引用:http://boards.4chan.org/his/thread/983894
スレッド「日本の芸術作品や宣伝物や現代的な描写をシェアしていこう」より。
(海外の反応)
1万国アノニマスさん
日本の芸術作品や宣伝物や現代的な描写をシェアしていこう
アニメとかオタク系とかそういうのはいらない
元祖・隠者の王国である日本に歴史的興味があるんだ
アニメとかオタク系とかそういうのはいらない
元祖・隠者の王国である日本に歴史的興味があるんだ
2万国アノニマスさん
鎧は正しく描けるのに、どうして顔は必ず間抜けな表情なんだろうか
3万国アノニマスさん
なぜ日本人は盾を持ってないのかいつも気になってしまう
移動式の大盾はあったみたいだけどそれだけだし
移動式の大盾はあったみたいだけどそれだけだし
↑万国アノニマスさん
でもヨーロッパだって兜や胸当てを身に着けていた兵士は盾なんて使ってなかったよ
↑万国アノニマスさん
日本の戦は主に弓矢と馬が使われていたんだよ
鎧には弓矢に対抗するため大きなショルダーガードがついていたし、足軽は大盾を使っていた
接近戦だと日本人は両手剣を好んで使い、盾は許されなかった
その後は槍+弓or銃になっていったので盾はそんなに登場してこない
鎧には弓矢に対抗するため大きなショルダーガードがついていたし、足軽は大盾を使っていた
接近戦だと日本人は両手剣を好んで使い、盾は許されなかった
その後は槍+弓or銃になっていったので盾はそんなに登場してこない
4万国アノニマスさん
↑万国アノニマスさん
クールな話だね、教えてくれてサンクス
6万国アノニマスさん
どうして「武士道」は日本でしか生まれることが出来なかったのか
他のアジアの国々ではどこにも無いよね?
どうして「武士道」は日本でしか生まれることが出来なかったのか
他のアジアの国々ではどこにも無いよね?
↑万国アノニマスさん
武士道とは文字通り戦士に適用される儒教
サムライが家来に称賛させるためだけに生み出されたものだろう
サムライが家来に称賛させるためだけに生み出されたものだろう
8万国アノニマスさん
こういうのはいつ見てもクールだ
こういうのはいつ見てもクールだ
↑万国アノニマスさん
室内で土足とはさすが外人
10万国アノニマスさん
記事を探してみたけどとりあえず写真1枚載せておこう
記事を探してみたけどとりあえず写真1枚載せておこう
↑万国アノニマスさん
素晴らしい
少なくともこの絵だと盾は手持ちの肩甲みたいにに見えるな
時代的には江戸時代後期より前かな?
残念ながら日本の時代特定は全然得意じゃないんだ
少なくともこの絵だと盾は手持ちの肩甲みたいにに見えるな
時代的には江戸時代後期より前かな?
残念ながら日本の時代特定は全然得意じゃないんだ
↑万国アノニマスさん
↑万国アノニマスさん
11万国アノニマスさん
7世紀の日本人の服装
7世紀の日本人の服装
14万国アノニマスさん
この帽子の詳細についてどこか分かる場所は無いのかな?
この帽子の詳細についてどこか分かる場所は無いのかな?
↑万国アノニマスさん
裁判官がかぶってる変な帽子の軍事版で誇張されたものじゃないかな?
17万国アノニマスさん
『Total War:Shogun2』ってゲームでは織田家を使ってたんだけど
興味が湧いてきたしもっと知りたくなってきた
歴史をするのに何かいい本はあるのかな?
『Total War:Shogun2』ってゲームでは織田家を使ってたんだけど
興味が湧いてきたしもっと知りたくなってきた
歴史をするのに何かいい本はあるのかな?
↑万国アノニマスさん
どの時代を知りたいんだろうか
ウィリアム・G・ビーズリーの書いた日本史はマジで素晴らしいと言っておく
ウィリアム・G・ビーズリーの書いた日本史はマジで素晴らしいと言っておく
19万国アノニマスさん
日本が銃の大量生産をしていた当時は
ヨーロッパの大半の国よりも数が多かったんだよね
銃は全然珍しくない武器で、地元民は伝統を良い意味で忘れたから軍用になるには十分だった
どれだけ一般的だったかは見当つかないがね
日本が銃の大量生産をしていた当時は
ヨーロッパの大半の国よりも数が多かったんだよね
銃は全然珍しくない武器で、地元民は伝統を良い意味で忘れたから軍用になるには十分だった
どれだけ一般的だったかは見当つかないがね
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歴史的な絵から色んな疑問が聞けるのが面白かったです
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コメント一覧
重い盾持って敵と戦うのはコロッセオの戦士かバイキングぐらいだろ?
日本の鎧兜は大盾と言って肩パットシールドが付いていて、飛んできた矢を払いのける役割を果たしていた訳で重い盾を持って刀を払いのける盾とは概念が違うから。
戦い方の違いが装備の違いでもある訳で…
どう見ても儒教です
日本の剣道は剣で防御もこなすから外国の剣士とは考え方が違う
アイヌは知ってるけど隼人や熊襲や出雲なんかの事は知らない癖に。
浄土真宗や日蓮正宗が主な影響を与えてる
鎌倉幕府以前から武士道は仏教徒です
韓国に武士は居ないじゃんね両班しか居ないじゃん(笑)
スレタイトル忘れて保存しまくってた。
そら朱子学やら思いっきり取り入れているんだからそういう側面はあるだろ
韓国人の文化侵略ですか?
儒教思想がもたらす物は崩壊以外の何者でも無い
これな!
そのものではなくとも影響がありすぎる。
武道というのは武術をさすだけの言葉では無く、侍がいた時代では「武家の道」という意味で使われていたので儒学も大いに絡んでいる。
特に封建社会におけるイデオロギーとして採用しようとした部分もある。
結果的には実践を重視する陽明学の方が好まれた。
韓国では無いそもそも武士文化がある頃に韓国は無いだろ?
儒教とはそもそも中国が発祥の地儒学者は中国人
槍は長いから両手じゃないと無理。
邪魔になって逆に打ち込まれるから
人を殺しても南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行けるというふうに
浄土宗や浄土真宗などで改変したんだよね
その辺の鎌倉仏教は歎異抄読めば分かる
納得、納得
劣等種だからな(笑)
突く、切る、殴る何でも態様出来るナギナタが最強
薙刀≧槍>>日本刀>二刀流>盾+片手剣>>>>>>ダースモールのクソ武器
日本の話だし関係無いわ。
聞くだけでイラつく。
原文にどう書いてあったかは知れんが、これは明らかに縄文人のことだな
蝦夷や熊襲と呼ばれた民族が本当に縄文人であったかどうかは議論の余地があるがね
仏教は本来、辛い世の中、自殺して死んでもわずか49日で転生してまた蘇る
だから死んでも無駄で、この生き地獄の輪から抜け出すには解脱が必要と言う教え
先祖を敬う仏壇とか、インド人もびっくりだわ
武士道が成立するのが江戸時代だから、儒教は支配者の論理として非常に都合が良かった
突っ込み待ちなのか?
