残念ながら旧式の書き方だから読めないと言っている
昔の筆記体系を勉強してる人に聞くといいかもしれない
10
万国アノニマスさん
「西東身はわかれてもまなびやに
つくすまことぞひとつなりけり」
翻訳すると
「我々は東西に(身が)裂かれようとも、学ぶ場所(学校?)に捧げ、この真理を常に一つにする」
最後の「考」という文字は詩人の名前だと推測
このプレートは小さな学校に置かれていたんだろうなと思ってみる
追記:別の翻訳もあるかもしれない、上がA案だとすると詩人が言葉遣いを間違えてるのがB案
「我々は西や東から来たとしても、この学び舎で一つとなって身を捧げることが真理である」
これは日本人の大学生に綴ってもらったもの

「西東身はわかれてもまなびやに
つくすまことぞひとつなりけり」
翻訳すると
「我々は東西に(身が)裂かれようとも、学ぶ場所(学校?)に捧げ、この真理を常に一つにする」
最後の「考」という文字は詩人の名前だと推測
このプレートは小さな学校に置かれていたんだろうなと思ってみる
追記:別の翻訳もあるかもしれない、上がA案だとすると詩人が言葉遣いを間違えてるのがB案
「我々は西や東から来たとしても、この学び舎で一つとなって身を捧げることが真理である」
これは日本人の大学生に綴ってもらったもの
↑
万国アノニマスさん

日本人だけど、これは2番目の訳し方だと思う
↑
スレ主

Wow、これは素晴らしい
これはヴァッサー大学の庭で見つけたものだから、少し理にかなってる
これはヴァッサー大学の庭で見つけたものだから、少し理にかなってる
↑
万国アノニマスさん
おそらく日本の交換留学生によって書かれたものかもしれない
と思ったけど、この構成能力や文章の書き方から見てかなり専門的なので
時代は絞り込まれるだろう、1940年代以前なのはほぼ確実だろうね
そこまで新しくない場合、世紀をまたぐ可能性も非常に高い
学校創立以来、入学してきた日本人の学生を探せば詩人は見つかるかもしれない
裏には何か書いてあった?

おそらく日本の交換留学生によって書かれたものかもしれない
と思ったけど、この構成能力や文章の書き方から見てかなり専門的なので
時代は絞り込まれるだろう、1940年代以前なのはほぼ確実だろうね
そこまで新しくない場合、世紀をまたぐ可能性も非常に高い
学校創立以来、入学してきた日本人の学生を探せば詩人は見つかるかもしれない
裏には何か書いてあった?
12
万国アノニマスさん

どうやったらこんなの解読できるんだよ(笑)
↑
万国アノニマスさん

数年間の経験さ
13
万国アノニマスさん
解読した奴が凄すぎる
俺も頑張ってみたがほとんど読めなかった・・・

解読した奴が凄すぎる
俺も頑張ってみたがほとんど読めなかった・・・
↑
万国アノニマスさん

かなり標準的な文字なんだけどね
幸運にもこれはそこまで珍妙じゃなかった、読む練習をすればいいだけだよ
幸運にもこれはそこまで珍妙じゃなかった、読む練習をすればいいだけだよ
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ニューヨークの大学で日本語の短歌が刻まれたプレートが出てきて
外国人がそれを解読してるなんて何だかロマンを感じますね
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コメント ※httpや特定の単語をNGワードに設定しております。また、不適切と管理人が判断したコメントは削除致します。ご了承下さい。
コメント一覧
戦前だったらセブンシスターズで女子校だったから大山捨松さん関連かも
そこに生きてたことを偲ばせてくれるいい歌だ
異国の地でも、学ぶ真理はひとつだと
でも戦争中の若者の辛さみたいなのはわかった。全部読めなくても部分的な文字や単語だけでなんとなくわかるもんだね。
人気者で卒業時は総代の一人を務め、卒業講演は一番の大喝采を浴びたそうな
地域や大学の日本コミュニティに預けてちゃんと出自を調べてもらってほしいな
大学在籍者を調べれば「孝」が誰なのかも分かるはず
ただ、解釈は、「戦争や何かで敵味方になったとしても、真理を学ぶ心は君と同じだ」という友達に送った言葉だろうな。こう考えると第一次大戦前に留学し、その後帰国した留学生の様に思える。第二次大戦前後だと、アメリカに留学はなかなか難しかっただろうから。
大河ドラマにしてよ
はよ
外国人に日本語レクチャーされて軽くショック
古文書研究の磯田先生くらいまでとは言わないが、この程度はすらすら読めるようにならんとなぁ・・・
そこに行けた学生の志は、今と比較にならないくらい崇高なものだったんだろう。
おそらくアフリカやアジアの途上国から日本や先進国に留学してる学生の気概もそういうものかもしれない。自費、国費での留学に関わらず。
第二次世界大戦より前の時代かも?(大戦時でも使われてなかったわけじゃないから確定はできないけど)
留学生が日本に帰るときに残した句だ
誰なんだろう孝という人は
しかしいい歌だ
なんか恥ずかしい。
つくすまことぞ ひとつなりけり
短歌というよりも世情を風刺した狂歌という趣があるね。
まあ他の軍隊では日記は禁止だったけどな
敵の手に渡った時に機密が洩れる恐れがあるので
一方日本は推奨したが、これは思想統制の為で
書かれた内容はともかく、書かせた意図はあまり素晴らしくない
たかしじゃねえよw
おたかさんだよw
しかも戦後ね
こんな感じ?
三井物産の設立に関わった益田孝
卒業したせいで裂かれるとかおかしい
ヴァッサー大学は女子大だし
時期的に戦時中ではないが
いとかなし
三井物産の創始者である益田孝によるものじゃないのか?
