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スレッド「これが日本の城なの?」より。
侵入者を見張る衛兵くらい居るだろーが
3 万国アノニマスさん
城の壁をよじ登っても撃たれるだけでは
4 万国アノニマスさん
これはただの天守、本来はもっと壁や堀で囲まれてる
日本には土地に余裕がないから現在生き残ってる城のほとんどは天守を残すのみとなっている
本来はこんな感じ
5万国アノニマスさん
日本の城は宮殿に近いんだよな
日本の城は宮殿に近いんだよな
城自体の防衛機能は微妙だけど、
騎馬で戦う戦術に対抗し適合していった結果ああいうスタイルになっている
6 万国アノニマスさん
城は壁に囲まれていて、国の中心に位置していたと思う
城は壁に囲まれていて、国の中心に位置していたと思う
建物自体は木造なのでそこまで安全性があるとは感じないけど
7 万国アノニマスさん
日本の城には大抵まわりが堀になっている
つまりスレ主みたいな情けない外敵は城に到達することすら出来ない
迷路みたいなもんだよ
8 万国アノニマスさん
スレ主は『Total War: Shogun 2』というゲームをやったことが無いようだな
侵入者がいたとしても見張りがいるし
その侵入者も日本刀を背負った身長150cmくらいの人間だ
そういったことを考慮しないといけない
10 万国アノニマスさん
まず日本の戦闘はヨーロッパの戦闘とは別物
さらに城の多くは砦というよりは防衛機能が備わった屋敷だった
11 万国アノニマスさん
情報サンクス、これはクールだ
日本では大砲が導入されたとき、要塞に何かしらの進化はあったの?
↑ 万国アノニマスさん
日本だと17世紀初頭~19世紀中盤まで戦争自体が無かった
その時代が終わった後なら、日本の城は大砲の攻撃に耐えられなかったよ
12 万国アノニマスさん
(他の東アジアと比べて)なぜ日本は時代を先取りしてたの?
何故日本だけがヨーロッパの技術を素早く取り込めたの?↑ 万国アノニマスさん
中国がヨーロッパにボコボコにされたのを間近で見てたからでしょう
13 万国アノニマスさん
ところでどうしてアメリカ大陸、オーストラリア、アフリカには城が無いのか
ところでどうしてアメリカ大陸、オーストラリア、アフリカには城が無いのか
16
万国アノニマスさん
お前らの身近にある城を貼ってみようか
お前らの身近にある城を貼ってみようか
(※ハイデルベルク城)
19 万国アノニマスさん
1500~1600年代の日本の古城は実際は要塞
1500~1600年代の日本の古城は実際は要塞
攻撃するなら攻城兵器が必要になる
1000~1400年代の城は大邸宅って感じだった(下の画像参照)
火、ワイヤー、はしご、鉄器などで簡単に攻撃できた
20 万国アノニマスさん
日本の城は防衛機能というよりは罠だらけじゃなかった?
日本の城は防衛機能というよりは罠だらけじゃなかった?
壁は登れるけど矢が飛んできたりする仕組みだ
廊下も狭いし、迷路のようになってる、さらに侵入者は行き止まりにハマるようにも出来ている
ヨーロッパで例えるなら城というよりは実質要塞だよね
21 万国アノニマスさん
日本の城は地震に耐えられるように設計されてる
日本の城は地震に耐えられるように設計されてる
しかしそれが登りやすさにも繋がってるんだよ
ソースは『Tortal War』っていうゲームをやってる俺
22 万国アノニマスさん
スレ主は日本の城に登れるかどうか証明してほしい
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天守しか知らない外国人が見ると侵入しやすく思えるのかもしれませんね
コメント ※httpや特定の単語をNGワードに設定しております。また、不適切と管理人が判断したコメントは削除致します。ご了承下さい。
コメント一覧
地震なけりゃヨーロッパに負けず劣らずの城ぐらい余裕で建てれた
日本のお城は影牢みたいで面白そう。ヨーロッパも興味あるけど
が、外観変わってしまったわ
実行すんなw
設計思想はただ城壁で囲む大陸の物より日本の城の方が近代的だったんじゃないかな
写真にある松本城などの平城は、天下統一がされてきて建てられ始めた統治のための城。
ガチ戦なら、山城だよ。
で援軍が来なければ兵糧攻めされて落ちるんだよ。
援軍が来るのが前提だから。
石造りの城(砦)とか見てると、
確かに、大型投石器が必要ですわ。。。。
いけば、わかるけど、ホントに平原。起伏もないし木もそんなに生えていない。
丸見えでありまーす。そりゃ、ファランクス思いつくわ。弓に負けたけど。
攻め手に欧州勢のような火力が無いのだから
そもそも必要無かった
残念というか幸いというか、大陸のように兵器が進化する状況でも無かったし