どーでもいーや。外人は、両手合わせてお辞儀でもしてりゃいいさ。
主家ひいては幕藩体制の安泰を図るために
綱吉が生類憐みの令を発布したのも、朱子学を奨励したのも、狙いは同じ
戦国の荒くれ気風を抑えて穏やかな徳川の治世を築くためだった、と
浄土真宗や日蓮正宗が主な影響を与えてる
鎌倉幕府以前から武士道は仏教徒です
武士道は戦いのなくなった江戸時代にできたもの。
八幡様が仏教とでも・・・三河侍は浄土真宗が多かったようだが、
基本的には貧乏人のための宗派であり、日蓮宗はどうでも良い。
儒教の物言いは正しいとも思えんが、思想目的としては遠からずかも。
日本最強は長巻だよ。槍と並んで戦場で使われてる。
八卦、陰陽五行説などの東洋思想は現代人が想像するよりも武士道の根幹にあり、
それと仏教、神道の死生観、兵法が複雑に入り混じって日本独自に昇華されたものだよ。
道とまではいかないにしても一応、ご恩と奉公なる単純明快な主従関係はある
これもかなり儒教チックな考え方だけど、少なくとも仏の教えではないな
武士は自分達に都合のいいようにどんどん改変して悪い奴ほど極楽にいけると改変しました
仏教は字が読めなくても念仏やお経があるし或いは平家物語や太平記などの物語仕立てにして
琵琶法師が広めたので伝わりやすかったのです
という本を読んでみると武士道や神道と東洋思想の結びつきの一端がわかるだろう。
あと当時の仏教は神道とも一体となっている物だ。
タタラ場の立場から見たアシタカの姿もまた、異文化の旅人が地元に新たな風を呼び込み危機を救ってくれるという、典型的なマレビト信仰に似る描写となっている。
面白いラノベを書きたいと思ったら、もののけ姫を参考に書いてみればまず失敗はない。
武士道の観念は、江戸時代前期の儒学者、軍学者の山鹿素行によるところが大きい。
山鹿素行は、士道の価値観を儒教の朱子学の道徳で説明したことから、儒教的な倫理である仁義、忠孝などが武士に要求されるようになったとされる。
この山鹿素行が提唱した士道論は、この後、多くの武士道思想家に影響を与えることになる。
儒教で一番大事なのは「孝」だけど、戦国時代の武士は全然大事にしてないだろ
父親を追放したり、親子で敵同士になったり、親を人質に出したり
どこが儒教なの?
※12
朱子学を取り入れたのは幕府が成立して平和になってからだろ
全然戦わなくなってから、「お役人」がこしらえたものが武士道なの?
神道は天皇がトップだから武士的には都合が悪かったので仏教じゃないといけなかったんだよね
結局混血していってるんだから
中世以降は単純な原住民の駆逐とは言えんだろ
半分原住民の血が入ってる側と純粋な原住民との言わば内輪揉めみたいなもんなんだから
死後のことは関心がないのが儒教だよ
たからあえて言えば、仏壇を置いて拝むのは神道の影響だろ
神道は死後の霊に拘りまくるから
上杉謙信や武田信玄の時代は下剋上と呼ばれた時代。
中世期の主従関係は主君と郎党間の契約関係であり、奉公とは御恩の対価とする観念だったので、「裏切りは卑怯」「主君と生死を共にするのが武士」といった考え方は多くなかった。
現在のような武士道の観念が確立されてくるのは江戸時代以降のこと。
飛鳥時代にあんなかっこしてないし
そもそも日本っていうかインドみたいだぞ
普通に、片手で握った剣や刀は、両手で力いっぱい振り下ろす刀に、簡単に弾き飛ばされてしまう。
このことは子供の頃、チャンバラごっこをしたことのある者なら、普通に分かる。
片手に剣、片手に盾を持った人間は、両手に刀をシッカリ握った人間に、最初から負けている。
天皇も普通に仏教信奉しとるがな、というか歴代天皇で仏教信仰してない方が少ないレベル
鎌倉政権は新しい仏教を取り入れて旧来の勢力に対抗しようとしたのが特色
どうも武士道が成立したのが江戸時代というのを理解しないやつがちらほら
ちなみに朱子学は後醍醐天皇も影響を受けている
あと江戸時代の武士道は儒教というより江戸幕府が官学化した朱子学だろ
戦国時代や江戸以前はそもそも武士の定義があいまいだった
江戸中期から幕末にかけて流行して明治維新の原動力になったのは陽明学な
なんてものもあるしな。鎧来てたら盾なんて却って邪魔だろ。
ガイジンは無知の自覚をして欲しい
下級武士は命の値段が安いから防御より攻撃重視だったからだろ
だけど、神道の思想にどっぷり漬かってたよな
菅原道真の怨霊に藤原氏が恐れおののいたり
仏教には怨霊という概念は無いから
儒教は元々祖先崇拝を重んじる宗教だからな
位牌は儒教→禅→他宗派と伝わっていったもの
仏壇も儒教の位牌堂がルーツと言われてる
役人ではなく軍学者だな。
後世の武士道に影響を与えたとされる山鹿素行は浪人の身分。
日本で言うとこの剣道?みたいな西洋文化のせいの気がするんだが。
思いつき発信だけどw
盾は拠点防衛には使われていたけど、
戦国時代なら武将クラスは立派な鎧を着ているから盾はいらない
足軽クラスは使い捨て
西洋の戦い方とは基本的に違うんだから、その辺は理解しないと
平安後期から江戸前期にかけては天皇の即位式も密教方式だったしな
日本人の倫理観を支えてきたのは仏教だろ
武士道は朱子学より以前の儒教を再考してより武士を肯定するよう再構築したものでしょ
中国人が奨励する徳や忠孝よりも武勇を優先しなければ武士が世を治めることは到底無理だからね
浄土宗,・日蓮宗・,禅宗、臨済宗、曹洞宗、浄土真宗など新仏教6宗は、武士階級へ最も浸透した宗教、思想、哲学だしね
鎌倉仏教と武士階級の関係はきっても切れないけど、なんでインド思想よりも一々武家文化に儒教をフィーチャーしたがるのかね中国人って
中国人は自国文化がどれだけ仏教などのインド哲学と一体となった文化なのか考えたほうがいいぞ
江戸時代の武士道って忠義を第一義に置く思想じゃないの?
忠臣蔵とか寺子屋とかのあれ
具体的にどんなところ?
わかりやすく教えてくれよ。
成り立ちや時代背景はいいからさ。
たとえが全然ちがうわ馬鹿
アボリジニはおまえら流刑者の白人とは全く関係ないが、アイヌは縄文人の直系の子孫
日本人の原型だ
強いて例えるなら英国のケルト民族に相当するものだ
武勇がなくてはいくら忠義や人徳があろうが無力だというのが武士道なんだよ
忠臣蔵にしても忠義の前に武勇があってこそ成り立ったお話だしね
しかも日本刀は単なる武器というだけでなく、一種のお守りのような信仰も併せ持ってた。だから主流になったとも言える
迷信深い時代ならなおさら実用性よりも信仰を優先しがちだ
日本刀を扱うことが前提になれば盾を持たなくなるのは自然の流れ
日本刀のような重い剣を片手で使おうとしてもまともに振ることもできないし脇差しではリーチがない
結局剣といえば日本刀だけが前提の世界なのだから、日本刀を止めて別の軽い長剣にして盾を持つという発想もしなくなる
そうして盾の技術も貧弱なままだからますます使わなくなる
壁としての置き盾や敵の攻撃を防ぐために盾だけを持つ防御専門の人間はいても、個人が扱うものとしては、ただただ日本刀や武器を使う技術だけに特化していく
盾が有効なのは個人戦よりも集団戦だが、日本のように狭く険しい地理環境では盾も最大限の効果を発揮できなくなるのも大きな理由
>ま、鎌倉文学読めば儒教の影響なんて全然ないことが分かる
日本における儒教は、思想ではなく学問(儒学)だったからな。
中国や朝鮮みたいに深く浸透しとらんよ。
>神道は天皇がトップだから武士的には都合が悪かったので仏教じゃないといけなかったんだよね
八幡神は、清和源氏、桓武平氏など、全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた神で、歴代の武家政権も八幡信仰を進めている。
今時の韓国人の考えに最も寄り添っているわけだがw
修身の教科書に論語が採用されていた事も知らんのかw
江戸時代の武士道は主従関係を強化して秩序を固定化する目的で発生した思想では?
