引用:http://boards.4chan.org/his/thread/847472/
スレッド「誰かサムライのことを教えてくれない?」より。4chan歴史板で話題となっていたものをまとめました。
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(海外の反応)
1
万国アノニマスさん

誰かサムライのことを教えてくれない?
超鋭利な剣を使って一振り5人を殺せるような超人的な戦士だったの?
超鋭利な剣を使って一振り5人を殺せるような超人的な戦士だったの?
2
万国アノニマスさん
歴史的に見ると前半は弓や槍を使った騎兵で

歴史的に見ると前半は弓や槍を使った騎兵で
後半になっていくと儀式用の剣を持った官僚だよ
3
万国アノニマスさん
サムライは技能ある剣士であり兵士であり役人
ヨーロッパの騎士や傭兵のように、時代によっては職業軍人のようなものだった
当時どの国の軍隊も農民で構成されることが多かったので
これと比べるとサムライや騎士は尊敬されていたし、こうした畏敬の念が現代にも受け継がれている

サムライは技能ある剣士であり兵士であり役人
ヨーロッパの騎士や傭兵のように、時代によっては職業軍人のようなものだった
当時どの国の軍隊も農民で構成されることが多かったので
これと比べるとサムライや騎士は尊敬されていたし、こうした畏敬の念が現代にも受け継がれている
4
万国アノニマスさん

↑
万国アノニマスさん

目が細くて騎士の劣化版だけど
アーマー(鎧)の見た目はサムライのほうが優ってる
アーマー(鎧)の見た目はサムライのほうが優ってる
↑
万国アノニマスさん

それは無いわ
↑
万国アノニマスさん

日本オタクじゃないけど鎧の見た目が上という意見は同意せざるを得ない
鎧の色、マスク(面)、曲線のついた兜には美学を感じる
単に金属のかたまりを頭を乗せるのではなく、羽みたいなものも付けてるし
鎧の色、マスク(面)、曲線のついた兜には美学を感じる
単に金属のかたまりを頭を乗せるのではなく、羽みたいなものも付けてるし
5
万国アノニマスさん

封建時代のサムライは弓や槍で主に戦っていて
カタナは死体から首を切り落とすものだった
非常識だったのはサムライは絶対に降伏しないという点かな
敗北後はDeath poem(辞世の句)を詠んで切腹していくんだぜ
カタナは死体から首を切り落とすものだった
非常識だったのはサムライは絶対に降伏しないという点かな
敗北後はDeath poem(辞世の句)を詠んで切腹していくんだぜ
↑
万国アノニマスさん

切腹はカタナでは絶対にやらない、脇差しでするもの
7
万国アノニマスさん

小さい女の子でも人間の頭3人分くらいは一振りで切り落とせる
日本の刀剣は鋭すぎるわ
日本の刀剣は鋭すぎるわ
↑
万国アノニマスさん

この畳が人間の首くらいの硬さだとは信じがたい
剣は望む分だけ鋭くすることが可能だけど
剣は望む分だけ鋭くすることが可能だけど
8
万国アノニマスさん
何でサムライって顔に面をつけてるの?

何でサムライって顔に面をつけてるの?
↑
万国アノニマスさん

権威を示すため
あと戦闘中に恐れさせる要素だった
あと戦闘中に恐れさせる要素だった
9
万国アノニマスさん
侍に関する誤解は色々とある
・サムライは盾を使わなかった
大鎧には「大袖」と呼ばれる肩を守るものがついていてこれがサムライの盾だった
他にも足軽は「掻楯」というものを使ってる
・神風はモンゴル軍から日本を守った
モンゴル軍は九州に上陸しているし、少弐氏率いる武士に倒されている
一部の元寇船は台風に巻き込まれたけど、台風でモンゴル軍がやられた訳じゃない
・江戸時代、侍は好き放題民間人を殺せた
これは違う。侮辱されたことを証明する証人が必要だった
武士が証人なしで誰かを殺す場合切腹しないといけなかった

侍に関する誤解は色々とある
・サムライは盾を使わなかった
大鎧には「大袖」と呼ばれる肩を守るものがついていてこれがサムライの盾だった
他にも足軽は「掻楯」というものを使ってる
・神風はモンゴル軍から日本を守った
モンゴル軍は九州に上陸しているし、少弐氏率いる武士に倒されている
一部の元寇船は台風に巻き込まれたけど、台風でモンゴル軍がやられた訳じゃない
・江戸時代、侍は好き放題民間人を殺せた
これは違う。侮辱されたことを証明する証人が必要だった
武士が証人なしで誰かを殺す場合切腹しないといけなかった
↑
万国アノニマスさん