コレ
但し
君、先ず隗より始めよwww
もちろん木造再建でね。みんなも住んでる近くで寄付を集めてるかもしれないから調べて協力してあげてくれ。
ただし、天守があったか記録もないのに町おこしの為に作ろうとする胡散臭い奴らもいる。
設計図や写真や詳細な記録が残っていない城には寄付するべきではないよ。
そこまで行きゃもう勝ったようなもんだよw
もっと複雑に何重にも壁や堀で囲ったやつはないのかね
きっとこの出来事は永遠に日本ネットで語り継がれるんだろなw何年経ってもw
…覚えている限り2度程あって2名共酔ったイギリス人だったって記憶してんだけど…
イギリスは皇居のお堀に対してアレか?「そこに山が有るから!」みたいな使命感が酔うと湧き出るのか?w
白鷺城はなんとか白い内に行ってみたいな…
西欧の城は街そのものを囲う要塞が多いから、内戦を想定した日本とは目的が違うかも。
イギリス人だった筈w 目の前がイギリス大使館だろ。。
間違いだったら申し訳ない
あと城下町が盾の役割もしていた
西洋の城は何ヶ月も篭城しないといけなかった
天守閣自体にはヨーロッパでいう城の機能はほとんどないよ
二の丸、三の丸と惣も含めて凄かったんだろう
徳川20万で包囲して落とせなかったんだしな
戦国時代には城郭はもちろん、城下町が迷路になってるし
城下町のそとには侵攻を防ぐための空堀あったりしてる・・・
今パっとみると、え?コレ人工?っていう幅と高さ4mくらいの谷みたいな堀があるんだよ
街道通ればいいだろって?大軍来たら関所を閉めるわw
そもそもそう簡単に人が行き来できない時代だよ
真田の上田城なんて、とっても対徳川です
大軍を引き入れて閉じ込めて殺すゲリラ大歓喜な城と町・・・さすが真田えげつない
宮殿っぽい仕様は、秀吉が建てた聚楽第くらいじゃないか?
一応、現存していれば信長の安土城も宮殿系じゃないかと言われてるけど
つーか戦国真っ最中と江戸時代中期で同じ目的なわけないだろ!
そもそも天守閣=城じゃねえよ!
屋敷のあった場所はいま神社で
元の配置をみると300mぐらい離れたとこにある河が
外堀扱いだから、城っつーよりかなりの敷地を持つ砦だわな。
めずらしく4chの日本がまともなレスしてるぞ
今回は中の人が本物の日本人なのか?いつもの成りすましではなく?
いいねを100回押したいww
大坂城は江戸幕府による再建時の方が豊臣時代より規模がデカかったんじゃなかった?
現在の石垣も再建時のもの
惣構えでは豊臣時代の方が遥かに広かったということだけど
同じこと思ってしまった
いや、正しい情報を知ってもらえるのは素晴らしいことだよ
実際に立って見える景色はまた別だしね
戦争多くてその都度破壊と拡張と改良やってるから期待してる様な物はほぼ無い。金掛るし。
WW1で既に惣構え自体が意味なくなって大半が環状道路になってるから道路の形に痕跡はある。
英ポーツマスとか軍港だと周囲に島状に要塞があったりもする。
中国の城と比べると外堀がちゃちくかんじるかも
それな
偏見かもしれないけど、こういうことを言う外国人は
風雲たけし城とかをイメージしながら言ってそうww
ヨーロッパの城も同じように難しいと思うが
文化的な価値観や武器の違いなどあって、同じように語るのは難しい
あえて言うなら西洋騎士団では日本の城は落とせないだろうし、逆も然りだと思う
ゲームやらで海外オタク界隈にもほんのり浸透してるのか
もし戦国時代がもっと長ければ、攻城兵器が進化しただろうし、それに対応して城の構造も変化していたでしょう。
加えて投石用の穴もあるしね。
群がってるところに熱湯浴びせたら惨事にもなりそう。
城跡が描かれた古地図見てみるとびびる
外堀通りまで到達できて、厄介な堀を超えられたとしても、
お次は分厚い迷路のような、守備兵の邸宅町が待ってるからねぇ。
今はビジネスビルや普通の商店が建ってるから、
実は千代田区のほぼ全てが城の内部だと、余り意識してない人の方が多いかもね。
少なくとも、明や朝鮮は日本式の城をひとつも落とせなかった
始めから守るつもりなら撃退出来た事もあるけど
ホワイトキャッスルワロタwwww
もっと突っ込んであげてww
こんなんで荒れるコメ欄がおかしいんだが
このブログは他の海外反応系サイトと比べても格段にネ卜ウヨの割合が多い
だいたい本丸だけ残ってるか、広いところでも二の丸
しかも天守は再建されていたりするが、御殿その他が殆ど無い
本丸だけ残っててもマシな方で、城そのものが全部埋め立てられたりしてる
最近NHKの世界旅歩きを見て、それがホテルだと知った。
実際にそこで居住・執務を行ったのは、安土城の主織田信長程度。
周囲に対する物見機能は周囲の櫓から行われ、城の防御機能は主として地形と土木工事が担っていた。
この人達って、分析力とかないのかな?