韓国人の受け売りで儒教を生半可な理解で否定
しかもそれを韓流文化の一種として嫌っているという倒錯ぶり
こりゃ馬鹿すぎて再教育も不可能なレベルだな。いっぺん死んでからやり直せw
接近戦用の小型の盾がないのは接近戦なんてしないから
士官は馬に乗って手がふさがってるし兵卒は両手持ちの槍だから
ケルトとも違う
民族は違うけど人種的には大和も蝦夷も同じ
何が違うかといえば、農業をして国家の枠組みに組み込まれたのが大和
出雲や熊襲も農業が出来る地域だったので早々に大和に組み込まれた
一方、農業の出来ない地域に住んでいて国家の枠組みに組み込まれなかったのが蝦夷
米(税)が取れない地域を国家(組み込まれなかった者達から守る土地)に組み込む訳が無い
ロシアの脅威であわてて組み込んだけどね
甘ったれずに、自分でググって調べろ。
とりあえず、朱子学は儒教だということを理解しろ。
安定した時代の中で下剋上を防ぐために朱子学に準えて士道を説いたものが武士道だと言うもの正解だしね
でも、なんのために月代を剃り、刀の差していたのかと考えれば
朱子学では武士の本分は説明しきれないと思う
皇室も仏教色が強かったから、その辺はいいんではないかと。
皇室は、古くから神道の祭祀と仏教の行事を共に行っていたが、皇室の神道色が強まったのは、江戸時代の第119代光格天皇が、朝廷の復権を志向して行った宮中祭祀の復活によってであり、それまではむしろ仏教色が強かった。
明治時代に行われた神仏分離や神道国教化に伴い、仏教と皇室の直接的な関係は薄れた。
盾が普及しなかったのは武士の原型が騎馬から始まったからでしょ。剣は馬上で抜きやすくする為に反りを持たせ、もう片方の手で手綱を握ってしまうと盾は持てないので鎧を大型化して盾の機能を持たせたと。
例えば平安初期の空海のころは官僚として朝廷に使えるつもりならば論語などを学ぶことは必須であった
道教は陰陽道として発展していた
そこに空海などのカリスマ的な仏教者が現れはじめて仏教が頭一つ抜けた形となった
儒学は仏教の中の一学問的な位置におさまった
鎌倉時代には大陸から禅と儒学を混合する形で日本に入れ、やがて治世の学として武士階級に広まっていった
江戸時代になると仏教から儒学は切り離され武士道の大きな柱となる
ゆえに今言うところの武士道は江戸時代からであってそれ以前の武士には当てはまらない
弓矢の性能が上がるとあっという間に盾が使い物にならなくなって
生存率を上げるために体の装備が発達すると盾持たずに両手武器持った方がいいから
盾がどんどん小型化してなくなった
銃が登場すると重い鎧は無駄と軽装になって、盾は復活せずに細見剣とパリィングダガーの組合せになる
結局、騎士の儀礼武装で盾のイメージだけ残ったという話
最初の弓防ぐ為の大盾あればいいんだろ
刀は片手じゃ十分威力出せないし
ワロスw
本来の朱子学は忠よりも孝を尊び、易姓革命や禅譲を天命による優れた行為として肯定するけど、
日本の朱子学は忠を最上の徳目として易姓革命を全否定する論理を作り上げていった
ちなみに葉隠は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法なんかが載っていたそうだ。
盾の話聞きたいんだよ。俺は。
西洋でも、鎧が進化すると縦がなくなるのはそのため。
日本は鎧が早い段階で完成したので、手持ちの盾が廃れる。
これってさ、西洋も同じじゃない?
日本独自って考えでいけば、何か違う様な
武将は騎乗するし、足軽は動き回る必要があるので、盾を持つ必要がなかったのかな?
>八幡様が仏教とでも・・・
おいおい、僧形八幡神・・・・・・八幡神が仏門に入っちゃってるよ。
朝廷も八幡神に菩薩号を与えてるし、神仏習合の極致みたいな神様じゃん。
単純に接近戦では両手剣の方が強いってことじゃないのかと
中~遠距離での長槍や弓矢勝負なら盾なんて邪魔だろうし
西欧の紋章は全部盾だろ?自分の象徴なんだよ
戦場では実用的じゃないから使われる事は少なくなったが、騎士は必ず自分の家の紋章が描かれた盾を盾持ちに持たせて従えていた
刀も同じく槍や弓に比べりゃ実用的じゃないけど必ず武士は刀を持っていたし、実用的じゃないっつったら憤慨する奴出てくるだろ
それと同じ
日本刀でも打刀は軽いし西洋剣でもロングソードは重いし用途によって色々あるんじゃね?