大袖は盾というより肩当てだろう


10
万国アノニマスさん

サムライは剣術に優れていて、問題解決能力にも長けていたので戦争では重宝された
下位のサムライは足軽を引き連れて戦っていた
しかし江戸時代になると剣を持ち歩く官僚となって、基礎的な扱い方を知っているだけだった
実際は剣術教室にはサムライより農民が多かったし
江戸時代の有名なサムライは農民出身だったり階級の低い武士が多い
下位のサムライは足軽を引き連れて戦っていた
しかし江戸時代になると剣を持ち歩く官僚となって、基礎的な扱い方を知っているだけだった
実際は剣術教室にはサムライより農民が多かったし
江戸時代の有名なサムライは農民出身だったり階級の低い武士が多い
11
万国アノニマスさん
最近までサムライの剣術は有名じゃなかった
派手な剣を持ってはいたけど、元々彼らが誇示していたのは馬術や弓術

最近までサムライの剣術は有名じゃなかった
派手な剣を持ってはいたけど、元々彼らが誇示していたのは馬術や弓術
12
万国アノニマスさん
正直、ヨーロッパの鎧のほうが優れてる

正直、ヨーロッパの鎧のほうが優れてる
13
万国アノニマスさん
なぜみんな日本のサムライとヨーロッパの騎士を比較するのか
日本は一国だし、ヨーロッパは多くの国を含めた地域だから不公平だ

なぜみんな日本のサムライとヨーロッパの騎士を比較するのか
日本は一国だし、ヨーロッパは多くの国を含めた地域だから不公平だ
18
万国アノニマスさん
サムライが使っていた剣の鋭さ云々の話はもはやインターネットミーム
彼らは馬上で効率的に戦っていたし、軽装備の歩兵を従えていた
剣はただの剣というだけでしかない