彼の実妹、永井繁子は大山捨松とアメリカ留学してる
その繁子が兄・孝から渡されたものじゃないか
まあ事実かわからんけど
三井物産の広報にメールで質問したら何か分かるかな
たぶん戦前の物じゃないかな
尽くす誠ぞ ひとつなりけり」
此の大学で 学んだ者たちが、たとえ西と東に分かれ(戦うことになったとしても、正義の心(祖国愛)は一緒だよ。って事だろ?
戦中の学徒たちに共通した心だよ、少なくとも我が日本では
遣欧使節と一緒にいっとるな
アメリカのあと一緒にヨーロッパまでいっとるし、留学となるとはてな
彼自身が書いた直筆の和歌を検索してみたが「孝」の表記と字体が、これとソックリだぞ
学校のために尽くす真心は同じだという感じか
日本人の足跡が知れる偶然があるということ。
そこで成長してヴァッサー大学へ入る
大山捨松と確かに遣欧使節で一緒にいったが益田孝が一緒にヴァッサー大学留学ってーのはどーなのか
しかも女子大
ソースある?
ちょっと検索したら、たまたま引っかかっただけだが。
感心する
誰かredditのスレ主に教えてやれよ
益田孝が妹に別れの句として詠んだんじゃないのか?ひょっとして
大山捨松も、留学に先立ち捨てたつもりで待つって事で母親に捨松と名付けられた
ヨーロッパに向かって勉学に励む若き益田孝と、アメリカで学ぶ事になった妹の別れ
きっとそうに違いない
私たちはここで真理を探究する為に心一つにして学んでいた
その事実は決して消える事はない
そんな願いを込めて彫った平和の願いだったのかもね
本当に戦前に掘られたものだとしたらとても珍しいね
兄妹で西と東、卒業して皆さんと、戦争で対立しても、とか。
サラッと面白いこといってんじゃねぇ
Wiki調べちゃったよ 出自や状態が良いだけに保管して欲しいな
日本人でも中国の専門の人は中国人より詳しい。てか趣味で中国の歴史好きな日本人が既に中国人より詳しいし。
これ違うような気が・・・
「西東身はわかれてもまなびやに
つくすまことぞひとつなりけり」
益田孝が妹のために送ったものなら、意味はハッキリする
「俺は日本(西)、繁子はアメリカ(東)、バラバラに暮らしてもお互いに学ぶことを一生懸命やる心は同じ」
お互いに繋がってることを示した親愛のエールじゃないかな
兄から妹への
私が北京へ居つた時、北京の仏国公使館でその書記官が、一本の扇子を出して、どうかこれに一ツ日本の歌を書いてくださいと云ふた。よしと云つて直ぐ書いて遣つたのは、
西東 國こそかはれ かはらぬは
人の心の まことなりけり
書記官の云ふには、この歌は一体どういふことで御座いますかと聞くから、東洋西洋と國は違うけれど、只誠といふことは何處へ行つても違うものでない。人は悉くこの誠がありたいといふことだと説ひて遣つた。誠は四海共通りの土台である。これは、誠を尽くす、すなわち、真剣に全力で関わる人を大切にして物事取り組めば、自ずから結果はついてくる。誠は、東西共通であると。
訳せなかった
訳があってるのかもわからんし
ただ益田孝は自分が欧州使節団一員だったこともあって、洋行する留学生にはいろいろ支援していたみたいだね。
しかわからんかった
学校のために恩返ししようという純粋な気持ち、ではないかな
特定の学校にどうこうではない気もする。
日本人なら読めて当たり前、日本人なのに読めない奴は恥ずかしいって言ってる奴はただ優越感に浸りたいだけ
自分がわかることが他の人にもわかって当たり前というのは非常に傲慢
オレには、なりけり、とはとても読めない
他も正しいか怪しい
西東身磐王可れても末なびや丹
つ久す末こと曽ひとつなり介里
たぶんあってる。参考までに。
癖があるから全部すらスらは無理だけど、東しか読めないとかはさすがに駄目だと思うわ
という意味にとるなら戦前きな臭くなってきたころの帰国の言葉
もしくはアメリカに残る決意をした日本との決別の言葉
どちらにせよ孝という名の留学生が書いたものだろうな
1930年代~40年代
※の背景や内容の特定追跡の皆様は凄いですね!と思わず尊敬。
内容については、素敵な内容だと思いますし、学校にとっても大事な資料ですね、と思います
ほう、なるほど
って
どういう意味かまったくわからんのだが
大学のことを、大切に思ってた人なのかも知れないですね。残していった人は
仮名の元になってる文字(=字母)が現在と違うモノや
同じだけどくずし方が違うモノを漢字に戻してみました。
元の画像と見比べてもらうと古文書や習字の訓練のない人でも
読みやすいかと思います。
ちょっと古いですがアハ体験ができるはず。
でも使わないと忘れちゃうもんだね、いまはほとんど読めない
たぶん自分で書いた当時の署名すら読める気がしない
卒業生としては学校に、特別な想いが無いわけはない。
「変体仮名」で調べてみよう。
同じ「わ」でも「和」をもとにした字(現在の仮名はこれ)と「王」をもとにした字がある
漢字自体の意味はないよ
なるほど、ありがとう
だとすると、奈り介里、なのかな
Weeabooが興じたとしても、というか日本人でもちょっとやそっとでは草書を読めるようにはならんだろ
日本語学者かな
古文と日本史wwww
お前古文も日本史も授業受けたこと無いだろw
ありがとう
そういうことか
となると、その「変体仮名」を使ってたの最後の時期のものってことか
しかしどういう意図である字に対して「変体仮名」を使うのか、いまいちピンとこないが・・・
個人の好みや美意識だけでチョイスされてるだけなのか・・・
卒業生が学校に贈った言葉として解釈すれば、帰国して皆わかれわかれになっても、同じ学校で共に学んだ仲間である、みたいにも読めるし、
きな臭くなってきてた頃とかなっちゃうと、さらに解釈の余地が生まれちゃう。