いたが、近接戦では両手で持つ槍や日本刀の前には木製でも金属製でも盾は防御手段としては
有効じゃなかったんだろうな。
日本で相手が西洋の甲冑なんか着てたら戦わず通り過ぎて陣地に攻め込むよ
武士はあまり好きじゃないの。
NHK大河ドラマで西洋史をやってくれないかな。
日本武士はすばやく、こちらが振りかざすよりもはやく
一刀両断に体を真っ二つにされたと書かれている。
重いロングソードでは遅いし、盾でもよけれた。
日本刀では盾なんか持っていたら遅くなり
よける前に切り倒せるし、隙を見つけてもぐりこまして切ることができる。
日本刀の前には盾は無用の長物になってしまった。
鎌倉仏教のこと
つまり武士の精神の故郷はインド思想
仏教というとぴんとこない人でもインドの古典読むと納得するし、まんま武士道の思想に通じるとわかる
人を殺すなとは書いてないし、自らの死をもって尽くすのが軍人の本懐だとインドの古典では教えてる
葉隠れと同じ思想
中国の影響は単なる言葉だけ
義とか忠とかね
でも実際の中味は中国色がなくなって日本的になってるけど、武士道の中身自体は実はインド的なんだよ
仏教では出家在家を問わず不殺生戒は基本中の基本だぜ
知識もなく嫌い嫌いで済ますのはいかがなものか。
無知なのが味方側に居るとそこに敵さんが付けこんできて迷惑するんで
ちゃんと勉強して正しい知識を身に付けたうえで嫌韓して欲しいわ
基本、弓銃槍石の傷が多い訳だし
映画やゲームみたいに、日本刀をブンブン振り回して、敵を倒してた何て信じてる人いないでしょ
連中が儒教として掲げているシロモノは儒教を名乗りながら儒教にあらざる紛い物、故に「腐儒」と呼称される、すなわち毎度お馴染み劣化して原型留めているかどうか怪しいってヤツだよ。
本来肩につける大袖を盾として使った。
実用的じゃないんじゃなくて、単に野戦とかではより有効な槍等が主兵装で刀はあくまで予備武器扱いだっただけだろ、敵の城とかに押し入った時は狭い室内だと槍より刀に切り替えたりする訳で、どの武器にも有効な場所とそうでない場所があって使う方は皆それ判って使ってただけ。
下克上は儒教思想に相容れない
それトンデモ本の話だからマジで言うと恥を掻くぞ
これって確か5世紀の倭人を示した絵じゃなかったっけ
4世紀の百年間ほど国交が途絶えていたから、3世紀のイメージ(裸足)のまま描かれてしまったと中国の学者が何かの本で語ってたような
中国や西洋と比べ、雨量の多さが諸手打ち剣術に繋がったんじゃないかと。雨中戦闘も多かった日本では、片手打ちだと滑って落としたり、叩き落された可能性があるし、片手で盾、片手で刀だと、防御も攻撃も中途半端になる。何より組討ち術が発達しているから、盾を持っていても投げ飛ばされた可能性がある
室町期の陣形では、前列が盾兵、中列が弓兵、後列が刀をもった騎兵といった感じで、盾兵はやはり使い捨ての下級兵士。
己の技量に自信がある武士は薙刀や刀で矢を落としていたから、盾を用いるのは技量に自信がない証拠と見られかねなかったという精神状態もあるとは思う
島原の乱の絵画とか見るに、投石を防ぐのに手盾は用いられているけど
軽く触っただけでも宗教とは別物だと分かるのに
仏教とは立場が全然違うよ
ワイドイツ育ちだけど...
ドイツ語を話す韓国人は反日が弱い。
英語を話す韓国人は反日が強い。
ドイツ語を話す韓国人は気持ちがわかるのか...
ドイツと日本をよく理解していたような。
重すぎて、馬が中距離すら走れなかったらしい
日本の武者は機動力を重視していたからね
機動力があればこそ、あらゆる戦略が立てられる訳だから
武士道は少し違うけど、道と言う文化は儒教だな。
華道・茶道・剣道、書道、家元や師に習う真似るのは儒教だよ。
真似るせいで超えられないようになってる。
武士道は、日本の道徳の話だから別だけど、近代になり西欧列強が植民地支配する中で、
倫理観は宗教で身につくとし、他を未開人と扱うのに対し、倫理観は社会が養うとしたのが武士道。
その時代の日本は欧州以東はアジアと呼ばれてた欧州を
西洋と呼び、同じだけの価値観があると東洋と言う言葉を作ったりね。
四書五経のあとは史記でケーススタディ。
盾と川中島・・・ 家康が甲州流の軍学者が就活に来た時、話に出た信玄公の軍配を作ってこいといった。
出来上がった軍配はムチャクチャ重くて「こんなもの使えるか!!」と軍学者を追い出してしまった。
しかし、川中島の軍配とかいうのがこの前TVに出てたが、まさに重たい鉄の塊であり、軍配というよりも盾としての機能を持ったものだった。信玄が軍配で受けたというのは「軍配形の盾」で防いだということだったようだ。軍学者は正しかったwww
一族の名は己の命よりも重かったのだ
だから武士は先駆け先陣を味方同士で競い合って喜んで討ち死にして行った
名誉の戦死ってやつね
先祖代々の領地を守る為に、武士は一所懸命に生きたのだ
盾と併用できる短槍ってのがあるよ。
盾でさばいたり、バッシュして態勢崩したところを
逆手にもった槍で、上から下へとザックザクと刺す。
※133
重装甲の装備なんてごくわずかの時代の話だぞ。
日本と西洋じゃ戦場の地形だって違う。臆病云々の話じゃない。
秀吉軍と戦った明軍の記述に、日本刀の威力の凄まじさが記述されてるぞ。鎧や剣ごと断ち割られるのでどうしようもないと。
そしてこの後大陸に日本刀が普及して行くのである。
絵は表現の仕方であって写生じゃないんだぞ
有名な画家だって独特な表現で名を持っている人は多いのにそれに気づかないってどんな頭してんだ
それ以前は弓。足軽の三角帽も弓矢を受け流す為だし。
あと外国人の言う武士道は、世界的にベストセラーになった武士道って本の事で
日清戦争後に日本人は何者だと言う時に書かれて武士道=日本人の事みたいになった。
例えば陣笠には持ち手が付いていて盾にもなったりする物もある(鍋にもなったりする物もある)
外国の人はもっと発想を柔軟にしなさい
>外人が他所の国の事を、浅い知識や思い込みで語るのって、ネタ?
>1. 万国あのにますさん 2016年05月25日 00:33 ID:0KXJ3Yq90
>武士道が儒教だと…奴は韓国人なのか?
※1は外人
本拠地は南樺太
ただ、秀吉の時代まで東北が文明化されるのが遅れた。だから、彼らはテリトリー内で自由に
生きてきた。それ以外の地域ではヤマト朝廷の文明化で一緒になった。
だから、着物を着て同じ文化を共有するようになった。しかし、北海道などは幕末まで文明化されなかった。
彼らは元々東北にも住んでいた。多くは北海道に逃げた。それが近代になり北海道まで文明化された。
故に同一するのが遅かったのであって、元は東北の縄文人と何ら変わらない。
みすぼらしさをアピールしようとするどっかの民族
相手をぶっ倒すと言う意味では、片手剣+盾は、剣道経験者の両手持ち一刀にすごく分が悪い
しかも御伽噺レベルの講釈で
科学的に日本人の系譜が分かってるのに、なんでそれを見て納得できないんだろうね
薙刀の使用が最も盛んであったのは源平時代の頃であり、その後南北朝時代に至ると「矛」から発展した長柄武器として槍が登場し、また長巻の登場によって薙刀が戦場で用いられることは少なくなっていった。応仁の乱の頃より戦闘の主流が足軽による集団戦に変わると、“振り回す”形で使う武器は密集した隊列を組んで行う戦闘において不便であり、やがて槍に取って代わられていった。
(Wikipediaより)
あと、文祿慶長の役で、日本側の武器は火縄銃と槍がメインだから。
空手は元々船上での捕縛術から発展した武術です。
勿論換金作物の砂糖キビは盾になりません。
草を防具にする国なんてねーぞ?
を柱にしたってのを、今谷 明の本辺りで読んだんだが。
それと、仏教は公家が信仰していたので、それとの対抗って言うことで、
当時冷遇されていた神道を厚遇した。
あと、伊勢の神官とかも鎌倉に人を送って信仰するように説いていた。
日本は竹なら防具にしているが、あれは草でも木でもないからノーカンか
朝廷は高身長で顔形の良い秀才を選んで派遣してたから、唐だとかなり評判良かった。
日本人似っていうのが褒め言葉になってたぐらいだし。
沖縄に藁みたいな物を編んだ縦あるよ
それがサトウキビの葉なんじゃないの?