サムライが使っていた剣の鋭さ云々の話はもはやインターネットミーム
彼らは馬上で効率的に戦っていたし、軽装備の歩兵を従えていた
剣はただの剣というだけでしかない

誤解やフィクションネタが満載なので外国人は考察が大変そうですね
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コメント一覧
西洋人が騎士の格好と信じている板金甲冑は、登場から銃の登場までの時間が短く、また非常に高価で、非常に限られた期間に非常に限られたトップクラスの人間しか持っていなかった。
槍も薙刀も結局は日本刀と同じ日本の刃物の鋭さを持っていたのは変わらないんやで
本スレ9に関しては恐らく日本人なんじゃないかと
刃物の鋭さは研ぎと使われた鋼の固さによるからそこまで特別違いが出るものでもないんやで
鎧ごとぶった切れるわけでもないし
>日本は一国だし、ヨーロッパは多くの国を含めた地域だから不公平だ
その通りだし、騎士に限った話じゃないぞ
ご先祖様もモフモフが好きだったとは
どこに白人のコメントだって書いてあるんだ?
お前精神病院行った方がいいぞ。マジで。
一国なわけないだろw
同様に西洋甲冑も防御力は高いけど、重すぎる
モンゴルの時代は大陸に合わせて馬上弓兵がもてはやされたし、戦国末期だと穴をほって柵を立てて鉄砲を撃ちまくる、みたいな。
9割方白人だと思うぞw
お前らもいい加減現実逃避やめて日本にいる奴らからどうにかしたらどうだ?
TVでもサムライ研究会の愛好家集団が紹介されてた
武器だって適材適所だ
その組織を支える貴族が牛耳っていた。武士は個人的な戦闘力があるだけのものだった。
だから身分が低い。
公地公民制が崩れ、武士たちが団結し、公地公民制とは無関係に軍団を形成することによって、
軍事力の持ち主は、貴族から武士へと移行した。
貴族から武士への政権交代は、軍事力の持ち主の変化であった。
竹で銃弾を防げるからね。考えた人すげーわw
カナダで留学中に参加したイベントでカナダ人に侍好きがいて色々と質問を受けた。
そこへコリアンが起源を偽ってしゃしゃり出てきた。
ウザイので捏造するなと言ったらコリアンが発狂して喚きだしたんだがそこへ中国人の学生が入ってきて目の前で起源を偽るコリアンを馬鹿にしていたわ。
「中国でさえ侍の起源を偽らないのにコリアンごときがほざくな!」だってさ。
チ㋵ン=奴隷
海外の認識なんざこんなもんだ(´・ω・`)
こんだけまともな意見も珍しい
重税から逃れた逃亡農民が武士となって支配階級になったのはなんともはや・・・
携帯性と汎用性に優れるすごい奴だぞ
当時の日本の馬はポニーみたいな和馬で、歩かずに済むだけの移動運搬手段でしかない
戦うときは降りてたんだってよ。乗ってると的でしかないから。
時代劇のサラブレッド乗り回してるイメージは完全に噓だからな
外国人「歴史学的に見たサムライはどんな存在だったのか教えてほしい」という記事タイトルに翻訳したのか教えてほしいわ
元スレも覗いてみたけど歴史学に基づいたコメントなんて殆んどなかったし
このサイトは記事タイトルと内容の差にガッカリすることが多いわ
お前日本人?
※1もだけどなんか日本在住外人がコリアンに転化してるだろ
銃使うし集団戦法とるし
外人が想像する高貴な侍は江戸期だろうよ
武士もしかり
前線で戦うのは薄っぺらい鎧に傘と草鞋履いた足軽よ
外国人はホリが深いだけで目の細い外国人もいるっちゅーの
ポニーっていったって、ふれあい牧場にいるような奴ではないよ。あれより大きくて、なおかつ去勢もされてないからかなり凶暴だったらしい。
それ否定されてるで。
「騎馬戦等」を歴史学的に考えるのに一石投じたのは事実やけど、内容はかなりエキセントリックで、悪く言えばトンデモの部類。
最初の写真のヤツは尻尾に見えたぞ
その言い方はどうかな。
零戦の防弾性能なんかは、問題を解決する余裕のなかった大日本帝国の内情を示してるのであって、サムライ精神云々は後付けってのが実態やろと。
いや盾の役割するもんあったろ・・
騎士だって顔に面つけてたやん。トーテンコップとか変な奴。
・侍は銃を使えない→火縄銃だのミニエー銃だの・・
・侍は木の鎧を着て→練革製か金属製、もしくはその複合。
・刀は戦場で使われず槍最強→鈴木説乙
構え方によって盾の用途を兼ねる。
昔、リイド社の「戦国武将列伝」って雑誌の巻末で特集してたけど、半身になって大袖を相手に向けると、大袖で自分の上半身をすっぽり覆う事ができる。矢なんかには心強かったろうし、刀槍に対してだって結構・・
手持ち盾が不要だから剣も両手持ちの刀が主流になる
両手持ちの刀を相手に片手の盾なんか役に立たないので結局最後まで不要
片手武器片手盾では両手持ちの刀には敵わないのよ
まあ当てれば勝ちのスポーツなら片手武器片手盾も意味あるけどね