書道やってる人なら、普通に読めるよ。
変体仮名を使っているから、書道を知らないと「??」となると思う。
ちなみに、これはそれほど古くは無いと思うよ。崩し方が近代的だから。
検索したら、「孝」の字が確かにそっくりだった
特にノの部分が直線なのと子の部分の太さ
(卒業して)みんな散り散りになってもこの学び舎で学んだ精神(教育理念に対しての忠誠心)はいつまでも皆の中に等しくある くらいの意味とか。
それともここのコメントの様に
お兄さんが妹に贈った詩を
例えば、卒業時に妹さんやその知人、
或は後代に別の人が依頼をして碑にしたものなのか、
スレ主が「ニューヨークのヴァッサー大学の庭に埋まってた」という
その経緯だけでもとても面白そうなお話でもあるよね。
留学が妹9歳、孝23歳の時らしいので、その時に頑張れよ的な感じで渡したんじゃないかな
当時の学生が大学に向けて綴った詩は、
いまや打ち捨てられてしまったという事だね。
それに何年もしてから気がついて拾った人が、これ日本語じゃないかな、って思ったとこから話が始まってるんでしょう。
どんな分野でも素晴らしい
初めは「地表で見つけた」と言っているけれど
質問で答えている最後には「ヴァッサー大学の庭に埋まってた」と言っているから
始め言っている様に、単に「地表で見つけた」だけなら、なんか落ちているプレートをヒョイと拾っているだけの様に見えて、そこに置かれた(落ちた?)のは割と最近のもののようにも見えるけれど、「埋まってた」なら時間もそれなりに経っている様にも思えるし、
その「埋め方」次第でも変わって来るだろうし
もし誰かがしっかり埋めているものなら、そもそもこのスレ主に見つかっていないだろうし、見た感じは、半分土に隠れていて残りの部分が見えていた、くらいの発見当時の感じなのかな??
草書は崩したって言っても、実際は字画省いてんだから習わなきゃ読めるわけないだろ・・・
四方の海的な感じで嘆いてるんなら、やっぱり戦争前夜じゃないのみたいに、背景のほうが選択されんだわな。
とコメントしてる「アホ」って本当に日本人?
「たとえ離ればなれになっても
我々、学友の心は一つである」
的な事じゃねーの
それ専門のこと習ってないと
ネットはスゲーな
木戸孝允では?なんて話題までww
木戸の書体がまったく違う
益田孝が最有力だろうね
しかしこれの原寸がわからないな
ポケットに忍ばせるくらい小さいのか、もっと大きいものなのか?
「俺たち離ればなれになっちまうが
学君も誠君も大好きで、一人を選ぶなんてできないよ
それなら、いっそのこと三人で一つにならないか by孝」
アーッッ!!
普段何の役にも立たない知識を持ってるからってはしゃぐなよ
西東と言うのは世界中からって意味だろ。
日本人は英語を学ぶより先ず日本語を学べと言うのはこういう事にある。
何千年にも及ぶ日本語を日本人が読めないのは文化的損失だと、何故に気付かんのかね?
あけてぞ今朝は別れゆく、ってのが解釈に混ざると混乱するけど、この場合は、異なる国に住んではいても、くらいなとこでしょ。
まなびやにつくすのは、まなびやにおいてつくすのであって、まなびやに対してつくすのとも違うだろう。
つくす【尽くす】 ②あるかぎりを出す。③きわめる。④終わるまで精いっぱいする。
はたす。⑤他のもののために努力する。
まこと【真・実・誠】 ①事実のとおりであること。うそでないこと。真実。ほんとう。
②偽り飾らない情け。人に対して親切にして欺かないこと。誠意。
広辞苑第5版より
まなびやにおける至誠は同じである。
だからみんながんばってくださいねと。
俺(兄・益田孝)は日本(西)で
妹のお前(繁子)はアメリカ(東)で
離れてバラバラに暮らしても、俺たちは学ぶそれぞれ場所
そこで全身全霊、一生懸命やることで心を通わせれば一緒に過ごしてるようなもんだぞ
孝より
日米で戦争するとかまったく考えていない時代に
日本の留学生が大学で学んで帰郷の折に遺した歌だと思うよ。
尽くすまことは一つ、ってのは「真実はいつもひとつ」っていう某少年探偵的な意味合いでしょうよ
西洋とか東洋とか分かれて暮らしてるけど、ベストをつくせば同じになれる、ってことでしょ。
自称日本人は今直ぐ死んだほうがいい
そこを他の言葉に置き換えると、語感が減ってしまう。
誠のままにしておけば、祖国愛にも真実にも勉学態度にも誠実さにもetcなり得る。
もっとも、ガイジンさんには理解できなくなってしまうが・・・
言葉には意味以外の語感というものがある。
母国語でないと分かりにくい感覚。
というか、銅板に書文を残すような人のほうが特殊だろうwww
続けて書かれてる文字は、英語も日本語も何故か全く読めないんだよなぁ。
持ち主を特定してしまうなんて。
芭蕉の石碑とか全部こんな感じだもんな~
ビート孝やな バカヤロウコノヤロウ
小学校でもそれをやってしまって
以降教師に目をつけられて虐められた記憶が
みんな色々真面目に考察してる中
和ませてくれてありがとうw
「に」は丹でなくて尓だね。
多分一億人規模で自害することになるな
世間を知らなすぎる
いい一日になりそう
詩の中身は大学にふさわしい詩なので大学に縁のある方が寄贈されたのは間違いないと思う。
まぁどなたにせよ縁のある大学にこのような詩を寄贈された方はとても風流な方ですね。
日本語欠陥文字すぎワロタwwwwww
> 幸運にもこれはそこまで珍妙じゃなかった、読む練習をすればいいだけだよ
日本人は文盲だから基本的に文字は読めんよ
お前気持ち悪い奴だな
あるあるです
何人がどの国で学ぼうと
学問の真実は一つであることを信じましょう
みたいな
Japsの歌かな?
