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スレッド「今日学んだこと(TodayILearn):スペインの町コリア・デル・リオには17世紀に滞在していた武士、支倉常長の子孫が700人が住んでいる」より。
(海外の反応)
1
万国アノニマスさん

今日学んだこと(TodayILearn):
スペインの町コリア・デル・リオには
17世紀に滞在していた武士(仙台藩の支倉常長)の子孫が700人が住んでいる
彼らの名字はJapon(ハポン:スペイン語で日本)であり、
元々「ハセクラ・ド・ハポン」だった姓が短縮したものだという
2
万国アノニマスさん

今週読んできたなかで一番興味深い話だ
3
万国アノニマスさん

これは素晴らしい
私は日本人とラオス人のハーフで彼女はスペイン人なんだ
この町に異人種間のカップルがどれくらい多くいるのか知らないけど
日本人とスペイン人のハーフのコミュニティがあると知れてなんか嬉しくなった
コリア・デル・リオ:スペインアンダルシア州セビリア県の自治体。1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が滞在したことで知られる。コリア・デル・リオにはJapon(ハポン、日本)の姓を持つ人が約700人おり、使節団の一員として来訪したまま現地に留まったキリスト教徒日本人、使節の現地人水夫、及びその支援者の子孫達と考えられている。一行は、スペインを離れる前に、スペイン王から伊達政宗宛ての親書を待ち、この地に約9か月間滞在した。2003年には、ハポン姓の人が集まる「日本週間」が開催された。(https://ja.wikipedia.org/wiki/コリア・デル・リオ)
4
万国アノニマスさん

この町の近くに住んでるスペイン人だけど、実際はスペイン系の人ばかり住んでいる場所だよ
でも日本風の道路名も未だに結構残ってる
5
万国アノニマスさん

寿司はタパス(スペインの小皿料理の総称)の源流なのかもしれない
↑
万国アノニマスさん

元々ファストフードだったという点は同じだよ
6
万国アノニマスさん
同じ時代、スペインは徳川幕府の武士を駐在員として雇い

同じ時代、スペインは徳川幕府の武士を駐在員として雇い
南米で産出した銀の出荷先を確保していた
↑
万国アノニマスさん

その時代設定だけで名作映画が完成しそうだな
7
万国アノニマスさん

支倉常長率いる慶長遣欧使節は日本からスペインに向かうのに相当な長旅をしているようだ
地図があるからチェックしてみるといい
↑
万国アノニマスさん

彼らも蒙古斑で苦しんでるんだろうか
11 万国アノニマスさん
グレナダ(スペイン)と日本のハーフだけど
蒙古斑が出来たときこれは何だと母親に聞いたことがあるよ
12
万国アノニマスさん
今日知ったこと:蒙古斑

今日知ったこと:蒙古斑
14
万国アノニマスさん

日本の子孫といえでもスペイン人にかなり近いよ

↑
万国アノニマスさん

日本人の遺伝子はほとんど消えてるな
この地方の平均的なスペインと比べるとかろうじて見た目が違うという程度だ
15
万国アノニマスさん
クールな人達だと思ってたけど日本人らしさは消えててちょっと残念

クールな人達だと思ってたけど日本人らしさは消えててちょっと残念
16
万国アノニマスさん
日本の子孫だけど見た目は普通のスペイン人だよ

日本の子孫だけど見た目は普通のスペイン人だよ
400年前の話で、世代的には16代も前の話だから日本人要素は0.001%くらいしか残ってない
17
万国アノニマスさん
パエリアを寿司ロール風にした食べ物が食べたくなってきた