日本の城は、簡単に攻め落とされないように、きちんと設計されている。
水堀だって、城によって掘方が違うんだわ。だから、溺れ死ぬこともあるぞ。
そして、あの石垣は最初は簡単に登れても、上に行くに従って角度が全く無くなる。
つまり、壁をよじ登るのと同じ。そして、手をかける場所が無い。
まあ、外国人の事だからロッククライミングが出来ると思っているのだろうけど。
そう簡単じゃないよ。煉瓦じゃないからね。とにかく、岩がばかでかいんだよ。
そして、登っている途中で上から矢や石が落ちてくる。
日本の城は、他にもいろいろ仕掛けがある。
多分、マヌケな外国人は、何も出来ずに終わるよ。
豊臣大坂城は徳川方に200門以上の大砲で1ヶ月撃たれ続けたが大きな損害は無かった
一方で実際に城を見たヴァリニャーノ(確か)は「ヨーロッパの戦闘には耐えれらないだろう」と書いていたはず。日本の城は17世紀初頭に発展が止まったということは重要。これを知らないと遅れてるように見えるし、勘違いしかねない。同時期のヨーロッパほど大砲が発展していなかったのでヴォーバンの築城法のようなものは登場しなかったからな。当然ヨーロッパの攻城戦には耐えられないだろう。ただし事実として文禄慶長の役の時に明と李氏ちょうせんは倭城を一つも落とすことが出来なかった。つまり日本の城は少なくとも全く無力だったわけでもないし、最高の防御施設だった訳でもない。関係無いが同時期のインドの城も凄まじいので、日本と比べて見たいところではある。
城の防衛機構は石垣や堀や外郭の防衛施設によってるのに
縄張りも鑑賞できないようなバカは城を見んな
日本人が比較的まじめに書き込んでいるスレもあるが、そういうのはあまり訳されていないだけのこと。
毎日100以上のスレが立っていて訳されているのはほんの一部のスレ。
> 外国人って、何でも簡単に物を考えるね。
自分は日本人だけど何でも簡単に考える。
元同僚のロバートは何でも複雑に考える。
彼はハーバードの准教授になったけど、いつもあまり複雑に考えないようにアドバイスしている。
どうか君のアドバイスもしてあげてくれ。
He undersatands English and some German.
幕末の熊本城は耐えたね。
ただし、その前に神風連が襲撃して熊本城が簡単に占領されたから、薩摩軍に侮りがあったのもあって、薩摩側の砲運用が遅れた点もあるけど、熊本は石垣だけでも防戦は有効。
大砲戦が頻発してれば漆喰城壁より石垣の遮蔽力次第になってたぽい。
大坂の陣以降に戦国時代が続けば、“〇〇の弓取り”“〇〇の七本槍”とかだけでなく、
“〇〇の三銃士”とか“〇〇の五大筒”とかあだ名が付いてた武将いたかもね。
現代残っているのは堀の一つ目や二つ目まで、すべての堀が残っていた当時とは比べ物にならない小ささだよ。
たいがい有名な城の回りは大都市になっているから、今更堀をすべて復元なんか出来ない。
なにより堀だけ復元しても城本来の防御力は、その城近隣の武家屋敷郡という迷路込みだったから、完全再現はバーチャルに任せるしかない。
欧米人の議論はとりあえず相手を言い負かせば勝ち、言ってることが正しいかどうかは二の次
だからそれについての知識なんて無くても推測で適当にしゃべる
確かに日本のものは少しの時間・労力で作った小規模でやや脆弱な防御施設だね。
日本では石山本願寺が11年籠城したけどそれは例外中の例外で
長くて1年ぐらいしか籠城できない戦いが全て。
一方、世界ではそれこそ勝てない巨大な軍勢相手に
城塞都市に籠って、寄せてが諦めて帰ってもらうまで何年でも耐え続ける戦いの歴史だからな。
特に南北戦争期に使用されたような物は近代の攻城砲にも耐えうるような堅固な物で、更に大型の臼砲や榴弾砲、平射砲で武装していた