亀の甲羅盾も動物の革盾もある
小学校の授業だったら「活気がある、すばらしい」と評価されるだろうけどw
横からだが、そいつは半分は間違っていない。
武士道が儒教や仏教の影響を受けたのは確かだが、武士同士の慣例なんかに見られる価値観が根っこにある。
だから武士道=儒教は間違いに近い。
底辺嫌韓の私でも引くレベルでおつむたりてないのよね〜、知ったかで叩くって物凄くコリアン寄りwww
>>153
それは極論、農民と言うよりは在地の豪族が自分の土地財産を守るために武装化したのも
武士の起源ではあるけど、職がなくて地方の荘官なんかに下向した下級貴族なんかが
武士化するケースが多かったようですよ、例えば家の先祖は系図上では本姓が藤原氏で平安時代末期に荘官として下向する平何某という人についていって、そのまま土着武士化と言う事になってるし(系図なんてあまり宛にはならないそうだが)、鎌倉時代には出家した人もいたりする、あと今谷明先生はたしかに歴史を研究されていますが歴史学者と言うには、ちょっと抵抗のある先生の一人ですね、あの方は経済学部卒で院と博士号は文学ですから。
荒らすなよ。
それが最底辺だろ。
だから、朱子学や陽明学は江戸時代でしょ。
それ以外の死生観や物の考えかたはどうなる?
最近は言わなくなったけど、一昔前まではネット上で彼らの事を
韓国人が嫌いすぎて韓国人のようになってしまった哀れな人達とか
精神の暗黒面ならぬ韓国面に落ちたとか言って嫌韓の中でも馬鹿にされてたんだけどね
韓国面に落ちた人が多くなりすぎて言われなくなっちゃった。
単純に火に油を注ぐからだろ。
気分でスルーできないとネットはたるい。
どこで読めますか?(仮想戦記以外)
話がまとまるわけねーべ
だから兵士にまともな鎧を支給できない国ほど盾に頼る
置き盾はまた別
足軽でも全身鎧装備してるし
全身鎧が普及したら片手を盾で塞ぐより弓や片手じゃあ使えない長さの長槍でアウトレンジしたほうが良い
あれは大陸側の人間が倭人を想像で描いた絵だったはず
だから古代の姿のままで描かれてるとか、そんなオチだったような
詳しくは画像検索から、元の絵の文献の名前を見つけて、それでさらにググれば、なぜ倭人があの姿で描かれてるかの経緯が説明されてるサイトがあったと思う
で、最近は韓国人が「7.8世紀の倭人はだしで未開ww」ってやるためにちょくちょく引用してくるのよ
そこ頃に生まれてないから見たことないけど
ただ後世に残る武士の絵とかが大鎧中心に描かれるために「盾が無い」という風潮が出来たのではないかと。実際、戦国物でも盾の話は出てきますものね。
それと、アイヌ=蝦夷ではないと思われます。蝦夷と記述された人々は農耕型に移行した縄文系民族で、列島の源居住民(魏志倭人伝で毛人国と呼ばれているやつだと思われます)。そこへ大陸南方の民族が徐々に入り込み、朝鮮半島南部を包括した「倭人」文化圏が形成されていきます。この両者がくっついたり喧嘩したりをくりかえして、しだいに劣勢になった縄文系民族が南北に押し出されていくわけです。
この押し出され組の一派が生活のために更に北方の狩猟型交易民族(イヌイット?)と交わって形成されていったのがアイヌ民族だと思われます。彼らの言葉が古い日本語を残していたり、南方系の風習が垣間見えるのもこういう歴史的流れがあるためではないかと。
アイヌ≒蝦夷といったところじゃないですかね。
同じ両手剣だとしても、刀の方が軽いので速い。
それを盾で受け止めるとかまず無理だろうな。
浄土真宗では最初から生活のための殺生なら認めていたからね。
殺生が禁じられているからと獣を狩らずに餓死するのは本末転倒だし、できることをせずに餓死するのは家族や自分に対する殺生になるという考え方なんだよね。
これは関東地方を指した言葉だ
もう定説になってるのかよ
政権変わると焚書と一族抹殺してた大陸の歴史は大部分が消失してるけど残ってるのはかなりの量がほぼ日本に揃ってるから大陸の歴史の研究家は必ず日本にくるよ。
寄贈は大学とかの教授宛とかが多く、組織ではなく個人への信頼で得たもの。故人になられて大学に寄贈されてる資料が色々あるがまずはなにを調べたいのから明確にしないとね。大体大学が管理して専門の担当がいるはずだよ。
関西大学とか相当半島が真っ赤になる資料が大量に眠ってたので集中的に狙われて結構紛失してるらしいがすでに残っているものは記録が終わってる。貸し出しの条件があるものがいくつかあるようだが原書とか無理言わない限り条件出されることはなかったと思うし開示されてるものもかなりあるはず。
ただ一般人には難しいので結局意訳が書いてある研究家の翻訳本を見る方が楽じゃないかな?
最初から命だけは助かろうとする盾なぞ
武士道から外れてる いらんやろ。
んで随分経って、更に日本化した鎌倉仏教が隆盛し・・・
槍のような使いやすく攻防一体の長柄武器が活躍したのは当然だな
「オレ、仏教をやめて儒教に改宗するわ」みたいなのを想像してるみたい。
日本の歴史を知ってれば、そんなんじゃないことくらい、わかるだろうに。
そういう人はこうあってほしいという視点で歴史をみているんじゃないかね
だから特定の影響を過度に排除したがる
朝鮮関係無いやん!
あとは盾で防御なんて女々しい的なあれはあるのかな
弓がメインウェポンだったので盾は大袖に取って代わられたというのは鎧関係ではよく言われてるよな
>>162
鎌倉時代に朱子学は宋学といわれて既に入ってて、主に禅宗で盛んに研究され学僧の基礎学科になっていたけどな、で禅宗は武家に多く取り入れられていた
そういうことだよ、室町時代の足利学校では宋学が講義されてるしね
あと儒教=韓国と言うのはおかしい、やつらのはキリスト教が独自路線になっているように
儒教も一部が肥大化されゆがめられた朝鮮儒教みたいになってるから日本のそれとは違うよ。
全て頭から否定するのは止めたら?そういうのは上で書いた韓国面に堕ちたって言うんだよ。
日本の儒教は朝鮮半島と違って学問であり思想であり教養の1つだからな、
中国でも基本はそうじゃなかったっけ?変な新興宗教みたいになってるのは
韓国朝鮮だけだったような気がするが。
卑近な例だが、ジャージャー麺だっけあれと同じだよ、ジャージャー麺は炸醤麺と書いて中国料理
韓国のはそれのコピーところが韓国で食べられてるしかも混ぜて食う、と言う情報から短絡的に韓国の物と断定して
極度の拒否反応を起こして叩くけど、実は結果として韓国起源説を唱えちゃってる韓国面に堕ちた人たちw
孔子の儒教を韓国のものみたいに言っているのは""韓国人""と韓国面に堕ちた人達だけと言うww
科挙でも分かるとおり儒教が中国における国家の基、基本方針だよ
宗教というとどうも語弊があるニュアンスだけど儒教なくして中国無しと言えるレベルで根を張っていた
だから清末から儒教批判が喧しく起こらざるを得なかった
朝鮮は諸処の事情でより形而上的な側面が強調されるに至った
なるほど、宗教じゃないけど宗教レベルで全ての規範なっていたということですか
しかし朝鮮って諸般の事情はあったにしろ、本当伝わったものは悉く劣化させてるような気がするw
同じ儒教でも日本が学べば武士道を生み出す思想の1つとなり
朝鮮が学べば傲慢で自分勝手で怠惰な両班の支配を肯定し奴隷制度を支える腐った悪習となる
そんな感じですかね。
江戸時代には中国より先に儒学の基礎にもう一度戻ろうって運動したりしてるしそもそも近世の儒学を中韓だけのものとして見る方がおかしいのでは?