日本の大学に進んだ人が、アメリカの大学に留学した友人に
学問を追求する者同士のエール交換として送った歌のように思うが
太平洋戦争も美化したがるし本当にクソッタレだな
個人宛でプレートにする意味がわからんがな
そういう前提で考えれば、渡米当時まだ8歳か9歳ぐらいの繁子にこんなプレート持たせるのはちょっとオカシイから、留学生活10年間のうちのどこか節目で、訪米する知人なりに託して贈ったぐらいのハナシが自然かも知れない。
これは孝にとっては22歳から32歳ぐらいの時期にあたっていて、もう「学び舎」を出て大蔵省に勤めたり三井物産を設立したりしてるんだが、そのへんはまあ歌だから。むしろ、すでにそうやって活躍しカネも稼いでたからこそ、こういうモノを作って贈ろうという発想や余裕もあったと考えるべきかも知れない。
あとプレートの上部にも、判然としないがなにか浅く彫ってあるね、文字か記号か紋章か。
いずれにせよこの話は、そう遠くないうちに関係者(子孫や伝記作家含め)に伝わって、それなりの「続報」につながりそうな気がする。
という思いを綴った短歌だね
松下村塾出身者で誰かいなかったかぐぐったけど出てこなかった
もし書けたとしても、アメリカで材料をそろえられるだろうか?
または金属板に書く必要があるだろうか?・・・長旅を考慮したと見るのが妥当ではないのか?
孝さんが、アメリカへ立つ誰か(妹かな)に送った、と見るべきではないのかな。
室内で保管していて、解体時に出てきたようだから、綺麗な状態なのだろう。
やっぱ卒業の際に書いた俳句かな?
本当にアホだ。
スベったね
にしたところに作者の言葉に対する感性がいい
また東を頭にするより西を最初にした方が字面も柔らかくて好きだ。
妹と言うより学生に送った歌に見える。大学にぴったり。
うちの戦前から生きてるおじいちゃんが似たような字を書く。達筆すぎてやっと読めるくらいだけど、じいちゃんのじゃないともうお手上げ。
妹さんはもって帰らなかったわけだし、友人にでも託したのだろうか?
日米関係の悪化でその人に捨てられちゃった、とかなのかな?
その有人に悪意が現れたか、スパイ容疑を回避するためだったか…。
私的な句をこのような金属のプレートに刻むわけないわ
文字の部分だけ腐食させて凹ませるの
これだと元の字そのまんまが金属に刻まれる
不自然にスペースが空いてるのは上下の部分を留める枠か金具があったんじゃないかと推測
上の部分に金具で引っかいたような跡があるし
そば屋の幾楚者(きそば)って暖簾も読めないと思う。
書道で変体仮名習うと分かるけど。
高校の選択科目であればいいのに。
ここでの推察通り兄から幼い妹への贈る歌と考えれば極簡単な漢字のみ使われているのも合点がいく。
プレートに残したのだって今利休と称されるほどの粋人の御洒落と考えられるんじゃない。
あとは書や短冊と違って滲んだり曲がったりが少なく、劣化も為難いだろう。
兄の妹を想う気持ちが素材としても現れたと考えればお話としても綺麗かな。
ガチはキモいな
色んな国から留学生がいたのでしょうし、まだまだ帝国時代のど真中・・・国として敵味方になることも多かったのでしょうね。
書かれた時代や書いた人の癖によってはさっぱり読めなかったりする。
亡くなった祖母は草書がとても上手な人だったらしいけど
息子である父は祖母から送られてくるハガキを「さっぱり読めん!」と言ってたw
今は漢文なら読めるって人の方が圧倒的多数だと思う。
自分は書道は下手すぎて楷書まででやめてしまったから元は読めなかったけど、大学で古典をとってたので今は少し読める。
すっごい勉強しなくても皆ある程度は読めるようになってたから慣れで結構わかるものだよ。
道産子なので百人一首の木札程度なら子供でも読めるし。
大学にゆかりがあるものであれば、その大学にまた飾ってもらえたら
一番幸せだろうな、、銅版にとっても。
「つくすまことぞひとつなりけり」は「この真理を常に一つにする」と訳すより、「(日本で学んでもアメリカで学んでも)学問に全力を傾けるという点では全く同じではないか」と訳した方が原文の意味に忠実だと思う。
座右の銘みたいに、昔の金言とかをプレートにして身近に置いている人とか。そんな感じで。
つうか、そもそも敬老会名簿を見ると同世代の人たちの名前が変体仮名だらけだった。
俺も草書や変体仮名をすらすら読めるようになりたいね。
大学で人が見えるところに飾るべきものだな。
これは東洋西洋に身を分けておいても真理を追究し学ぶという心はひとつだよという
家族もしくは友人間の旅立ちに際して贈られた歌だと思うよ
それと海外のコメントで日本人収容所の話に触れている人がいたが、主に日本人が財産を没収されて収容されたのは西海岸地域だったと最近知った、だからNYではそれはあたらないね
は どこで学んでも 真理は一つだという意味じゃないの?
