引用:http://redd.it/37uxtr
スレッド「今日学んだこと(TodayILearn):梅毒が最初に表面化したとき、イギリス人はこれを「フランス病」と呼んだ。そして・・・」より。
(海外の反応)
1
万国アノニマスさん

今日学んだこと(TodayILearn):
梅毒(Syphilis)が最初に表面化したとき、イギリス人はこれを「フランス病」と呼んだ
そしてフランスでは梅毒を「スペイン病」、ドイツでは「フランス・エビル」、ロシアでは「ポーランド病」
ポーランドでは「トルコ病」、トルコでは「中国病」、日本でも「唐瘡(Chinese Pox)」と呼んでいたらしい
2
万国アノニマスさん

トルコ語だと梅毒は「Frengi」
直訳するとフランス病だよ
3
万国アノニマスさん

凄い話だな
スウェーデン語だとナイジェリア風邪って呼ばれてるよ
4
万国アノニマスさん

イギリス人→フランスのせい
フランス人→スペインのせい
ドイツ人→フランスのせい
これは分かる、だがスペイン人は一体梅毒をどう呼んでいたのか気になる
そしてフランスが悪いというのが共通認識になってるという事も分かるな
↑
万国アノニマスさん

元記事みたけどイタリア人も「フランス病」と呼んでいたそうだ
5
万国アノニマスさん

当時のユダヤ人は他の民族から非難されないから嬉しかったに違いない
6
万国アノニマスさん
100%憶測だけど、歴史的にお互いに戦争してる国同士が相手国の呼び名を使うっぽいね

100%憶測だけど、歴史的にお互いに戦争してる国同士が相手国の呼び名を使うっぽいね
X国で戦争しました→兵士はそこで夜のお楽しみ→病気を貰って帰国→母国で感染開始
って感じじゃないだろうか、歴史のプロ頼む
↑
万国アノニマスさん

似非歴史家だけど、これは真実だと言える
7
万国アノニマスさん

まぁ近隣諸国は概ね歴史的に戦争しているものだと思うけど
8
万国アノニマスさん

「これは新しい病気だ、厄介なことになった、一体誰のせいだ?、そうだフランス人だ。あのカエル野郎のせいだ、絶対そうだ」
このメンタリティは愛すべきもの
9
万国アノニマスさん
なかなか面白いね

なかなか面白いね
ちなみに梅毒は広く有名な感染症だけど、コロンブス達が新大陸から持ち帰ったということはあまり知られていない
コロンブス交換:1492年から続いた東半球と西半球の間の植物、動物、食物、人口(奴隷を含む)、病原体、鉄器、銃、思考の甚大で広範囲にわたる交換を表現する時に用いられる言葉。多くの新しく、異なる品物が二つの半球で交換され、アメリカ大陸とヨーロッパで革新的な出来事となった。1492年のクリストファー・コロンブスの「新世界」への到達にちなみ、この名称が用いられる。(http://ja.wikipedia.org/wiki/コロンブス交換)
10
万国アノニマスさん

歴史的な経路で見ると
新大陸がまず最初で、そこからスペイン→フランス→イギリス・ドイツ→(海路で)日本→トルコ・中国な気がするよ
11
万国アノニマスさん
しかしこれでもまだ梅毒と天然痘の交換は釣り合わない気がする

しかしこれでもまだ梅毒と天然痘の交換は釣り合わない気がする
※梅毒と天然痘:大航海時代、新大陸と旧大陸で交わった時の2つ伝染病。天然痘は新大陸の人口を激減させた。
12
万国アノニマスさん
なんという責任転嫁な病気なんだ

なんという責任転嫁な病気なんだ
常に他人が悪いって風潮じゃねえか
13
万国アノニマスさん
我々人類とはお互いを嫌い合うものなんだよ

我々人類とはお互いを嫌い合うものなんだよ
14
万国アノニマスさん
スペイン風邪もスペインが起源じゃないのにみんなそう呼ぶしな

スペイン風邪もスペインが起源じゃないのにみんなそう呼ぶしな
スペインかぜ:1918年から19年にかけ全世界的に流行した、インフルエンザのパンデミックである。感染者5億人、死者5,000万~1億人と爆発的に流行した。発生源は1918年3月、米国のデトロイトやサウスカロライナ州付近。その後同年6月頃、ブレスト、ボストン、シエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/スペインかぜ)
15
万国アノニマスさん
オスマン帝国だとクリスチャン病と呼ばれていた

オスマン帝国だとクリスチャン病と呼ばれていた
オスマントルコ人は外国人と結婚したり夜遊びしたりしないからそう呼ばれていた
16
万国アノニマスさん
エイズも初期はGRIDという名称で知られていたのを思い出した

エイズも初期はGRIDという名称で知られていたのを思い出した
GRIDとは同性愛関連免疫不全の略で、その名の通りだ・・・
17
万国アノニマスさん
フランス:2票