これを打ち破るにはレンガや石材で作られた分厚い壁を破砕するだけの威力を持った大口径の攻城用平射砲が必要とされたけれど、攻撃側がそれを据えつけて射撃を開始するのは容易な事ではなく、時には防御側から放たれる榴弾に怯えながら数日間に渡って作業を続けなければならない事もあった
夜になるとネオンできれいだよ
よじ登って来る奴には煮えた屎尿を、ひしゃくで掛けられるんやで
坂東市も捨てたもんじゃないな
黄土高原から森が消えて乾燥化した。
また、建築の重労務で死者がバシバシでて衰退し、ついに農民反乱で秦は滅んだ。
日本なんか、そこまでの資源や労力は城につぎ込まなかった。
どうせ攻めてくる人間も同じ日本人だし。
文明国としてスタート・ダッシュが遅かった日本が、一気に他の文明国に追いついているのは
他の国と違って城づくりに労力を喪失しないで済んだからっていうのもあるだろうな。
権威を誇示するために作ってるから防衛力は乏しい
もってくるなら山城にせんと
ってか、熊本城は加藤清正が要塞として凝り過ぎて、後から入った細川の殿様が「こんな城、住みにくくてヤダー」と癇癪を起こしたらしい。
そもそも木造で五層の天守閣を作ろうとすると、現代では「建築基準法」という難攻不落の障害がそびえていると聞いた覚えが
平時は大名と言えど里の屋敷に住んでいたんで、為政者は城塞都市のある宮殿に住んでいると言う大陸人のイメージとは掛け離れた世界
現存する城郭の大半は江戸時代に作られた平城
平城って、銃撃戦をも考慮に入れた、むしろ防御力としては強化されまくった城なんですけど
つーかそもそも戦国時代を経れば経るほど戦国武将の領国の統合が進み、戦力が強化され、後期になればなるほど戦闘の規模が大きくなるんですけど
当然、大兵力と大兵力のぶつかり合いの防御施設たる城塞は、その攻撃に耐えうる設備でなくてはいけないわけで
むしろ防御力皆無の城というのなら、江戸時代に縄張を設計された数少ないお城
日本の城は塀やお堀が何重にもあるけど
歴史とか興味ない女子とかはそんな認識
>会津若松城は大砲でボコボコの穴だらけにされてたよね
確かにボロボロにされたけど最終的に降伏しただけで防衛機構が破られた訳ではないんだよね
まあ援軍が見込める戦争じゃなかったから続けてれば最終的には落ちただろうけど・・・
歩兵に滅法強かったのは間違いないんじゃないかな?
実際に来たら伝説になれるぞ
試してみてくれww
熊本城だって近代的な大砲を使用してた西郷軍の攻撃に耐え切った
要は石垣と堀さえあれば武力ではなかなか落ちないんだよな
ここのコメント欄で一番単純なのはお前だろう
可哀想な人
だからこそ最終手段の兵糧攻めがあったんだろうな
城の構造の本を読んでからまた出直して来なさいと言っておこうw
立ち位置の違いで物事の見え方が違うということに気付いてない人のコメだ。
ここがネ・ト・ウ・ヨ多いと思う自分の立ち位置はどこ?
古いタイプのまま通用していた、んだろうな。兵器関係の新技術はご法度。
考え方としては西洋と反対方向だ。島国だからこそできた事なのかも知れない。
騎士道が早くに廃れていったのに対して武士道は長く君臨し続けた。
ハードとソフトの両立は時間の流れの前には厳しいものなのかも。
天守閣も含めて織田信長による安土城からだ
技術的に平地に堅固な城を作れなかったからな
それまではほとんどが山を利用した要塞でしかなかった
大抵城主は山の下の館に住んでたしな
技術的な進歩のおかげで平地にもある程度防御力を持った城を作れるようになった
西洋や中国のように街まで取り囲むほどの城は小田原城くらいだ
宮崎アニメを思い出す
>これが”城”なの?
>文字通り、夜中よじ登って侵入して暗殺出来そうだけど
>ちゃんと防衛機能は備わってたの?