>別に日本刀がメインに使われていたわけじゃないことは認めるけど
△日本刀がメインに使われていたわけじゃない
〇日本刀「だけ」がメインに使われていたわけじゃない
◎合戦では時間の推移で両軍の間合いが狭まり、それに伴いメイン武器が弓→槍→刀と変化する。
×合戦では刀はサブ武器で槍がメイン。
どこで聞いたんだい?教えとくれ
>戦うときは降りてたんだってよ。乗ってると的でしかないから。
徒歩兵用甲冑の胴丸に対して大鎧が馬上用の甲冑だって話とか、徒歩兵用刀剣である打刀に対して太刀が馬上からの斬撃に適した反りを持っているとかいう話もあるけれど・・
当世具足も正面から向き合うと、突き込める隙間は案外少ない。
西洋甲冑だとフルプレートばかりで語られるが、普及し始めた時期は戦国時代と大して変わらんから、後は戦場や戦闘様式の違いでの誤差レベル。
馬をよく知らない素人が聞くとシェトランドポニーと間違えて凄い小さい馬を想像してしまうのが落とし穴の、日本馬を貶めるための悪質なレトリック。
実際は135〜142程度のポニーの中でも大型種。
実際、西洋では当時は快速の馬としてポニーとよんでいた。
そもそも体高が高いアラブ馬は不整地ではすぐ骨折するから日本の戦場では足が短く太い日本馬が良いのは自明なんだがな。
蒙古馬を想像すれば大体あってる サラブレッドみたいなのは足が細すぎて使い物にならない
まあ※32は誇張しすぎだけど
※32が勝手に誇張したんやなくて、※32見たいな「学説」があったんよ。
自分も砲火を浴びせた一人ではあるけれど、ただ※32の説自体は自分もどっかで目にはしていた。ネット上だったかテレビのバラエティか何かだったか。
※32は何を言っているんだかw
(下馬戦闘はそれ以前の時代でも行ったが、ネタ的には戦国時代の話として紹介されたものだろう)
胴が箱型だから下馬したら身動きが利かぬ
サラブレッドじゃないのはその通りだけどさ
軍事、経済、政治を行なっていたことを知らないのかな?
約200年あまり軍事政権下で商業、工業、文化が発展し平和が続いた国なんて想像もできないのだろうか?
この誤解を広めたのはあの国でしょ
>面で顔を覆ってるのは鉄砲の玉を防ぐため何だけどな
あんなんで矢玉は止まんないよw
刃物(特に槍)に対する防御だ
軍事政権のほうが案外平和が続くのよね
非軍事政権だったチャイナやコリアの荒れっぷりよ
軍人はリアリストが多いから
軍事政権時の中国の荒れっぷりを知らんな?むしろ中国は安定のために皇帝を頂点とした文官による中央集権を推し進めたのだし、それは概ね成功した
ただし成功しすぎて世の中の停滞を招く要因になったのである
ちなみに有名な煬帝が失敗したのも主に軍人を抑えきれない事による無駄な遠征のくり返しが主な要因
面頬だけは鉄の打ち出しのものを使用してるんだっけか。
確かに欧州からは遠く離れて、島国の中だけである程度世界が完結してた観はあるけど、イコール原始的だったわけじゃない、当然だけど。
戦国期も最終的にはルール無用、生き残るためには裏切り鞍替え当たり前。
当時の宣教師だったか、年端もいかない子供が、母国の老人なみに成熟していたと書き記していたのは。
ヨーロッパの騎士なんか、鎌倉~江戸初期の武士に比べたらザコもいいとこじゃないの。
あっちの騎士はモンゴル人が苦手とした地形ですら負けてたくらいだし(笑)
サラブレッドを日本で軍用馬として使ったとしよう
結果は「すぐに骨折して馬肉になるか、崖から転落して馬肉になるか」のどちらかなんよね
日本の馬は丈夫で、平衡感覚が優れ、足首が柔軟で非常に山間部やデコボコの地面に適していた。
アレは子供に対しても老人に接するように話して教育し、当時のヨーロッパのように鞭で打ったりして子供をしつけることはしなかったと言うルイスフロイスの記述だね。まあ、布教する時に日本人が合理的に反論してくるのに驚いたり、鉄砲を献上したら自分達で作っちゃったりしてたからスペインが日本を攻めようとした時に止めた方が良いって進言してるから日本人の賢さを評価してる記述は多々あるね。
どれだけ証拠があって学術的に確からしい説も地味でつまらないものなら注目されないし知られることもない
結局、帰依させることができました的に書いてたけど、あれ多分ハッタリだろうな。スポンサーからの送金がなくなるのを恐れて。
まぁ人によってはそのぐらいできただろうね
としか答えようないよなこれ
実際そういう記録が残っているのも確かだし
逆にやられたほうは弱いわけだし
宮部みゆき「史上最強のクソゲー?そりゃもうFF8」
宮部みゆき「史上最強のクソゲー?そりゃもうFF8」
宮部みゆき「史上最強のクソゲー?そりゃもうFF8」
宮部みゆき「史上最強のクソゲー?そりゃもうFF8」
江戸時代に縮んでるけど、いくさやってた頃の日本人は意外と背ぇあったで