個人的なメッセージを 銅板に刻んで渡す奴はいないだろう。
あちこちから留学生が集まってくる大学にあったんだから 深読みしないで
「(一緒に学んだ友人たちが それぞれの国のある)西や東に別れても 学びや(大学?)で学ぶ真理は一つである。(だから 帰国してもそれぞれの国で頑張りましょう)」
ぐらいの解釈でいい気がするんだけど。
しかし普通にこういったものが出てくるんだな・・・凄い
せっかくの良い話のところを悪いが
お隣の国の問題はそういうことじゃなくて
政府が隠した歴史を民間が読めないところが問題なのでは?
当時の朝鮮の新聞や総督府からの手紙が読めないから
反日扇動に乗ってしまってる
この文のように誰か読めれば「あれ?おかしいじゃん?」と気が付いて
まともな流れになったのでは?
写真で比べて見たらどことなく似てるな。
と、すると、元の作者は戦中戦後も生きた、ある程度の名声&経済で実力のあった在校生。でも女子校ならすぐ解りそう。男性ならここの元教師かな?。
よく出る幕末イケメンだった
歌自体は当時でもその後なんかの記念で作ってる可能性あるし。
例えば繁子に当てた手紙だけど卒業の時に講演で当時珍しい日本人で兄からの手紙を紹介していい言葉だったからつくったとかね。
あと理系だと古文とかも触りしかしてないの多いよ。
和歌なんかは親しい人に向けたものと
第三者向けの綺麗な意味を一つの歌に込めたりするから
日本語の曖昧さを利用する手法の一つ
五十音表みたいな変体仮名の表もあるし、慣れればそこそこ読めるよ
なんか上下の余白が不自然に広いから銘板としての完成物では無い気がする
大学でフォトリソの作成実習か実験をした際に、素材として件の歌の書が使われた、とかかも
つくす、まこと、をわざと仮名表記にして両義的な解釈を可能にしたと思われる作品なので、(卒業後に) 西や東へ別れて行ったとしても、の上句の解釈は一定で同じですが、下句の解釈は、学校で追求した真実はただひとつであった、的な解釈と、学究につくした誠実はみな同じであった、的な解釈の両方を含みます。
どちらかが正しい解釈、と言うことではなくて両方の解釈があってひとつの作品です。
俳句や短歌の短詩形は、日本語の特性を生かした情報圧縮技術体系でもあるので、こういうふうに二重三重に意味を織り込む手法もよく用いられます。俳句のほうで言う配合法の一種ですよね。
洒落てんな孝
1.益田孝は1938年没なので戦前に渡米したおりに立ち寄って妹の縁の地に埋めた
2.更に後で日本との関連イベント(津田塾やお茶の水と姉妹校)で埋めた
ってとこじゃね?
簡単に出来ることじゃないからな
自分は昔軍歌とか聞いてたんだが、こういうニュアンスの単語がよく出てきたので分かるけど絶対に100%違うと思うぞ
「つくすまこと」は「誠意を持って奉仕する」って意味だろう、どう考えても
「まこと」は誠意とか正直とか純粋な気持ちって意味だ
現代日本人には分からん感覚かも知れないが、「まことのこころ(誠意)」は公共への奉仕(ひいては組織・国家・天皇への奉仕)という行為と容易に結び付く
この詩の場合、誠を以て尽くす相手は「まなびや」なのは明白だな
学生が学び舎に奉仕するのはさすがに変なので、学生ではなくて大学の職員や教授の側から書いた詩だろうと思う
239さんが解説してくれた二つ目の意味かと
例えば、「洋の東西」って言葉とか、
「こんにちはこんにちは西の国から こんにちはこんにちは東の国から」なんて歌の歌詞とか。
益田孝さんの歌なのかもしれないけれど、
有名な歌で、後世の人が、幾つも作ったうちの一つって感じがする。
学校の卒業生の作品とかで体育館や校舎とかにも
よくある製法の作品。
つかつくすまことぞでググればすぐわかるでな。
変体仮名もまったく同じのが出てくるし。ようは明治の人は筆記だと「か」を「可」、に「に」を「丹」と書くと覚えてたら割りと簡単に読める。
やっぱりここは孝さんが留学生に送った激励の文なんでね?
東洋西洋と別れてしまうけど学校では頑張るってことはどっちも違いはないんだよって。
尽くすと標すと掛かっていると思われる。
一心に勉学に励む尽くす
人生の道標としての標す
両方ではないかと。
これは関係ないやつがいくら考えてもいろんな解釈が出来るから、
直接本人に聞かないと本当の答え出ないぞ
本人にそこまで深い意図が無かったとしても
結局大多数がこれって決めたのが答えになるパターン
当たり前だと思ってる奴はよっぽどいい学校に通わせてもらったんだろう。
その文意に感銘を受けた人(同窓生か先生)が金属板にして額かなんかにして飾った
留学生が帰国した後も学内に残っていたが、その経緯や内容を知る人がいなくなったため大事に扱われなくなって、いつの間にか捨てられた
こんな感じかな?