「攻め入って敵を滅ぼす」なんてのはハナから頭になくて、「侵入して暗殺する」なんだよな
要するにそれがOKなら、世界中のあらゆる城の中で、それを防げる城がどこに存在したのかと
兵糧攻めも嫌われてる戦法です。
城は権威と権力の象徴です
迷路のようなお城の間取り図を見てみたい
何時間眺めてても飽きないだろうな
基本的に後北条の統治思想は「住民慰撫」。小田原城は最重要拠点だから廓が市街全体を覆っていたけど、それ以外の領土でも、敵が攻め入ってきた場合は非難する砦や城が完備していたらしい。
まあ、他の大名も多かれ少なかれそういうものだったとは思うが。
大砲にも強いだろ
一つの曲輪を制圧しても別の曲輪から常に銃弾を浴びせられるし
馬出や出丸は虎口の外側の曲輪で実質稜堡だしな
そのふもとに、城主の屋敷があった。
それが信長の安土城のような平山城となってから、近世の城ができた。
特徴は、この堀の外に侍屋敷があって、防御を固くし、更に戦略的要所に寺院を
配置して、いざという時には出城の機能も持たせた。要するに、城下町自体が
防衛的機能をもった都市づくりをしていた。
江戸時代から微積分と同程度の和算(数学)が庶民にも普及し、和算家が日本各地を遊説し神社にも難しい問題を解いた算額を奉納していた。
日本のノーベル賞の受賞者の中に理論物理学者が多く含まれているのは、物理や数学の歴史的背景が続いていたからです。
インドでも同じ頃に微分積分やってたらしいな
アメリカが可愛く見えた
石材が足りない
備えていたからさ
16世紀から日本は白人の世界侵略を知っていて、鉄砲を世界一保有していた
明征伐も富国のために行われ、それが原因で疲弊した明は外敵の満州族に乗っ取られたが
白人の動向に疎い清は対抗手段を講じてこなかった
一方、日本は家康公が総合的に国力を判断して鎖国政策を敷き、富国強兵を実施
国民の識字率を90%に上げ、海上攻撃でしか陥落しない都市江戸を新首都とした
領土も北海道と沖縄まで拡張して来るべき時に備えたから、あっという間に近代化したのさ
信長公が無くなって日本は世界に躍り出る力を失った
秀吉公の力量でさえ高齢と後継ぎの問題でかなりくるしかったからな
家康公も年と帝王学を授けていない後継者の力量を勘案して鎖国したって訳
松本城って確か壁に弓や鉄砲で敵を撃つための小窓が沢山城内にあった気がする。
あと岩を落とす窓(?)もあったり階段が急だったり……
確かにそう言われてみれば要塞っぽいかもしれない。
そこと連携したりして敵を疲弊させて撤退させる 本城一つで守ることはない
戦国時代は末期の信玄やノブや秀吉といった革新的な兵制を敷いていた武将は少なくて長期にわたって攻城戦は出来ない だから短期間守りきれば十分 あっさり落ちるときは奇襲か内通者がいるとき
小田原城みたいな町ごと防衛するようなのは例外みたいなもの
無茶苦茶な歴史認識だな 間違いすぎ
まず、鉄砲の保有は国内戦用 白人対策ではない
唐入りが富国のため?w 唐入りのおかげで西日本の大名は疲弊して家康に対抗できなくなったんだがw
識字率90%は嘘 正確な統計はないし、江戸府内の就学率が80%くらいだったという説があるが、地方庶民は押して知るべし
それに江戸幕府の政策は富国強兵ではなく、平和安定と徳川家絶対が主柱
蝦夷地開拓も幕末まで全く手付かずだし、琉球は薩摩の独占仕置き
鎖国も家康の政策ではなく、秀忠、家光時に完成
ちょっとは調べようよ
端折って説明しただけで間違ってないぞ
歴史認識に疎い人だね
じゃあどこが間違ってないのか、ソース含めて説明よろしく
人が携帯できるレベルの武装なら日本の城は十分な防御力だと思う。
大陸で大砲が発達した時代は日本は江戸時代で戦争なんてないから対応する必要ないし、反乱されると面倒だから城を改修させる隙も与えなかった。
時代のギャップが大きいかな。
その前に何で近代化をあっという間に出来たか、持論を展開しろ
俺のは端折った説明だといっただろ
お前が挙げたのは間違っているとは言っていない
なぜ持論を展開しなければならんの?
127の内容が余りに間違えてるからそれを指摘しただけで近代化が早かったことを議論するつもりないけど?
私は131であなたの127とは全く違うことを言ってるんだから、127が正しいと思うなら端折らずに具体的に説明してよ
姫路城でもいいから周囲の攻撃に晒されてると想像しながら天守まで駆け上がってみ?
袋小路へ迷い込むからw
じゃあ、何の問題もないわ
滅茶苦茶な歴史認識とか言ってたから近代化について持論があるのかと
詳しくはあんたの主張の方が正確だろう
俺は端折ったからな
むしろ大陸式の城壁は横からの衝撃に弱く投石機で簡単に崩れてしまう
例外はコンスタンチノープルの城壁くらいだね
だからヨーロッパも近世以降は堡塁と掘で区切った星形要塞に移行していったよね
石垣登る途中で捕まったイギリス人がいたよなぁ。
山城は山城で籠る側の物資の問題があるけどな。だから高天神城なんかの囲んで水の手断って兵糧攻めってのがしばしば記録に出てくる
自分が攻める側だったとしたら、仮に竹田城なんかに籠られたら攻める気失せるわ
幾つか指摘されてるが大砲が導入されて山城だったのが大砲が届かないように堀を囲うようにした平城になったんだよ
それ微妙に違うはず。平時の便を優先して平城になったのは間違ってない
ただ、それまでは館+陣地に毛が生えた程度で城と城との連携で守る形だった平城が、攻城兵器対策で堀や曲廓、出丸なんかを用いて守る大規模な平城になった
山城は地理的優位を生かしてのゲリラ戦などで守る城だから、戦術構想自体が平城とは別物
徳川って参勤交代させて地方の大名が力を蓄えないようにさせてたじゃん
鎖国も地方の大名が勝手に外国と取引きして武器を蓄えないように禁止するためじゃなかったか
徳川幕府の支配が続くためにやってたことであって、富国強兵なんか考えてないでしょ
どこで歴史を習ったの
本格的な富国強兵は中央集権を強化しないとならないからな
できなかったから参勤交代なんだろ
幕府がまったく国外を知らなかったと思うか?