神様は見えないのに何で信じることができるんだ?と質問したり、何故、全知全能の神様は日本を発見するのがこんなに遅れたのか?とか、お前らの宗教は性にうるさいからもっと緩くしたらもっと簡単に広まるのにとアドバイスしたり当時の日本人の接し方がドライで笑える。それを生真面目な宣教師が逐一怒ってるんだけど。
でも幕末の浪人がイギリスの銃兵相手にあっさり勝ってるもんなぁ
あれは農民からみたら敬意を払わざるを得ないし滅多なことして他人から舐められる原因になったらただじゃ済まない
主君が大大名に捕まって城を明け渡したら助かるのが保証されてる段階で、「ここで城を渡すのは口惜しい、先祖の名に申し訳が立たない」とか言って残った部下で勝手に戦いだすからな
主君まだ生きてるにも関わらず
「殿は死ぬけど名に傷がつかなきゃヘーキヘーキ」みたいなことを家老がいって周囲も感動してる場面でさすがに爆笑した
時代劇で悪役が好き勝手振る舞ってるように演出してるのが原因だろうけどね
また顔も見えないのに人種確定するエスパーがいるな
日本に一番馴染むのが頭がおかしい(本国の上司評)ことで有名な電波マンのフロイスさんってのがまた
ルイス・フロイスの日記は随所に小物感が漂ってるけど何を語るにもキリスト教が基準で面白い
石田三成のことをボロッカスに批判したのに光成がキリスト教徒に良いことしたら手のひら返して褒めちぎってたり
リーマンになれなかったニートが暇つぶしに修行した結果wwwww
ポニーの大きさも知らなさそう
大嘘つくなよ
天皇家の守護のため公家の庶流が武家になったのが始まり
全くだ
天皇の兵隊北面の武士とか、貴族と武家の権力争いで下地中分がどうのこうので、初の武家政権鎌倉幕府で、蒙古襲来で、戦国時代で鉄砲伝来で、天下統一でサラリーマン化、…
ものすごく大雑把なターニングで思いつくのはこんな感じ
それによって兵装の変化は儀礼的なものから実用的なものへ、そして平和が来たら象徴的なものへと変化していった、とか英語でかければいいんだが
思うに奴は平清盛以前の侍とか調べたこともないんだろう
ネットはこういう無知なのに知ったかぶりたい人間の嘘で溢れている
江戸時代が武士
というイメージだな
実際合戦で使用してる会もある
西洋は片手剣で盾持ちだけど、サムライの日本刀は両手持ちだから盾を持てない。
あと、西洋剣は切るというより腕力で叩き切る感じだから盾で防いで戦ったんだろ。
まあ、始まりはそうでも戦国期は相当アレだけどな
美濃の蝮や猿関白はもとより、信長や家康も本当は分家で血筋はかなり怪しいといわれてるし・・・
正解 てか
江戸以前は武士と言う言葉は
殆ど使われなかった
家康は本当は分家?
何処の?.
先祖>御家>主君だからなあ
殿様といえど御家のためにならなきゃ無理矢理隠居とか結構あったしな
大半は侍=戦国時代だからね。
平安末期から鎌倉・南北朝・室町中期の侍も知って欲しいよね。
松平四代目当主の松平親忠は三男で、何故親忠が当主を継いだのか?本当に安祥松平家が宗家なのか
疑問視されてる。
でもこれだけじゃ家康の血筋事態が怪しいとは言えないね。失言だった
武士の日常なんて町人と大して変わらないよ
切腹なんて、誰もがやるもんじゃないが?やらせて、価値のある人だけだよ。
ほとんどが絞首刑だし、大半は戦で死にますよ。
ついでに、切り捨て御免は出来ません。現代で言う、通り魔と同じ扱い。
よって、見つかればお家断絶となります。藩に属する侍は、決闘も簡単には出来ません。
映画や時代劇の観すぎで勘違いもいいとこ!当時は、そんな簡単な時代じゃないです。
侍は殿に仕えるのであり、弱い者いじめする集団じゃないですが?
横レスだが
徳川は分家でも何でもない
出目は三河の山賊が半農足軽
領地拡大するにつれて最初は藤原姓を名乗りその後は源氏・新田家(上野)の鎌倉時代の本流の得川家の末流と松平の怪しい坊主結びつけて家系を捏造
そうして源氏の出目を捏造しなければ高い従位を授かる事が出来なかった
だから分家でも何でもない
絞首刑は無いだろ
まあしょせん白人は馬鹿だから何言っても始まらんが。
侍の良いところは、武士道だよ。ここまで哲学的に高めた物は無い。
せいぜい騎士道くらいだが、しょせんは落ちる。
そもそも実際調べようって程の興味じゃなくネットでワーワー騒ぐ程度のもんなんだろうな。
別にそれでいいんだけどその微妙な知識で断じず思考を保留するくらいの節度は欲しいね。
プレートアーマーは向かない
侍=戦国が定着しているよね。
源義家の武家の頃とか保元の乱とか清盛・頼朝とか足利尊氏や足利家の時代とかも面白いのに。
幕末とか知らんのかな?剣術も無数の流派や道場が実在したし、剣道もあるよね。
西洋は剣の流派とか今に伝える剣術はないのかな? フェンシング位か。
武士という階級が固定されるのは江戸以降じゃない?