>厚さは3ミリ、長さは27cm、幅は10~13cm
とあるから、242のいうような「歌碑」の類にしてはちょっと小さすぎる。といって身につけて持ち歩くにはデカすぎる(し固い)から、上部・下部の余白も考え合わせると「木製の枠にはめられた室内用の置物」に仕立てられていたという可能性も高い。
仮にそうだとすると、なぜ「捨てられたあげくに土中から見つかったのか」の説明もつかないこともないんじゃないかな。いくら兄の贈り物とはいえ、直筆そのままの書でもない、ずっと部屋の棚あたりにあった(かさばる)置物だったのなら、帰国の際にわざわざ持って帰ろうとは思わないだろう。
残っていた家具その他もろとも建物が取り壊され、地中に埋まって長い年月が経った結果、はまっていた木製の枠だか台だかは腐食してしまってプレートだけが残った、という線はどうだろうか。
※239が一番しっくりくる
年代的にやっぱり収容所ぶち込まれるか、プレートを廃棄されるかする前に庭に埋めたんじゃないかなあ
※258
さすがに草
それな、
笑ったわ。
日本人学生に向けた励ましと解釈してみた。
まとめサイト(学び舎)上で、1つの句の解釈について真摯に意見し合う両者の姿に違いなどない
ツチノコ(土+ノ+子=孝)
日本語的なやつじゃない漢文とかだわ。
短歌の謎解けたのかな世界的なニュースなるとおもしろいのにね
道産子さんの百人一首、百姓貴族でしったわ、ほんとうなのな。
アメリカに語学留学したいという希望を抱きつつ、結局は零戦で亡くなったらしいんだ……
書道を本格的にやってる奴なら誰でも読めるよ
①まずは※152の書いてるように激励の意味
「互いに遠くにあっても一生懸命学ぶ心(それにより到達する真理・境地は?)はひとつだよ」で
「考→アメリカに発つ幼い繁子」に渡された。
②繁子が卒業して帰国するにあたり、
「この先の人生は(物理的距離も互いの国に尽くすためにも)どうしようもなく分かれて行くが、
この学校で共に一生懸命学んだ事はどんな立場になろうと変わらない真実です」
という贈る言葉として「繁子→アメリカ他の学友達」に残していった。
って当たり前過ぎるだろ。。外人?
やすやすと時間を超えてしまう
ネットで世界は繋がって、あっという間に情報は行き交う時代になったけれど
見分けのつかない「ノイズ」として我らのやり取りは処理されてしまうのだろう
今から100年先、ここにいる誰も生きていないというクールな事実は未来の現実
「忘れたくない!」っていう思いはどこに行くのかねえ
1000年前から洋の東西を問わない問いかけに戻るしかないようだ
これだけちゃんとした日本語の彫り物ができる職人が米国にいるとは思えない
「木製の枠にはめられた室内用の置物」に仕立てられていたという可能性も高い。
同感。
ただ上にも出ているが作者本人が銅板にするのは妙だ。通常我々が目にするこういう句などの飾りは偉人や関係者のお偉いさん(会社や学校なら創立者の言葉等)のものを訓示にして会社員や学生に見てもらいたいと関係者が後に作成もしくは寄贈されたものである事が多い。日本の学校でなくてアメリカって事で学校関係者が作成も妙かな。日本で作成もしくは購入したものを日本人留学生のために誰かが大学に寄贈したものか。
だから益田が妹に個人的に送った説は引っかかる。とはいえ益田が作者という説は否定しないが(正直そんな簡単かなとは思うけど。孝なんて珍しくないし。)、そうならば益田の句に感銘を受けた誰かが銅板にして寄贈したのか。
なぜ庭にあったのか。庭で目に付く感じで埋まってたなら故意に棄てたり埋設したというより、何らかの経緯でたまたまそうなってしまったという感がする。捨てるならゴミ箱だし埋設ならもっときちんと埋める。勿論捨てたものを落としたとか埋めてたものがモグラ等で出てきた可能性もあるが。部屋の入れ替えで移動中落っことしたとか旧校舎の解体のさいに紛失したとか意図的でない可能性が高いように思われる。
ま全ては想像の域。
孝が送った相手がこの学校にとって記念となる人物で、それを飾っていた理由を知り、長く残すために短冊状の金属板に文字を彫り込んだってのが良いとこかな。
改装中てことは、木造校舎か学生寮だろうか。卒業生たちの記念品を集めた場所にあったけれども、変体仮名やらでアメリカ人が読めなかったから、ただの金属板として捨てたんじゃない?
江戸期でも明治期でも有名な漢詩から一部を抜き取りその現状に合せて少し変更して誰かに送る檄文にしたり詩吟のように歌うのはよくある事だから、この孝氏も杜甫か李白か王維かだれかわかんないけど漢詩の中から選び取って(もしくは誰かが彼にかつてこんな歌を歌ったことを教えたか、文章として読んだか)作ったんじゃないかな。
相手に同じような漢詩の教養があれば全部判るってことで。
もしかしたら妹のためにこの学校に大金を寄付したのかもしれないですね。
背景も合わせて考えるなら、西洋と東洋の違いはあるにせよ、学校において、心から勉学に励むなら自ずと並び立てる、だから頑張って勉強しなさい、
という留学生への励ましじゃないか。当時の留学生ったら、西洋に後れをとっている日本を背負うくらいの覚悟でしょ。
最近の教育ゆとりすぎんだろ
>ただ上にも出ているが作者本人が銅板にするのは妙だ。通常我々が目にするこういう句などの飾りは偉人や関係者のお偉いさん(会社や学校なら創立者の言葉等)のものを訓示にして会社員や学生に見てもらいたいと関係者が後に作成もしくは寄贈されたものである事が多い。
いやいや、コレを作った/作らせたのが30歳台の益田孝だとすれば、それは明治ヒトケタのハナシってことになる。つまり上野の西郷像が造られるより20年以上、国会議事堂が建てられるより60年以上も前。約130年後の「通常我々が目にする」ようなこの種のプレート(もっと大きいはず)のあり方からの類推は、ちょっと効かないんじゃないかと思う。
「銅板へのエッチング」ということからくるイメージよりも、文字の大きさについて考えてみよう。これは長さ27cmで上下に大きな余白、読むべき部分の長さは15cm少々、従って「西東」の2文字も縦2cm程度にしかならないんだ。