まったく知らなかったとしたら対策も全く無かったと推定しても構わん
知っていたら国内統治と伴に外国対策も合わせていると考えるのが常道
五稜郭「人面魚ブームはもう終わったんですか?」
平城自体戦国も後半になってからやっと技術の進歩で防御力を持たせられるようになったわけだけど
そうなってからはそれまでの山城と平城は防衛力では大差ないよ
山城のほうが自然の要害を利用できる分だけコストは安くつくけどね
技術が進歩してからの平城は、堀と石垣や様々な防御構造で防御力を上げるとともに
平城が持つ大きな収容力や後詰との連携しやすさやなどで
平城がでてきた戦国後半では山城と平城はそれほど防衛力では大差ない
無骨さと美しさが同居してる
>今の皇居なんて、本来の江戸城総構(概ね外堀通りが外周になる)の30%切ってるだろう
その皇居で、ファンタジー世界から来た侵略者に対する防衛戦やって成功させた小説があったな・・・。
機動隊がやってくるまで大勢の民間人を逃がしつつ立てこもる、という感じの。
中世風の軍隊に対する防衛能力は今でも健在なのだろうか?
>偏見かもしれないけど、こういうことを言う外国人は
>風雲たけし城とかをイメージしながら言ってそうww
忍者屋敷のイメージもあるかも知れんなー。
風雲たけし城の方が面白そうだけどw
あの時籠城してた側は豊富で優れた装備を持った官軍で
逆に攻めた方は大砲も満足になく貧弱な銃しか装備してない西南軍だからな
野戦でさえ満足に勝てたか怪しいくらいだ
これが逆だったら攻め落とされてもおかしくない
守る側は最新装備で攻める側は戦国期と大差ない装備でそれはさすがに近代戦に通用する証明にはならないな
西欧列強に備えていたわけではない
あくまで幕府は自分たちの統治に傷が入らないように各藩を厳しく統制して
各藩は各藩で幕府の目の届かないところで力を蓄えようとしていただけ
そこに清にだけでなく日本の各地にまで西欧がやってきたことで対応せざるを得なくなっただけ
西欧への対処を考えていたら幕府の無様な慌てぶりがあるわけがないだろ
西欧列強の脅威を知っていたなら長州や薩摩などが列強に対して強硬的手段をとるわけもない
西欧が脅威だと気付き西欧の技術をどんどん取り入れるようになったのは西欧とやりあって苦戦した後からだ
ホルホルも大概にしろ
白人の世界侵略というものを知っていて脅威だと思っていたなら、その上で鎖国をするなどという愚かな真似をするわけがないだろ
信長秀吉とか話にならん
その頃の世界情勢くらい勉強してこい
「天守閣」とそれに付随する施設と都市を「縄張り」と呼ばれる城壁で囲んだ内側が日本の「城」。
縄張りはラビリンス構造になっており各所にトラップが仕掛けられていた。
ラビリンスの内側に敵をおびき寄せてトラップで分断したり各個撃破する構造で、従来の単に引きこもって敵の攻撃を耐える施設としてではなく、攻撃してきた敵を撃退する機能を高めた施設であった。
近代に日本の城郭を見たJ.Wホールは「規模と難攻不落と言う意味でこれに匹敵するものは近世の世界のどこにもないと行っても良い」と回想している。
鎖国は外様が西欧諸国と繋がったり侵略されないためって面もあるんだぞ
もし、鎖国したり参勤交代をやらなかったら力をつけたり、西欧の傀儡が幕府を攻めてきたわ
仙台藩なんて独自にスペインと繋がろうとしていただろ
完全に植民地コースだ
日本が開国したのは離され過ぎたからで、それまではそんな隙がなかった
それは西欧の侵略を防ぐためでなく、幕府の統治を盤石にするためだろ
幕府の統治を盤石にするのが理由であって、その結果そのために西欧との接触を禁じたり参勤交代をさせたりしたんであって
西欧との接触を禁じるのが理由で、その結果幕府の統治が盤石になったでは本末転倒だ
両方あるんだよ
島原の乱とか記憶にないか
表だって日本史では書かれないが日本も例外なく白人の手がのびている
職豊時代にはスペインがアメリカ大陸、フィリピンまで支配していたんだからな
島原の乱では西欧の船が島原を攻撃してるんだが?