自分もかじった程度なので正確な事は言えないですけど。
かたくなに否定するのは、既に少しでも韓国が関係したものは何があっても認めてならないという思想なのでは
俺も韓国は嫌いだし普通に嫌韓や笑韓ならいいんだけどさ、嫌韓厨と言うのが居てそいつらが更に成長して
嫌韓教という宗教になってるからそういう向きには何言っても無駄だとは思いつつ、間違いは修正したい今日この頃。
戦国時代だと、蝦夷は東北。近代だと、北海道のことをそう呼ぶ。
ちなみに、西洋とは戦い方が違う。守りに徹する戦い方には盾が友好。
だけど、日本の場合は攻撃型に徹するから盾は無用。
特攻隊は、ほぼ死を覚悟して突っ込むから要らない。
だからこそ、特攻する者が凄いとされた理由だよ。
平地ばかりの欧州に比べて日本は山地が多いからね。
野山を駆け回るのに盾なんて邪魔。
それに弓、鉄砲、槍はもちろん刀も基本的に両手持ちだから、やはり盾はいらないよね。
>151. 万国あのにますさん
> 槍に刀を付けた薙刀あ?
>あと、文祿慶長の役で、日本側の武器は火縄銃と槍がメインだから。
槍と言うよりは短い反りの有る刀を棒につけてたんだよ。
銃は当然だろ、あと刀をメインで使ってたわけのレスなんだから
盾の概念が存在しなかっただけだよ それにマトモな鉄は無く脆い鉄しか存在しなかったから仮に盾作っても
一発で潰れるから意味ない
朱子学もその系統だからな
日本人でも知らない人多いよね
誤ったまま拡大再生産するから本当にタチが悪い。しかも悪いことに日本人の側にもそのイメージに加担して私腹を肥やそうとする屑がいるしな。具体的にはクールジャパン(笑)とかの事だが
あと意外に指摘されないのは、このコメ欄にもいる外人のデタラメな指摘を「一理ある」と肯定してしまう人々。こういう人たちはほぼ自覚がないから困り者。武士道が儒教の一派だなんて誰も主張してないのに何流されてるんだよと。
他国のローカル民族(ここでいうアイヌ蝦夷)の文化とか全く知らんわ…
アイヌ系列か狩猟的に縄文かすでに統合かと思ってた
武士道という考えを作ったのは福沢諭吉で明治に入ってから。それまでの武士道は朝倉宗滴の"裏切り者とか卑怯者と言われようと勝つことが武士の本懐"
戦国時代の攻城戦はいわゆる塹壕戦。盾を並べてちょっとずつ前進
ちなみに盾どころか鎧や笠・刀に槍にいたるまで「お仕着せ」の支給品なので、金持ちに動員されればオール鋼鉄製
反対に貧乏な武士に動員されれば最悪、刀は竹光・笠も胴丸も紙で竹槍と木盾である
あとヨーロッパも戦場では盾なんかもっていないんだけどね、全身鎧になってからは
騎士のトーナメントと、決闘裁判(勝ったら無罪になる)くらい
小型の盾バックラーは匪賊の象徴だし(ウィザードリィのローグ系の敵がバックラー装備なのはそのせい)
朝鮮は明が滅んだ時に中華の後継を名乗って儒教原理主義国家になった
チャイナ自体は広いので歴史上にはそれおかしいんじゃないって言う思想家もいたりする
日本はそういう儒教のいらない所(孔子は所詮体制側の人間なので権力者や既得権益者(支配者、年長者、師匠etc)にあからさまに有利なアレな部分が一杯ある)を輸入段階でカットしてる
それな
>>214
当世具足の出現まで、日本の鎧には肩に盾が括り付けられていましたよ刀が重いからと言ってる人は見当違い、日本の戦場から手持ちの盾が消えたのは弓がメインウェポンだったから、大体弓の時代から戦国時代まで刀や太刀なんてのは
サブウェポンもいいところで、矢が尽きたり槍が折れたりしてから仕方なく抜くもので刀剣がメインの戦いで使われたのは幕末まで待たなければならない。
あと槍の話しも散見するけど、日本で槍が出現したのは、南北朝時代に菊池氏が竹ざおに短刀を付けて使ってから、それまでポールウェポンとしては薙刀が使われていたそれまでは上古時代の矛しかなかった。
>>213
全身鎧になってからの時代の記述で乱戦状態の時に紋章官が盾を見て判断する話があったと思うが。
つまりその儒教を取り入れながら、しかも独自の発展をさせて柔軟に運用した日本人ってのは
中韓よりも優秀だという証拠だな。
歎異抄はそんな意味じゃなかったと思うよ。
悪人も救われるとは言っているけど、いくら人を殺してもいいと言うわけでもなくそんな風にとらえてはいけないととがめてたはず。
※43に書いてあることもめちゃくちゃ。
歎異抄の悪人ってのはたしか悪い事をする人間ではなく、善人つまり仏法に帰依して出家した人
との対比で一般の人くらいの意味だったはずですよね。
>※43に書いてあることもめちゃくちゃ。
頭のお粗末な人間がインターネットで中途半端で余計な知識を得た上、周りの雰囲気に感化されて
思想もどきを語り始めるとああいう書き込みになるんですよ。
旧2ちゃんねるには腐るほど居た輩ですわ。
2chMateみたいな専用アプリある?