つまりこれは、まあ50cmぐらいの距離に近づいて正面から観ないと、たとえ書体に慣れていたとしたって判読できない。「みんなが一度に見られるように」と、例えば社長室や学寮広間の天井近くに掲げたりして意味のあるようなモノではないんだよ。
イメージとしては、(欧米の)マントルピースによく並んでいる、額に入った家族の肖像写真の方に近いんではないかな。
「西(洋)東(洋)に分かれても〜」なら日本人として心情を理解できる。
いい歌だし大学内で大事にしてほしいな。
金属板にしたということは個人的なものではないだろう
※24と※33あと他に・・・面倒くせえ・・・
大河ドラマは江戸時代(生まれ)までの話と決まっているのだと思う
明治生まれ以降の話は朝ドラの管轄だね
草書っぽいからどこかで見たんだろうが
普通の卒業の詩だよね
別れても心はひとつって事でしょ
個人的には大きさは特に問題を感じない。
「天井近くに掲げたりして」は確かに訓示のイメージだけど、例えば大学だと銅像等の下に、例えばエントランスなどに小さく飾られているのは見られる。まさに良く見ないと普段は誰も見ちゃいないといったものだが。内容も清く正しくといった訓示とは違う。
そして130年後(年代はまだ確定的ではないと思うが)の我々の類推も絶対的なものとは勿論言わないが、実は結構感覚的に通じるものはあると思っている。これぞ日本人のみ持っている感覚で外国人が日本史を勉強する際、また日本人が外国史を勉強する際に不利になる所だ。文化も歴史も続いて受け継がれるものだから。(勿論変化していっているから一概には言えない)そういう感覚で見るとやはり自分が創った文を自分で銅板にまで仕立ててプレゼントなんて結構な違和感。相当な自信家だ。
そして出土地点が大学内ってのを考えると繁子の個人所有とはちょっと考えにくいと思う。繁子は市内の家に下宿させて貰ってたみたいだし、大学にわざわざ持ってきてさらになくしちゃいますかと。
ただこの文自体は益田孝作だったら面白いとは思う。(実はWikipediaですぐ調べられる最もらしい簡単な答えすぎて目利きなんかで素人が思い込んじゃう感じと同じく違うんじゃないかなと思う)益田作とするならやはり繁子の存在があったからこの金属板がここにあるんだろうと、関連する可能性はあるのだと思う。例えばこの大学に縁のある著名人の文として寄贈された等。
ネットだからと厚顔無恥に偉そうに書いて我ながらみっともない。大山捨松子息の大山柏が発掘してたら面白かったな。
解釈は、いろいろあるだろうが、僕は次のようにとらえた。 孝 氏は一見して学友に宛てたとも見える。 学友は日本など東にのこって研究を続けているが、 孝氏は西の米国で研鑽している。 我々は同じように学問の道で研鑽しており、その志、精神は一緒だ。 確かに、肉体的には東西に分かれてはいるものの、学問の道を追求するという真の道はおなじものである。お互いに、しっかり研鑽をしよう という言葉であるが、その学友に宛てたというふりをしながら、実は自分自身を叱咤激励しているという内容であろう。
これはさらに一般化すると、誰しもがこの学び舎では一生懸命研鑽に努めようという意味になると思われる。
両親への愛という意味です。約1880-1960年生まれ日本人男性のポピュラーな名前。
西洋と東洋の違いはあっても、学問の場において、真面目に勉学に励めば至誠天に通ずるものだ、という解釈が妥当じゃないか。
東西身盤可れてもまなひや爾つくすまこと盤ひとつ奈り介里
元の字のあたりさえつけば難しくはなさそう。
教養として崩し字の読み方を身に着けるのもいい時間の使い方だろうね。
スレ内の外人達や※欄でも銅とか言って真鍮が出て来ないのが不思議。
手軽な木の板や鉄板を使わずに、錆びたり朽ちたりしないようにわざわざ真鍮板にしてる事から製作(板の用意や文字のエッチング)は業者に発注してる。
という事は個人的に書いた(作った)というよりはクラスや学校単位で製作したのでは?
朝・鮮・人のことを言えないよまったく
外国語学習は人間の生理学的限界の問題がある(聴覚回路はローティーンぐらいで完成してしまう)。
草書は歳を取ったあとの学習でも読めるようになる。
それこそ、学校に対する寄付額が莫大だったから、学校側が記念碑用として作ったとか。 で、戦争中に取り外されてそのままになっていたとか。
学び や
西東身〇可れてもまなひや〇 つくす〇〇にひとつ奈り〇〇
しか読めんやった。どの漢字をどの音に当てたかわからな…
と、思ったら、ああ、なるほど※313氏か。
初見では西東のあと、ひらがな以外は身と可と奈しか判らなかったよ。
せっかくだから、なんらかの形で保存されるといいなぁ。
本スレで言葉使いが不正確と言ってるのはこれのことかな。
「まことをつくす」は「誠実でいる」「真心を持って接する」という意味。目的語が「学びや」だから「母校を盛り立てていこう」くらいの意味かな。
異論は認める。
銅版画は凹んだところにインクを詰めたあと余計なところのインクを拭き取ってプレス機に掛けて印刷するから字が反転しない。
大学も調べればどんな留学生がいたかわかるだろうし
数十年前まで西と東といえば民主主義と共産圏だったりの意味もあるし本意を知りたい
どっかの教室に飾ってあったか、誰かが授業の一環かなんかでつくったんじゃない?
本人が金属板にわざわざ彫る(作る)かなあ?
(外国人風)
なンで大昔の老害は読めないよーなヘッタクソな字で書くンだろーな?
ちょっと調べていてわかったのは益田孝は「孝」を名乗り始めたのは明治5年からという話。永井繁子が渡米したのが明治4年11月。微妙なタイムラグがあって、渡米時に直接手渡したかも微妙(まあこれ自体推定の話だが)
わざわざ腐食しにくいプレートに名入りの詩を描こうなんて思わないんじゃないかな
マール社の安い百人一首文庫に御家流で書かれたカルタの絵が付いてるんでその変体仮名の元字と草書を調べつつ何度も書き写してるうちに徐々に読めるようになってきた
高校レベルの古文なら活字で書かれてりゃ読めるってのは前提知識になるけどそこをクリアできるまともな高卒以上の日本人ならあとは訓練次第
「ずっともだよ!」
これは崩し方がわかりやすい部類
自分の翻訳が間違ってるとは考えないんだろうか?