幕府が嫌ったのはキリストだけでなく仏教などの各宗教であって
当時の西欧は脅威と言えるほど日本に影響力など持ってはいない
だからこそ宗教に関わりないとしたオランダは変わらず交易を許されてる
※127が絶望的に馬鹿なのは読めば分かるし、大した問題じゃない
言い争うのは労力の無駄だよ
オーケー反論もないようだし終わる
キリスト教で侵略しようとしていたからな
ただカトリックとプロテスタントで対立していたのもあるし、日本の警戒を読んで宗教関係無い貿易を選んだ国もある
その当時の警戒や驚異はその程度で武力侵略されるほどのものではない
加えて銃の保有も多いから日本も対抗して領土も拡張に乗り出すのも当然で、明侵攻も当然そういう中でのことと考えるのがな
コンスタンティノープルも大砲の砲撃で陥落したわけではない。
陥落した理由は「城門の鍵のかけ忘れ」
会津若松城とか幕末の近代にさしかかった時期の事例を混同しているようだが、近世の大砲は岩かせいぜいボーリング玉を打ち出すだけで、弾自体が炸裂するわけでもないので攻城能力は低く、砲撃だけで城を陥落させた事例はほとんどない。
オスマン帝国のウルバン砲とか中世末から近世にさしかかった過渡期の大きな大砲の話が出てくるが、(地中海世界では)近世に大砲は携行性が重視されて小口径化する。
オーケーじゃねーよwwwwwww
馬鹿
日本の場合は虎口や出丸に畝掘りやら縄張り全体で誘引して攻撃する攻撃的防御思想だし
天守だけ見ると壁に覆われた欧州の城とは違い簡単に見えるんだろう
まぁ、そのような意味も見いだせるが、実際は鎖国は徳川幕府が貿易の利権を独占するための政策だよ。
スペインは17世紀にはペスト大流行で人口減少・イスラム教徒も追放して人手不足・魔女狩りと宗教戦争・度重なる戦費と通貨改悪で繰り返される財政破綻。
もう極東へ派兵するどころの話ではない状態。ちなみにポルトガルはスペインに吸収されてとっくに存在しない。
ヨーロッパ諸国で貿易をオランダに制限したと言うより、その時期はオランダ以外は貿易相手にならない状況だった。
イギリスも家康からは通商を認められていたが、当時のヨーロッパで覇権国だったオランダから閉め出されて日本まで到達できない状態だしな。
幕末ほどの驚異ではないが、わかってくれて嬉しいよ
キリスト教を禁止したのも鎖国も、自国内だけのものではない
対外的にも働いていた
それまで日本人奴隷が南米まで連れられていったりしたわけだしね
大砲を使い攻城戦を優位に進めた・・・と、どっかで聞いたが
実際どうだったんだろううなぁ
つい200年前まで炸裂する榴弾じゃなくてただの鉄球を飛ばす大砲が西洋でも普通だから
日本の城を落とすには単純に火力が足りないだろ
榴弾が戦場で活躍するようになってきたのはここ200年程度だろう
それ以前は西洋でもただの鉄球飛ばしてたんだよ
会津若松城なんかは四斤山砲等の榴弾砲で一ヶ月間バカスカ撃たれて
火事にならない落城しないってだけで十分大砲に強い
五稜郭なんて一週間しか持たなかったんだから
だから?
159そのままで何の反論にもなってねえじゃん馬鹿
頭悪いコメント乙
だから、オランダは貿易でポルトガルを排除したかったから船砲を提供してんだろ
一揆がポルトガルと繋がっているから国旗を掲げて心理的に揺さぶりかけたってことな
こんなことはwiki でものってんぞ
キリスト教で宗教支配されると乗っ取られるから、宗教関係無い貿易しかしなかった
しらねーのか
くやしーくやしーねーwwwwwww
外国にいっていた日本人は帰れなくなったしな。
西洋に対抗する為というより、西洋の悪影響を受けないようにするためが正しい。
宿場町にしても城にしても偽物でもいいからどんどん再建すればいいと思うんだよなあ。
明治のアレや空襲や地震で無くなっちゃったのは仕方ないにしろ再建する意志が必要だと思う。
まあ口でなら何とでも言えるけどさ。
下の層の屋根の上に立ったら上の層の屋根に手が届くとでも思っているのだろうか?