フランス:2票
その他の国:1票
責めるべき相手は誰かみんな分ってるな
18
万国アノニマスさん
梅毒がかわいそうだ

梅毒がかわいそうだ
誰もその存在については言及しようとしないのだから
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コメント一覧
ブラック企業
ホワイトデイ
いい記事だった
消えて
むしろすごくわかりやすい。
馬鹿?
頭大丈夫か
唐以降も含めた大陸国家の意味だろ
どこから来たかというだけだろ。
唐きび、唐辛子と同じ。
余りにもポピュラーになったせいなのか知らんが江戸時代には瘡毒になってたんだし、
相手が嫌いでつけたのではないと思うが。
スペインで発生→フランス→イギリス、ドイツ、イタリア、トルコ。
トルコ→ポーランド→ロシア。
フランス→トルコは海上交易かな。
で色々経由して中国→日本
唐辛子の唐と中国の唐は一切関係ない
唐辛子(チリペッパー)は中南米原産でスペインやポルトガルの商船が日本に持ち込んだ
中国人は関係ない。なのになぜ「唐」なのか?
唐=外国、って意味でしかない場合もあるってことだ
あっちの方から入ってきました的な大昔のネーミング。
南蛮も。
性感染なんだから人間が運んでるわけだし
日本は日本発祥のものも箔をつけるために外来品として売り出したりしてた時期があった
戦後に日本製のものをアメリカっぽくして米製として売り出してたのと似てる
まぁこういうのは何処の国でも絶対やってるけどな
日本の場合は外国といえば大陸だった時代が長かったから唐と関係なくても唐がつくものが多い
九州だと、新しく伝わってきたものに「オランダ」と付ける事があったらしくて、
大分の苦瓜と茄子を使った料理の別名が「オランダ」だわ。
絆創膏を商品名で言う人たちも
皆同じ
全然違うだろ
確か呉服も大陸から伝わったってだけで国としての呉とは関係ないんだよな
あんだけ切った張ったしてたらな
いまもやってるやないか~い
呉服は関係あるだろ
中国の国名は地域名
支配者が王になった地域名を国号にする
南宋時代は呉のあたりが交流の中心地
漢は漢中王が
魏は魏王とか
オランダタガラシ=クレソン
ひどい
風評被害
唐という国じたいが当時の国際色豊かな文化が集まってくる場所で
そこから日本はいろいろな文化を学ぶために留学していたんだよね
それと、日本語の『唐』は単純に海外由来の、という意味だから、中国が悪いと言っているわけじゃない。
昔の日本人の世界観が天竺、唐、半島しかなかった時代からの、外国を意味する漠然とした言葉でもある。
ただし、唐瘡(とうがさ)=は唐人が伝えた病気の意味で、日明貿易や倭寇によって持ち込まれたものという認識だったので、この場合の唐は明であり、唐人は明人(中国人)を指す。
インフルとか口蹄疫とか毎度あっちから来る。
南蛮人は1543年に種子島にポルトガル船が到来したのが最初とされている。
唐は外国を意味するが、1512年時点での日本人の世界観は、日本・明(中国)・天竺(インド)。
当時の日本人にとって天竺(インド)は想像上の国だったので、唐瘡の唐とは日明貿易をしていた明(中国)のことだな。
誤解なく動物行動学から言えば、
霊長類の猿集団だと、別集団の異性に興味を示すのはメスが先。
人類史だと意図的にオス虐殺してメスを犯してるけどね。
外国から来た芋だから唐芋
薩摩芋って言い方は関東地方の方言だったのが全国に広まったんだとか
人間の性欲とは凄まじいもんだ。
> 確か呉服も大陸から伝わったってだけで国としての呉とは関係ないんだよな
日本書紀 巻十 応神天皇
卅七年春二月戊午朔、遣阿知使主・都加使主於吳、令求縫工女。爰阿知使主等、渡高麗國、欲達于吳。則至高麗、更不知道路、乞知道者於高麗。高麗王、乃副久禮波・久禮志二人爲導者、由是得通呉。吳王於是、與工女兄媛・弟媛・吳織・穴織四婦女。
(応神天皇)三十七年の春二月、阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)を呉に遣わせ、縫工女を求めた。あちのみらは、高麗国 (注:高句麗の事) に渡り、呉に行く(達する)ことを欲した。高麗にいたり、高麗から(先の)道路(道程)を知らないので、(呉までの)道を知る物を高麗で乞うた。高麗王(高句麗王)は、くれは・くれし 二人を道案内(導者)とし、ゆえにこれで(呉に)行くことができた。呉王は(阿知使主等使者一行に)、工女(ぬいめ)の兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)・呉織(くれはとり)・穴織(あなはとり)、四人の婦女を与えた