ナチュラルに絶対自分が正しいって思ってんだな
別に難しい部類じゃないそうな
読めない俺が恥ずかしいわ
当時の技術でも紙から転写して版木をつくるのは十分可能かと。
西洋人でも東洋人でも、学問において誠をつくせば並び立てる、と解釈する。
書かれた時代背景として、我々東洋は西洋に遅れをとっているから頑張らないといけない、というのが当然の了解として。
「国家安康」「君臣豊楽」並みに「そう解釈しますかー!」な曲解で葬られてたりw
草書はもはや日本語としてはあんまり機能してないもんね
時代の流れとともにカリグラフィの一種になりつつある
俺も婆さんの手紙読めなくて参ったことあるなあ
『(留学生として来た私と他の学生と)体は東洋・西洋と違っているけど、学び舎で学業に捧げた心は同じだった』
白黒反転しなくても、字が裏返しになっちゃうよ。
>>326
昔はみんな読めたんだよ。人それぞれの字の癖があっても、全部解読できた。
活字に慣れて、楷書しか読めない俺らが劣化してるだけ。
卒業で帰国の時がきたからと学友への惜別の辞を詠んだものだよ。
これが読みにくいのは「(ひらがなが)『くずし字』の『連綿体』、かつ『変体仮名』混じりで書かれている」からであって、漢字の「西東」や「身」の部分についていえば、まあ行書体のうちだろうと思う。
大体、連綿体のなかに漢字を混じえる場合、草書にまでは崩さないのが普通じゃないか? 三切とか源氏絵巻とかでもそうだったように記憶してるが。
チャイニーズか? 比較文化論の学者達か?(米の学者のほとんど、特に比較文化論とかの学者たちは恐ろしいほど皆リベラルらしい。>地政学奥山氏)
漢字廃止してハングルに統一した韓国・朝鮮のことを笑えない。
ただ、日本の中高年は欧米で廃れつつあるラテン文字の筆記体の読み書きは
出来たりするな。
クラスメイトはズッ友だよな
今風に言うとこんな感じ?
探究する真理は一つだし、それを誠実に探求する心掛けも何処に分かれて居ても一つ(同じ)だぞ
という兄が妹へ贈った別れの句だろう
蓑一つだに無きぞ悲しき
「この大学でともにならんだ俺らも東と西に別れなければならなくなってしまった。がこの学び舎において、追究した真理(学術的真理)はひとつである」及び「この大学に対する愛校心はひとつ=俺ら等しく同じである」
平安時代などに比べて現在と同じ種類のかなが多いので近代だろうけど、「ま」等読みにくいし、そこそこ変体仮名使いが堂に入ってる。ので東西冷戦時ではなくて、真珠湾攻撃の前ぐらいに日本に帰ることになったと推測。
1930年代にヴァッサー大学に在籍していた「孝」あるいは「孝一」「孝介」を卒業者名簿から探せばわかりそう。
この時の思いが戦火で焼けたりしないように、金属板に掘って土中に埋めて、いつか平和な時代に掘り出されることを思ったのかもしれない。
日米間の緊張は日露戦争終結後から既に始まってる(戦後にアメリカが大艦隊・グレートホワイトフリートを訓練航海の名目で日本に派遣、世界中から日米開戦不可避とされた。先に艦隊を派遣してその艦隊に謎の攻撃があって奇襲占領はアメリカの常套手段だった為)から、1930年代に限る必要はないよ。
しかしこういうのを見ると「韓国人は昔の文書を読めない」などと言うのが恥ずかしくなるな。
標語って言っちゃったww
すみませぬ
立派な詩ですね
これ詩じゃないよ
これって
なぜ金属板?
誰が持ち込んだのか?
なぜ埋まっていたのか?
岩倉使節団女子留学生関係の資料(伝記、日記)からなにかわかるかどうかというところ
誰の物か気になる
歌を送るのに金属プレートにする意味が殆ど無い
かといって実物は存在する
孝が出国前に妹に送ったという話は納得できるけど、なぜに金属板?と
で、これは何かの一部だろうと思う
置き時計、筆入れ、カバンの金具、その手のものではないだろうか?
が筆入れなら銅(おそらく真鍮)で作るよりも漆、もしくは漆蒔絵や印伝等の方が収まりが良い
となると…と想像すると横長の置き時計のどこかのプレート、カバンの金具、鏡の蓋等という感じがする
スレ主が
>厚さは3ミリ、長さは27cm、幅は10~13cm
と言っているんだが
置き時計やカバンや鏡程度の大きさのものに貼り付けられたプレートとしてはこのサイズは大き過ぎないか?
銅や真鍮だとすれば重さも900g前後はありそうだし
東西に別れても学問に尽くす誠実な心は一緒だよって感じかな
寺への寄付で1枚1000円で自分の名前がかけるとかよくやってる。
これを「この程度」とかいう無知の方がよっぽど恥ずかしいゾ
これ読めたら大体読めるから^^
尽誠学園とかあるでしょ。
真という意味でとらえるのは無理があるよ。
二つあった訳案の1の方が近いと思う
東西で考え方が違うけれど学ぶことで分かり合える、みたいな
意味だと思うけどな
お前は残念な頭だな
これをここに書き出されたら日本人は読める
アレらは漢字をそのまま書き出されても読めない
全く違うわ
自分は日本史専攻だったので読めたが、学部生でも最近は読めないことがあると思う。
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