戦国時代まで土豪も悪党も武将も明確な区別がない
あんな重いので山国の日本じゃ移動できまへん
何でこんな下らない意見を最後に持ってきたんだここの管w理ww人?
日本に劣等感でもあるのかな?w
騎士の鎧が侍の甲冑より優れてれば、欧州のホームで、
はるばる地球を半周してきたモンゴル軍に西洋騎士がフルボッコされるわけがない。
向こうには薄い
特に韓国で顕著だが明治期に入るまでは停滞していて、明治期でいきなり
変わったと認識されているところ
実際は奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、江戸と戦乱と太平を繰り返して変化していってる
天皇という存在が大昔から続いているので理解しがたいんだろう
嫡子が継いだ岩津松平家(後に安祥松平家)が宗家で、松平郷松平家は庶長子って言われてるけどちょっと怪しい
そもそも松平家の起源を伝える文献は全て家康の時代以降に書かれたものだから、その頃には思いのままに何とでも書けるだろうしね
嫡子が健在なのに長子といえど庶子が本貫地を継承することって、この時代は他家でもよくあることなのかな?
くっそ重いの着て機動力命のモンゴル弓騎兵に太刀打ちできるわけが無い
行軍能力等含め間違いなくモンゴルが当時の世界最強
多分逆だろ、外人も自分らで分かっててネタにしてるだけなんですよってのを伝えとかないと
ここのコメ欄でもネタであってもムキになって怒る人がいるからむしろ気を使ったんじゃない
知識不足はあれ過大でも過小でもなく、現実の日本刀はきっとこんな感じだろうという考察と
日本刀は何億回も鍛えてるから何でも切れるんだ!っていうミーム(必ずしも悪意はないただのネタ)は別
フルプレートアーマーを着込んだ欧州の騎士団が半裸のモンゴル人に
フルボッコにされたのが歴史の事実です。
あのな、戦場で普通に使ってるっての それこそ源平から戦国も
むしろ何故使ってないと思うのか
初陣の時点で十年近く修行しているし、騎士とは実戦経験に差がありすぎる。また近代軍隊の様な身体的制限もない。年齢と身体的制限がない事で、日本の武家人口は異常に多くなっていった
武士とヤクザは似ているとする考えもあるが、活動時間が違うし、武士は領主であり、身分的義務として、従者を雇わなければならなかった
敵を起こさずに殺せば、自分に実力がないと認めたようなものだから
これが外国文化との気質の違い
フォーメーション(陣形)は、日本の様に起伏が激しい風土では活躍する機会が少なかったのが事実。日本の歴史を見ると、散兵の方が強い
鎌倉期だと、刀の数7本、鎧2領、乗り換え馬3匹(五位で4匹許される)を所有していて、武士と認識されていた。家紋の有無もそうだが、所領を有し、従者を引き連れていなければ、武士とはいえないし、明確に違いはあったよ
馬上で弓を撃つのが武士の仕事。
モンゴルの騎馬兵も同じことやってる。
※148
騎射全盛は室町期の前半までで馬上剣術による一騎打ちも足利時代にはみられる。戦国時代に足軽などの歩兵が爆発的に増大した事で、騎兵を圧倒してしまった事が要因。大陸とか広大な平野だと歩兵8人で一騎倒せる計算だが、日本の風土では8人も必要なく、4、5人で十分だった(六韜による
今じゃ銃社会=アメリカだけど昔の日本は世界一の銃社会だった。
ただ単に西洋から輸入するだけでなく、銃を分解して生産方法を理解。
結果、自国での生産を可能にして銃の数を飛躍的に増やした。
昔から日本は基礎技術に特化した国だったんだよ。
本当だから困るw
森蘭丸とか言う織田信長のお気に入りとかさw
両刀使いでしょ、刀と脇差と二本差してるし
平安貴族内でホモが流行ったらしいから、その嗜みを継承したのかな?
流行った理由は政略結婚で恋愛を楽しめなくなったからとか、歴史秘話ヒストリアでやってた。
政略結婚は戦国武将も同じだろうしね。
※104
それだって一面的よ。
中央系の軍事貴族と地方の土着勢力と、双方向的に武士は形成されたろうし。
そこに町人が通ってた事を知っててすごいのか、
江戸時代の武士が剣術指南を受けて
日々腕を磨いてた事を知らないことが逆にすごいのか分からん意見があるな…
勿論現実に人を切った事がある武士なんてそういなかったろうけどさ、
官僚になってからは侍は刀をあんまり使ってなかった、は、違うと思うが…
「ポニー」と聞いてシェトランドポニーみたいな特に小さい馬を思い浮かべるのは、「小型犬」と聞いてチワワしか思い浮かべないのと同じで、「ポニー」に対して勝手なイメージをもってる側の問題だ。日本在来種を「ポニー」と呼ぶこと自体に「おとしめる意図」などあり得ない。