日本書紀に従うならば、応神天皇の生まれた頃は中国は後漢(献帝)ですが、応神天皇三十七年は西暦で推定すると西暦306年となり、西晋が成立し、既に分裂し、前趙や成漢も成立している時期になります。
日本書紀のこの時期までを半年記(半年を1年)にした場合、だいたい西暦250年~260年頃となり、辛うじて呉(孫呉)の時代となります。
春秋時代以降、この地域を治める王は呉公に奉じられているので、長らく江南地域のおおよその総称が「呉」だったので、日本書紀の応神記における呉王とは、半年記に従うと、孫呉の可能性もあるが、おそらくは江南の呉王のことであって、孫呉のことでは無いかも知れない。
とは言え、国としての呉がまったく関係ないかと言われると、半分くらいは関係あるかもね?という感じ。
面白いのは、魏書に残る卑弥呼と日本書紀の応神天皇は史書上では同時代に生存したことになるのですが、ここで「呉」に関係した話をします。
魏略逸文によると、卑弥呼の使者は魏の官吏に、我々は呉の太伯の末裔(後)と称していたりします。
太伯とは孫呉ではなく春秋時代~春秋戦国時代に存在した、呉(句呉)の祖のことです。もっとも、江南地域がながらく呉と呼ばれる所以は、かつての句呉に由来するからです。そもそも、、三国志の時代の倭人がそれより600年以上昔に滅亡した句呉を知っている、つまりその時点までの中国史を、つまり史書をそこそこ読めた、または既に倭に竹簡なり布書なりで、史書が流入していた可能性もあるよねと夢がひろがりんぐ。
また、平安時代初期の貴族の中には、句呉最後の王、呉王夫差(ふさ)の末裔を称する一族が居たり、どうも江南と倭の関係は無視できないレベルで関係がある気がする。
句呉の滅亡した時期と、弥生時代も重なる。
あれ、もしかして稲作の伝来も・・・・とか夢がひろがりんぐ。
「唐」は中国って意味じゃないよ、外国由来という意味。
古来から中国を限定する時は「漢」と呼ぶんだよ。
確か、日本人の先祖は中国や朝鮮から渡って来たんじゃなかったか?
なら、スペイン→フランス→イギリス・ドイツ→(海路で)日本→トルコ・中国にはならんだろ!
そもそも、南蛮貿易は中国を経由して入って来てる。
中国を素通りなんて、するわけが無いよ。だって、中国が拠点だからね。
ちなみに、梅毒の方で調べると・・・
「明と交通していた日本にやがて梅毒が伝来する」とある。
原因は明らかですw
それ鴨難波のこと?
川崎病の川崎は、地名じゃなくて、人名なんだよなー。
本来は、名誉な事だし、全国どこでも発症してるし。
地名+病以外にも、人名+病という名前の付け方があることを知って欲しい…。
日本では16世紀初頭に京都で流行したとか記録があるらしい。
その後関西で流行して江戸にも流行り、御存じ吉原でも流行したそうで。
当時は中国や琉球からの侵入経路が考えられていて、「唐瘡(とうそう)」や「琉球瘡」って呼ばれたそうな。
「日本脳炎」みたいな病原菌の確定地や確定者による命名で、誤解を受けそうなのもあれば、今回の淋病における名前の変遷のような「感染ルート由来」ってのもあるんだねぇ。
でもそう言う事を知ってないと、単純に発生地由来の名前って考えちゃうよね。人間って単純だから。
これ結構有名な話なんだが…
呉服というのが「呉という国の服」と思っているのならそれが間違い。
「呉の時代に流行った柄の反物」の事で、着物(和服)とは無関係。
そもそも「呉服屋」というのは反物(布)を売る店の事で、
仕立て上がりの着物は扱っていないよ。
モルモットの和名が「テンジクネズミ」とか
原産は南米だから天竺関係ないんだけど、外国のネズミってことで付いた名前
呉服=呉の国から伝来した織り方で作られた織物のことみたいよ
唐の付く名前のもの多いけど唐そのものって意味もあれば唐じゃないけどそのへんからきたぐらいの意味のもあるよね
なすりつけあいはイギリスとフランスが面白いな
下品なものエ・ロいものはだいたいフレンチ云々って名前・・・
開発期間二ヶ月で完成させた丹波先生は丹波哲郎の祖父
丹波家は日本発の医薬書を編纂した天皇のおさじの家系
1000年以上も絶えずに医師と薬学者を輩出し続けるすごい頭脳
昨今、タンバルサンはガン治療に効果があることも証明されたそうだぞ
今では匂いは匂いの事だけど平安時代は美しいと言う意味だったみたいに原型が無いほど変わってて当然なので、今の知識=当時の感覚だと思って解釈すると大体間違う・・・
因幡の白兎のワニを本物のワニだと勘違いするのは子供の時までで、大人になる頃にはワニとはサメの古称で有ると理解できるようになるのが理想・・・
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