>日本はそういう儒教のいらない所(孔子は所詮体制側の人間なので権力者や既得権益者(支配者、年長者、師匠etc)にあからさまに有利なアレな部分が一杯ある)を輸入段階でカットしてる
してねーよ、江戸時代の刑罰見てみろ滅茶苦茶目上に有利な法律だぞ
ついでに孔子は別に体制側ではない、というか孔子の生きた時代はむしろそういう縛りは弱い
あくまで礼の精神を語っている、支配者の論理として使用したのは漢代以降である
具体的な例をあげてるのに
儒教派はちゃんと例をあげる反論は無かった
そして韓国人を罵倒するコメントを否定した事だ
こういうことを言うんだと何度も書き込んで
韓国擁護に回った事が証拠やな
何度も工作されてるから韓国人罵倒はしょうがないし
当たり前の事
武士道は仏教、これは間違いないな
武士道は儒教だよ
明確に武士とその他で上下関係を規定して、様々な儀礼を設定することにより、隅々まで女将には逆らうなという意識を植え付けさせる。
現代にこんな時代錯誤の思想が残ってなくてよかったよね
ありがとう明治政府
面白いというのはまずいぞ、俺も含めここの連中は嘘っぱちしか言わない。
参考文献なんてろくに出さないから、デマでも平気で垂れ流す、
英語がわからない奴らがここにいるので、4chanの生のスレを理解できていない、当然あさっての方向に批判する奴らばかり
ここはあくまでも参考程度にしとけ。頭悪い奴ごまんとおるぞ
お前のコメントにその具体的例が何一つないじゃないの
お前らは口を揃えて浄土しゅうだ日蓮宗が土台にあるというが、勘違いしてないか?武士道は戦国期じゃなく江戸期のシロモノだぞ
ちゃんと例あげてものを言え。ちゃんと参考文献及びURLは描けよ。
英語でもいいぞ
博識な人間だけが知識を解放できる
ネット上に中学生なんかの子供が増えて人から聞いた話を自信満々に語るか感情論だけをぶつけるので間違った知識が拡散されていく(コメント欄によくいる感情論だけの嫌韓の奴もこれ。ネット上の書き込みだけ見て成長していってるので実質、反日洗脳されてる韓国人と一緒)
今の10代はすごい韓国好きか大嫌いかのどちらか
人並みに嫌いってのがない
>精神の暗黒面ならぬ韓国面に落ちたとか言って嫌韓の中でも馬鹿にされてたんだけどね
>韓国面に落ちた人が多くなりすぎて言われなくなっちゃった。
あと「嫌韓厨」という言葉も昔ほど使われなくなったね。※194氏が使ってて久々に見たけど。
しかし、使われなくなった理由は「韓国面に落ちた人」の増加ではなく(増加した事自体は否定しないがそれが要因でもないって話)、むしろネ***連'呼'厨の増加によるものじゃないかと。それこそ、真っ当な保守も自然な嫌韓も全部、厨と一まとめにして同じ扱いする為に、一緒くたにネ***と呼ぶ手合いが増え、そっちが流行したせい。
アイヌや琉球が民族か文化集団かはさておき、蝦夷とアイヌを同一の存在ではなく、結びつきのある別の存在として認識している部分は評価。いや、日本人でも蝦夷=アイヌとして語る人を見かけるから・・。
18世紀じゃ江戸時代も半ばだな。
元禄時代も過ぎて天下泰平のご時世だし、もし実用的な品だとしたら、合戦用ではなく捕物用か何かなのかも知れんね。
この時代には既に漫画で言う集中線じみた技法があったのな。面白い。
>日本の武器で最強武器はナギナタです!
>突く、切る、殴る何でも態様出来るナギナタが最強
もし薙刀が最強だったら他の武器は残っていない訳でな・・。
薙刀は槍と違って「切る」際に、刃を相手に向けなくてはならないので、乱戦では両刃の槍より不利。また、槍も薙刀もそうだけど、間合いの詰まった場所では刀や脇差に、間合いが遠ければ弓に劣る(適度な間合いから始める一対一の決闘なら、刀より薙刀の方が確実に強いけど。脛打ちが基本戦術。)。
あと個人的な感想だけど、薙刀の刺突って槍と比べると切っ先が曲がっていて難しくなる様な。あと槍も薙刀も、鞘に収まった状態なら、抜刀術のある刀に対して若干不利かも。
場面場面で適切な武器を使いこなすのが武士の理想たる武芸百般。どれが最強とかはない。
>日本刀が戦場で実用的じゃない事なんて周知の事実じゃないの?
>基本、弓銃槍石の傷が多い訳だし
傷の多さで判断している辺り、まるっきり「鈴木説」が根拠でしょその話。
あれは軍忠状に記載された負傷者の傷からの類推で、死者の傷は勘定に入っていない乱暴なこじつけ論。
>単に野戦とかではより有効な槍等が主兵装で刀はあくまで予備武器扱いだっただけだろ、敵の城とかに押し入った時は狭い室内だと槍より刀に切り替えたりする訳で、
野戦であっても両軍の間合いが接近すれば槍より刀が有利になるよ。間合いの接近によって、弓→槍→刀とメイン武器は変化する(宣教師ガスパル・ビレラの記録)。
また五輪書でも「鑓長刀も、事により、つまりたる所にてハ、其利すくなし」「太刀ハ、何れの所にても、大かた出合利有。」と解説。
刀は、長短どちらの間合いでもそれなりに使える万能武器扱いで、槍は遠間に特化した専門武器って感じ(だからと言って、槍に有利な間合いですら刀にこだわれって話では決してなく、仰る通り、状況によっての切り替えが大事と言う話)。
>でもヨーロッパ中世の騎士はごついプレートアーマー着てるのに盾も装備してね?
実はしてない。プレート&シールドは、ファンタジーでは良く見かけるスタイルだけど。
プレートメイルが登場した16世紀、着用者は盾が不要となり、片手用のロングソードを両手で用いる「ハーフソード」という技術が発達した。このハーフソード技法で戦うか、或いは両手専用のツーハンデッドソードを用いるのが基本となった。
まぁ、プレートアーマーなんて金持ちの騎士しか着れなかったんで、多くの騎士はもっと軽装のハーフアーマーとか着用して盾を持っていたっぽいけど。
「プレートアーマー」ではなく、鎖帷子と板金が併用された鎧「プレートメイル」の時代だと、まだ盾は全般的に使われていたかも知れない。
>日本刀でも打刀は軽いし西洋剣でもロングソードは重いし用途によって色々あるんじゃね?
ロングソードも実戦で使われたものの重量は打刀や太刀と大差ない様子。
実戦で使われない、装飾用や教会奉納用の重い剣が残って、実戦用は消耗品であんまり残らなかったので、ロングソードは重いって思われがちだとかなんとか。
原始仏教と鎌倉以降の日本仏教は別物なんだが。
上座部仏教ご存知?
インド哲学言うならタイやミャンマー、スリランカの方が正統で所謂大乗仏教は中国において魔改変されたものでインド哲学ではない
旧約聖書のユダヤ教と新約聖書のキリスト教位の違いがあるわ
当時の日本人の体系なら、物陰に隠れてやり過ごす方が良いだろうし、まぁ環境や条件の違いだわな
相手なんて倒せなくていい。
できるだけ怪我したくない、死にたくないもんなあ。
日本の方が先見の明があっただけじゃん
まあ戦闘民族だったから使っててこれ不要じゃね?って先に気付いたんだろ
西洋のフルプレートが日本で役に立つ気がしないわ
あと日本人は伝統的に奇襲大好きだからね
夜襲朝駆けは武士のたしなみ、パールハーバーも同じ
真珠湾は宣戦布告してる。
アメリカがあーあーきこえなーいとやっただけ。
それにそもそも「宣戦布告なしで攻撃を開始する」なんてことはアメリカもドイツも世界中どこでもやってる時代ですよ。
奇襲なんて世界中どこでもいつでも「やるときはやってる」
日本人の特徴でも何でもない
せっかく前半でいいこと言ってても後半で台無しになってる。
小手で十分って事だろう
>弓の時代
おそらく、というかほぼ間違いなく鎌倉時代や南北朝時代のことを言ってると思うのだが、
「刀は普通に使われてる」
集団騎射ですら、その後両軍激突し馬上打ち物(つまり刀での白兵戦)に移行する。
また船上での白兵戦となれば薙刀や日本刀が主流となる。
とくに鎌倉南北朝など、日本刀の重ね、身幅、刃渡り、どれも長大化巨大化の一途をたどってた時代。
サブだのメインだのという物の見方自体ばかばかしいが、あえてそこに付き合うならば
サブウェポンに相当するのは短刀とか脇差であって「刀ではない」
いいかげん「~~がメインで刀はサブ」みたいなトンチンカンな思考から脱却してもらえないものだろうか。
(NGワードが含まれていたらしく投稿できなかったので小分け投稿ご容赦)
「長巻」と勘違いしてないか?