パエリアを寿司ロール風にした食べ物が食べたくなってきた
18
万国アノニマスさん
支倉常長は相当な女たらしだったに違いない

支倉常長は相当な女たらしだったに違いない
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コメント一覧
向こうの紙は画用紙みたいにゴワゴワで、半紙みたいに柔らかい紙が無かったから。
その鼻紙は展示されてる。
マジですか…ww
血液採取した(らしい)というニュースは見たけど結果どうだったのかよくわからない
うーんこの
かなり加工されてた気がするけど。
何たって、約400年前にいた人だから。
幕府がキリスト教を禁止したもんで、それバレたらマズイってんで
蟄居同然で監視されてた、まあ飼い殺しだな
「ジャガーになった男」かな?
後半イミフだった印象しかww
外見は普通にスペイン人だったんでちょっとがっかりしたが、現地の何人かの人に俺達は日本人の血が入ってるんだと歓迎された
まぁ自分はその当時の日本とは関係ない石垣の人間なんだけど
支倉常長の子孫ではなく、支倉と同じ使節団の誰かの子孫だろう。
ロマンに水を差すようだが、侍とは限らんよ。
俺は小学生の2年か3年ぐらいで消えた。
蒙古斑が何歳まで残るかについては、けっこう個人差があるみたいだね。
スペインには日本だけでなく、出身国を示す姓が他にいくつかあるそうだよ
アホガイジン
現地にハポン姓が登場のするのは、教区簿冊によると使節団以後らしいけど
肝心の使節団が帰国したころから100年分くらいが火災だか地震で紛失しているらしいw
あとこの土地だけは、米を育てるときに籾を直播きじゃなくて苗を育てから
植えるという日本式のコメ栽培をしている
というのを昔なんかの本で読んだような気がする
何人か現地に残った人の子孫では?
まあ、使節団って言うぐらいだからそれなりに人数(武士も含めて)いたんだろうけど、どう考えても武士が伊達の殿様(団長の支倉さん)裏切って残るってのは考えづらいよね。(けど、繁殖しちゃった可能性はあるw)
どんだけ好きなの
かなり個人差があるんだね
蒙古斑は馴染みのない白人には幼児虐待のアザに見えるらしく通報されたり勘違いされたりするらしい。
からかわれてもしくは虐められて辛かったんじゃないのかね。
その前に食べる習慣はあったのでしょうか。
しかし本当にそういう家系だったとして、何故400年前の一族が700人も一つところでずっと居住してるの?流動があって当たり前と思うけど。
知らないけど、街を白人と一緒に歩いていたら、現地のイギリス人労働者から
「珍しい奴隷を連れているな」と言われたらしい。
スペイン米は7世紀ごろから栽培されはじめて、
13世紀ごろには全土で米料理が定番料理として食べられている
日本は、それを隠すために、強占期にコリアの綴りをCからKに変えた。
ダヒド・シルバが有名。
でもこの人等帰国しない方がよかったよね
>ロマンに水を差すようだが、侍とは限らんよ。
商人はメキシコまでで、帰国したんじゃなかったか。
支倉常長の子孫ではないかも知れんが、16代ともなれば元が一人でも可能じゃないか。
DNA鑑定しても、一切アジア系の遺伝子は出なかったって。
だから、昔、侍がいたってだけで自慢したいだけのことみたいね。
ちなみに、この時代の日本人って血族に対して、家に関係して来るから簡単には寝ないよ。
なぜ、簡単に寝ると思うのかね。政略結婚が普通の時代だぞ。
イスパーニャ、ポルトガルのメイン貿易は奴隷狩りだったから相当の混血がいる。
人たちが居るってすごいよ、ハセクラさんは現地の人と仲良くしてたんだろうね
その展示された紙が和紙だったとしても、エピソードは眉唾だなぁ
当時、和紙は使用後にすき直してリサイクルするのが当たり前で、裏紙で使って真っ黒にしてからようやく捨ててたって話だから
鼻をかんだだけでポイするとは思えない
実際は日系子孫じゃないらしいけど
現地の女性と付き合ったサムライも
いただろうね
タイトル思い出せない…
絵が少女漫画みたいにキラキラしてなくて丁寧な感じで良い絵だった
姪っ子が脚に蒙古斑あってびっくりした。
目立つ場所にあったら虐待疑われることもあるかもと思ったよ。
政略結婚だから気に入った女買うんじゃん
家康だって死んだ夫の仇討ちを訴えてきた百姓女をその場で気に入って
側室にしてる
秀吉が激怒して抗議したとかいう。
今じゃすっかり大人しくなって姿も見かけんようになったわい
うれしいようなさみしいような・・・
まぁそーいう時代だったんだろうけど
しかし鼻紙の件は知らなかったwおもしろいな
出.稼ぎ売.春するゴ.キブリどもと日本人が同一視されるなんて冗談じゃないから、