それと馬に関しては、ヨーロッパ人がもっているイメージとアメリカ人のもっているイメージにも微妙な違いがある。戦国から江戸にかけて日本の侍が乗っていた馬を、後者はそうそう「ポニー」とは呼ばなかったんじゃないかな。というのは、アメリカでごく一般的だった乗用馬はクォーターホースで、これは平均体高が15ハンドぐらいだったから。西部開拓時代のカウボーイにとっての日本の馬は、日頃自分たちが乗っているものとほとんど変わらない、まあ「やや小柄なやつ」ぐらいだったわけでね。
現在の日本で圧倒的に多く見かける馬はいうまでもなくサラブレッドで、神社の神事でも時代劇でもイマ使われてるのはほとんどコレ。しかしこれは乗用馬としては大型だし(アラブはもちろんトラケナーよりも)、西部劇の馬よりはずっとデカい。
ポニーと聞いてやたらと小さい馬をイメージしてしまうのも、その一方でサラブレッドの体格を標準的なものだと思うのも、ある程度は仕方のないことではある。
忠義の項目だけ削除して(※主君の為に自分の息子を殺すとかNO)、現代の価値にあう武士道を
再構築すべきなんよ。
文禄2年に明軍1000人が加藤軍20~30名の切り込みを受けて、明軍が300近い損害を出した戦闘があってだな。
また1593年1月の平壌戦では抜刀した秀吉兵数人に明軍将兵たちが追い回されてたのを朝鮮の役人が目撃して記録も残ってる。
朝鮮に降った13名の秀吉兵が対女真族(満州賊)の部隊として明兵を率いて!! 韃靼(女真かモンゴルを指す)を攻撃し、
和人は3名死傷し、韃靼は死者300名をだした。
外国人が考察したらそりゃあもう荒れるだろう
とういうか、刀自体が護身用の武器だから、盾を持ち歩く事はできないし
ヨエル・ホフマンっていう日本研究者が、Tuttleから、日本の辞世の句を集めて解説した『Japanese Death Poems』っていう本を出してしまってね。「Leaving-Life Verses」とかなんとか、もう少し別の訳しようはあったんじゃないかとは思う。
君は基本的な知識が欠落していると思うよ
893と変わらんわ
皇室に繋がる系譜の武家なんて「自称」除いたら殆どおらんしな
日本の年代の歴史を勉強して下さい。
そして鎖国した江戸時代は士農工商という階級文化
を作り貴族中心ではなくて武家中心の国であった事。
だが、カウボーイの歴史なんかよくわからん。
平安中期に派生した源氏・平氏などの軍事貴族は地方の沢山の荘園の守護にも着任した
当時から荘園を荒らす地方の土豪は鎌倉中期頃まで武士とは言われなかったし
武器は貧相な農具くらいだった
平将門などは異例中の異例
概ね、源氏・平氏が地方に散らばり土着の半農の連中を組織化した
土着勢力が独自に武力化し武士を名乗り始めたのは鎌倉中期以降
楠正成とか
平安時代後期の事例。
九州のある国の国司になって土塁建設を命じられた貴族は、一族会議を開いて伯父と弟を派遣することにした。
分家してた弟は、自分の一族を率いて任地へ行き、土地を開拓して土塁築いた。任地が切れてからも土着して、一族は今でも続いてる。
王侯貴族の類とはちょっとルーツが違う ※
大多数はそんなに戦えないが、とにかく頭がいい
時代により違いはあるが、基本はこんな統治者という
「機能」の実現を前提とした教育を受けた世襲職
採算は名誉に勝るし、報酬は必ず求める
ようは、戦える「事務員」なんだ
今の日本の学校での様々な習慣が作られているように
読み書きそろばん的な事務スキル、プラス武力なんだ
眼鏡糸目温厚細身キャラの隠れ強キャラ感もそれか…
終わりなき戦の世界の主が貴族を貴族とする神だ
狂戦士であること=軍服(熊の毛皮)で貴族だと
明示し敵の血を率先して流し敵に最初に狙われて
死ぬ役であることが、貴族の「高貴なる義務」だ
便衣兵は発見即処刑っていう向こうの軍法はコレだな
日本人はキリスト教宣教師を「そういうもの」とした
貴族的に見て宣教師のやってる事には疑問があって
だからこそ多くの宗教的宣伝が今も残ってるんだよ
それは民間人の格好をし民間人を盾として戦う軍人
=便衣兵(侵略の先兵)の類じゃないのか、ってね
監督はご存じ世界の黒澤だぞ
まちがってもSAMURAI7を見るんじゃねーぞ
あっちのサムライは超人だ
あんなもんは自ら戦わない極一部の金持ちの大将・指揮官クラスが流れ弾で死なないためのもの
ありえないけど仮に軍全員に装備させたら機動力皆無で即全滅するだけ
それ戦国武将でしょ
源氏や平氏はもとより天皇を継承出来なかった子供達も
代々沢山地方に散らばって軍事貴族となった。
後醍醐天皇なんて20人以上の息子を東北から九州までバラ撒いた。
※170
戦国でも武田・上杉などマトモな家系の武家は結構いる。
いくらなんでも無知すぎる
言論自体は自由だが、嘘っぱちをばらまくぐらいならせめて最低限の資料に目を通してから発言しろよ
江戸になっても、むしろ幕藩体制になってからは戦国にも増して上意討ちが多発してたしね。
日常の乱闘が原因の怨恨や両成敗の切腹もあったし刀を使ってないってことはない。