薙刀が使われてないというつもりはないが、文禄・慶長の役の頃であれば
「大型の日本刀」や「柄を長くした日本刀(長巻)」のほうがはるかに多かった
>サブだのメインだのという物の見方自体ばかばかしいが、あえてそこに付き合うならば
>サブウェポンに相当するのは短刀とか脇差であって「刀ではない」
その短刀やら脇差やらですら、組打ち勝負の局面においてはメイン武器じゃーい!と主張できるしなー。
まぁ、サブだのメインだのの定義をいじくる言葉遊びは抜きにしても、すっころんだり落馬したりした武将にトドメ刺す為の重要な武器ではあるよねアレ。騎士で言えばミゼリコルデに相当。
例のトンデモ鈴木説では、「刀は首取り用」だとか言ってる様だけど、流石に長すぎるだろ・・。
「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」
と言う言葉通りの代物じゃないの?
>プレートメイルが登場した16世紀、
すまん、これ間違った。
プレート「メイル」ではなくプレート「アーマー」の方。
後の文ではちゃんとメイルとアーマーを区別してるのに・・。
それと、付ける位置が正しければ盾は小さくとも良い+両手持ちによる打ち弾き+遮蔽物の活用+近距離での打撃戦だと手首ヤバイ=盾イラネ
じゃないの?
恐らく、戦国期における最小の盾は、小太刀使いが左手に嵌めてた刀が握れるタイプの手甲(手管?)だよ。
そもそも両手剣に対して手盾は相性が悪い(日本刀に限らず、ダキアvsローマとか向こうの史実にもある)
両手剣に耐えられるほど頑丈にすれば、小さくするか、重すぎて長時間把持し続けられない盾にするしかなく、
充分に体を庇える大きさのまま、長時間把持し続けられる軽さにすれば、両手剣による何合もの攻撃には耐えられない。
どちらにせよ両手剣側はノーマルな「置きに行く」攻撃を積み重ねていくだけで十分有利に戦況を進められるので
勝ちパターンとしては枝葉に当たる立ち関節の話をする必要があまりないからでは?
> 矢も楯もたまらずという言葉があるぐらいなのであるにはる
楯は中世の日本においては、矢や槍の刺突を地面に立て掛けた板で防ぐもの。または矢板。
現代的に言うと機銃座の前面装甲板みたいなもの
> 恐らく、戦国期における最小の盾は、小太刀使いが左手に嵌めてた刀が握れるタイプの手甲(手管?)だよ。
鍔(つば)と柄(つか)は鍔競り合い(つばぜりあい)の時に手にガツンガツン当たる
手甲は斬撃から防御する盾と言うより、鍔競り合い(つばぜりあい)で手の指や手首を怪我しないようにいなすのが主目的
日本刀に上から降りぬかれたら手甲では手首は落とされる
そうとも限らない
「両手でも片手でも使う」が正しい
鎌倉時代の日本刀は江戸時代よりはるかに長いし厚いし重いが
馬上で扱う際には片手で打ち付ける使い方をしていた
当然船上や下馬したときは両手を多用したが
だから携帯する盾は流行らなかった、それに日本刀は両手剣だからね。
サーベル系は盾前提だから片手剣なんだな、基本的に外人さんは意見を押し付ける前に基本知識が圧倒的に足りてないと思われ。
盾や刀の出番は本当に最後の方だよ。
まぁ野戦での話だけどさ、それに馬乗で盾は邪魔だろう。
弓や刀に槍を持ち、手綱も操るのを考えると盾は流行らない。
基本的にスポーツ感覚で野戦を考えない人が多いんだよなコレ。
鈴木説をいまだに真に受けてると恥をかく
>三国志の関羽も薙刀使ってたから
青龍偃月刀と呼ばれる武器が出現したのは宋代以降で、蛇矛は明代以降
演義設定ですな
ただ関羽が大刀の名手であったのは事実
宋代?明代?
中国の精華大、北京大が中国人と漢人のDNAは一致しないと発表している
無関係民族だ
随や唐、宋、明も恐ろしくて研究や発表が禁止されてるんだろうが・・
絵の題名があれだから紛らわしいがどう見ても幕末なんだなあこれが
右側は錦の御旗立ててるし何よりもズボンだ
塹壕掘りや陣地形成に据え置き式の木盾や竹束は使う
アラブ騎士が盾に文様をつけていたのをものまねしたんだよなヨーロッパの盾は
鍔は自分の指を保護するためにある
ヒトを斬ると脂で指がすべってしまうからな
つばぜりあい?そんなものは真剣では滅多にやらないことだな
そりゃたしかに剣道でやってるような事を素肌・真剣でやったら押し合いへし合いしてる間にお互い切り傷だらけになる
そこから鍔ぜり合いなんて無いんだと短絡的に決めつけちゃう人多すぎ
剣術における鍔ぜり合いは剣を介した柔術
相手を崩したり剣線をずらしたりする瞬間的なもの
ただ※257が言ってるガチャガチャとした低レベルな鍔迫り合いも鎧を着ていればありえてしまう
鍔迫り合いというよりは単に「切羽詰まった」だけの状態だが・・・
理想とは遠い、良くない状態ではあるけど お互い打ち合えば鍔元まで敵の刃が来ることもある そんなとき鍔が無ければ指を切られる その意味では彼も間違ったことは言っていない
平地が多ければ騎兵が発達して、歩兵は軽装にならざる得ない・盾は補助防具として理想的だろうしな
盾が意味を成さない場所や時代では盾の存在はないはずだぞ?
素人がここまで想像できるんだから、専門家様たちならそれこそ愕然とするような真実を突き付けてくれるんだろ?楽しみだな。
片手で持つので重量に制限のある手盾より重たくなっても大きく分厚く作れる置き盾の方が合理的じゃない?
琉球のティンベーは海賊対策の武術なので例外。
山岳地でも森林でも平気で乗り回してたけどね
いい嫌韓と悪い嫌韓が戦っているw
普通に考えたら両方ウンコなんだけどね
いいウンコvs悪いウンコの戦い、楽しませてもらいました
あんたも同じだぞ。
武士道は仏教、特に禅の影響が強いな。他の宗派は難しすぎて分からなかったから禅が武士の間に流行したんじゃないかって言うのを司馬遼太郎で読んだ。だから特に江戸時代までの武士道は仏教の影響が凄く強い。江戸時代以降は朱子学がでてくるので儒教の影響も確かにある。それは忠孝を大事にして反逆するなという教えの部分で幕府に都合が良かったからだろう。だけど朱子学すら理解できなかった普通の田舎武士は、むしろ神道の要素のほうが強くなって純粋な儒教ではない思想になっている。尊皇攘夷とかはその流れで生まれている。
自分蝦夷民族と桓武平氏の末裔なんだけど。
当時日本は朝具してなかったので使者は想像で書かれたと結論が出てるのに
攻撃に全振りしたんだよ。
あいつら草履知らないから裸足で描いたんだし。
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