どうしても疑ってしまうね
そういう状況を作り出したのはあの国の人達だからしょうがない。
自業自得
ヨーロッパでの表記が時代とともにCORAIからCOREAやKOREAに変化したのだから全く関係ない
日本人の血はもの凄く薄いけど彼等はハポン性に誇り持ち日本人の血を引いてると誇らしげだった
この地方は稲作の仕方が水田方式で日本から伝わったみたい
確かこの支倉一行がメキシコに上陸した際、奴隷として売られた日本人を目撃してたと思う
セツネー…とかなんとか日記で書いてた
大友宗麟とかバンバン領民売ってたみたいだな、鉄砲買ったりするのに
てっぽやのうて、てっぽにつかう火薬な
数字聞くにそうとう盛ってるけどね
「売り払った若い娘」の数だけで、大都市が作れてしまうww
まあそれが何人であれ、国内で売り買いして国内のどっかで労働力となるならともかく、海の外にもっていかれちゃ困るってことには変わりない
自分以外にここに行ったお仲間がいてうれしい。
自分も旅行中セビリアからバスで行ったよ。
何にもない住宅地だったけど週末でバルには人が沢山いて俺もハポンだ俺もハポンだって5人くらい会えたよ。
その中の一人がバイクで支倉常長像の所に連れてってくれた。
その後一緒に食事してたら『今ハポンのニュースやってるぞ』
と言ってTV見たら噴火の映像だったという。
まさかハポンさんの集落でハポンさんと一緒にハポンのニュース見るとは思わなんだ。
去年の9月の出来事。
※74
コリアを C と書くのはスペイン・イタリア・フランス・ポルトガル等のラテン系言語の国で、
これらの言葉は他の単語も Cで表記してる
フィレンツェ商人フランチェスコ・カルレッティが長崎で朝.鮮.人奴隷を五人程買って、四人をインドで開放して、そのうち一人を本国まで連れて行った記録がある。ルーベンスの絵にもA Man in Korean Costumeというのがある。コリア性との関連性は知らんけど、朝.鮮.人もヨーロッパまで渡っていたのは確か。ポルトガルの教会でも自由民と奴隷の両方の日本人の婚姻記録が発見されている。元日本人奴隷の夫ギリェルメ=ブランダオンと妻ジャシンタ・デ・サが結婚した記録とか。ポルトガル人妻を娶った例もあるので、しらみつぶしに遺伝子調査すれば日本人のとか見つかるかもしれない。
ま、証拠が出てたらニュースになってたんだろうし、それがないってことは、あっ・・・(察し)
小笠原にアメリカの捕鯨船員の子孫がいるみたいなことか
世界各地に売られていった日本人奴隷たちは子孫とか残さずこき使われて死んでいったんだろうか
世界のどこかにそういう人たちの子孫も居るのかな
探せば日本人の血を引いた人がいるかも
スペインの東洋人っぽいのは、昔、イベリア半島南部が500年ほどイスラムのウマイヤ朝の支配下にあったから。
なので、東洋人っぽいといっても弥生顔ではなく縄文顔だから、平井堅や阿部寛みたいな人が多いってだけ。
当時のスペイン国王やローマ法王と謁見したり市民権もらったり
鎖国(1639~1854)の前は結構色々やってたんだな~
中国?朝鮮?知らない子ですね。
セクハラ ド ジャポン
と読み違えた(笑)
戦国時代に九州のキリシタン大名が、火薬欲しさに奴隷としてポルトガル人宣教師=奴隷商人どもに売った、50万人の日本人女性の子孫は世界各地にいたのだろう。売られた先で奴隷としてこき使われて、悲惨な人生を歩んだのだろう。キリシタン大名どもは同じ国の人間に酷い事をしたもんだ。キリスト教的思考回路がそうさせるんだろう。
時間軸は分からないがもし彼らが太平洋を横断したというのなら
彼らが最初にアメリカ大陸発見者になっただろうし、パナマ運河もないと思う。
それはペリー黒船も同じで奴らは太平洋からやってきたんじゃない。
その子の名字は違ったけどその子のお母さんの名字は元々Japonだったらしい
ダメダメって騒いでんのは偽ユダヤ人どもですが?
そしたらやっぱり、この地方の人達には有り得ない
日本人と共通する因子があったって結論だったと思う
外国にいる間くらい我慢しろよ
イスラムに破壊されそう粉みかん
小学生のころ友達に蒙古斑があって
「なにこれ」とか言ってたなぁ。
それ10年前に論破されてるデマやから・・・
当時の航海技術考えたら50万はありえない
あと九州のキリシタン大名が売ったという記録もない
島津が大友領の領民を売ってた記録はあるけどね
全部天皇のロザリオってトンデモ本の捏造だよ
ネットでやたら広まってるけどトンデモ本発祥、売り手と買い手を捏造、当時の日本の論理無視など完全に和製の従軍慰安婦になってる
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