それはないない
それは江戸初期までな
中期頃から治安も安定するに従って刀を振り回す武士も少なくなっていった
後期から幕末なんて人を切った事は愚か切腹も単なる疑似作法のみで
実際は介錯して終了のケースも多かった
それに上レスにもあるが戦国乱世の武士と比べてはいけない.
>日本は一国だし、ヨーロッパは多くの国を含めた地域だから不公平だ
こうでもしないと、例えば「アレ? 侍の方がフランスの騎士よりも優れてるじゃん!」て気付いた時に「でもイタリアだとこうこうこうで侍に劣るものじゃない!」という言い訳ができないからな
つまり欧州は徒党を組んでやっと日本と対等だと自分たちで無意識に認めてるんだけど、無駄なプライドがそれを口に出すことを邪魔してるだけ
刀も狭い場所や乱戦になったら使うでしょ。基本弓鉄砲鑓だと思うけど
貴人のお側に控える使用人の事だよ。
そろそろ学べよwww
田舎剣法とか出る小説は面白い
・・・日本では西洋かぶれは普通だから西洋かぶれじゃないんだ。わかったね?
元が乗ってたモンゴル馬は日本原産の馬より小さいわけだが
ちゃんと調べてからコメント書こうな
欧系(米、露なども含む)の人とは戦争はしない方いいと思っただよ。
隣国同士で数百年間戦い続けてきて、それで生き残ってきた人たちの能力や体格、性質は生半可ではないような気がした。
日本人も技術的なある面では互角以上の能力を持っていると思う。
でも、欧米人が敵となった国を攻撃する時は、おぞましいほどの執念を発揮する。
過大評価はNG
さらに妄想で敵を実際以上に大きく見るのもNG
それ単なるお家取り潰し案件
江戸時代の平和っぷりは世界的にも異常なレベルだぞ?
牢屋が数十年使われなかったとかの記録すら残ってる。
そもそも板や紙でできた戸でどうにかなっちゃうレベルの治安の良さだぞ
こういうトンデモ説をデッチ上げた歴史学者()とかは、戦後の教職追放で摩り替わった工.作員(スパイ)
騙されんなよ
モンゴル兵ですら手も足も出ないほど武士は強かったし、日本刀をメインに使って手足をスパスパ切断する戦い方で圧倒、遠距離戦でも和弓とかいう身の丈ほどもある大弓で相手の射程外から一方的に攻撃、馬上射撃でも遊牧民顔負けの技量、しかも重装備で防御力カンスト、銃撃戦でも一糸乱れぬ団体行動かつとんでもない命中精度、これがチ.ョンがファ.ビョリまくるほど悔しがり妬み続けている日本の武士の真実の姿
1、さむらう者 ただのボディーガード兼タイコモチ = 身分低い
2、開拓民 永年開墾私財法だっけ?により、地方を開拓して豊かに。「いもがゆ」参照。
身分低い。
3、開拓民が集まって「棟梁」を建てたがる。源氏平氏の台頭。豊さだけでなく軍事力を持つ。
でもやっぱり身分は低い。
4、軍事力を背景に政治権力も得る。鎌倉以降。
最初、武士に軍事力は無かった。軍を握っていたのは朝廷であり班田収授以来の武役による。
班田収授が崩壊する一方、開拓民が集団化した武力を持ったのが武士。ここで「軍事力」が変っている。出典:小学校の授業
あと直接関係ないけど、中世西欧の大人の身長って165センチ程度で戦国期の日本人と極端に違いはなかったし、現代みたいな身長差による迫力はないよ。それと貧相な土地の上に人口も少なかったから仮に日本に攻め込んできても返り討ちが落ちだったな
長射程で槍も弓も扱えるオールラウンドな重装長弓騎兵でしかも集団戦法をとっていたっていう、ある種モンゴルの軽装短弓騎兵の上位互換的な存在が日本中にうじゃうじゃしてて、どいつもこいつも修行が趣味だったんだろ。戦闘民族といっても過言ではないわ
防御力・遠距離攻撃力・近距離攻撃力・射程どれをとっても世界最強クラスだった上に機動力も悪くないチート兵種だぞ
時代を経るごとに弱くなっていくのはしゃーなしだな
>これは違う。侮辱されたことを証明する証人が必要だった
>武士が証人なしで誰かを殺す場合切腹しないといけなかった
↑有名な話。水戸の光圀が籠に乗り家臣を引き連れて外出していた時、雨が降りだした。たまたま近くの寺に雨宿りした時、そこに知り合いの大名も雨宿りしていて刀の自慢話になった。話の行きがかり上、試し切りをすることになり、軒下に隠れている乞食を引っ張り出してきて斬り殺そうとした。「なんで私を殺すのですか?」「すまんが行きがかり上、しょうがない」と試し切りをしたそうだ。戦国時代の威風が強く残っていた時代の話。だから時代によって一律に言えないんだよね。
約100年国内で殺し合いを続け、江戸幕府成立当時は約40万人の侍がいたと言われている。戦闘に特化した人材がこの人数揃うならば国外に侵攻しようと考えてもおかしくはない。だから「織田信長は大陸を手に入れようとしていた」説を私は支持したい。
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