お前の身長は何メートルあるんだよ。
その辺は「家康」「駿府城」「貿易」でググればいくらでも見つけられる。
あと、幕末期に日本を訪れた外国人が日本の城郭をどのように評価していたかは、ロシア軍少佐ゴローニンの松前城やイギリス公使オールコックの江戸城、フランス海軍士官エドゥアルド・スエンソンの徳川大坂城に対する軍事的側面から見た評価などが彼らの日記や著書等に残っている。
総じて銃撃戦なら問題ないが、砲撃戦など近代戦には(恐らく守城側にとって死角が多い縄張りとなっており)対応出来ていないという評価。
城址内が皇居であったり県庁であったり、
はたまた新発田城のように自衛隊駐屯地であったり、
これらはある意味「現役の城」として使われているのだから
別に良いだろ。
ボロボロにはなっても崩壊しなかったぞ
城壁をよじ登って滑り落ちて負傷、そのまま何の手柄もなく
リタイアした
・・・という話をしとけばどんな外人もみな納得する
名前忘れたけど、ある城は
周りの堀以外にも城内に
2mくらいの水たまりを
作って敵の兵を歩けなくしてたし
熊本城なんて近代の大砲の前に早々に天守燃えたけど耐え切ったから
これ綺麗やな
※188
壁のぼりも武者返しがあるで、難しいやろ
加藤清正とか、藤堂高虎とかは築城名人だったらしいな
兜がゲッターロボの人の街づくりの話は、面白かった
町全体を迷路状にして要塞化しようとしたらしいな、住民に不評www
んで、ブラジルさんは風雲タケシ城の話しとられんか?ワロタ
信長の歴史ものを見るまでは、それより前から天守閣がある城が中心だと思ってた。
現存する天守の一部とかだけ見てもわかりにくいよね
それなりの人数の守備兵が、それなり以上の軍勢に耐えるというものであって、
夜中に侵入してくる暗殺者とか別に壁でシャットアウトする必要ねえだろ。
廊下に見張りの武者でも置いとけって話。
敵が軍勢なら気が付かないことはないので普通に射撃戦で撃退すればOK。
まず手段としては取られないんじゃないの
つ「風雲たけし城」
ヨーロッパの庶民とかいもばっかり食ってたししょっちゅう餓死してた、
また、地域、民族によって体格も違う
今でも北欧の方の白人はでかいけどそれ以外はそれほどでもない、
もちろん日本人よりは体格はいいけど日本人と対して変わらない身長の人も結構いる
逆にあたりまえだけど昔からでかい人は日本でもまれにいた
将軍とか武将とか、一般の侍とかの高身長の記録がある
有名どころだと宮本武蔵とか山岡鉄舟とか
西南戦争で実力を示した熊本城さんのことも思い出してあげてください
現存部はほんの一部。大外はさらに数キロ外だぞ。
空堀、外堀に囲まれた都市都市なんだよ
防衛機能は皆無。お城なら当然あるべき壁穴からの砲台もない。
天下泰平、既に徳川に逆らう者などいない事を誇示するお城だからね。
建てられた時は三重の堀で囲まれていたんだ
大阪冬の陣で、10万の兵に攻撃を受けても平気だった
攻撃方が苦しんだのが記録に残っている
大阪城主の淀君が休戦を受け入れて堀を埋められたのが、夏の陣の敗因
忍び返しや石落としの穴などが在り石垣に張り付いた時点でエンドだろう。
防御力はあった
平時についてなのか戦時についてなのか混ざっているような印象
結局、攻撃は最大の防御ってところか
どうなんだろう?西洋の城はTシャツと短パンでも行けそうだけど、日本のは漫画のニンジャみたいな
装備+能力がないと中にすら入れなさそうw
多分オレの思う「西洋の城」ってのは宮殿なんだろうけど、日本の城は宮殿+要塞ってことか?
徳川政権は既に城普請と言う形で各大名を痛めつけていたので包囲軍は財政的に苦しく
鎧や剣を売って食料を確保してたからあのまんま粘ってれば
それほど遠くない時期に丸裸で餓え死にするか持ち場を放棄して逃げ出すかで瓦解した
力押しは無理と見て城を攻めず淀君の心を攻めたのが家康の偉いとこなんだが
見た目斜めになってるから簡単に登れると思ってるだけだよ
実際は石垣も反り上がってるし天守閣も返しがあって上れないよう工夫されてるし
数々の仕掛けがあるわけで進入するのは至難の業なんだが
それを知らないだけだよ
つーかどんな堅固な城でも援軍無しで城を取り囲まれたらほぼアウトな訳で
兵士を戦略的に展開する時間さえ稼げればいいので堅固な城を築くよりたくさんの砦を築くほうが効率がいい
あほかひょ
二条城は二条御所だからね
徳川時代も二条城じゃなく二条亭だからね
その意味を考えてみひょw
松本城は城と松本駅の中間にある女鳥羽川から奥は、本来全部城なのよ。
現存しているのなんて微々たるもの。現役時にまともに攻め入るなら相当苦労するよ。
領土自体が全て城のようなもの。
運:日本のお城は山の上から人民を抑圧する城、沖縄のお城は外国からのお客さんを迎える城!!!
俺:三跪九叩頭w
運:涙目ショボーン
足がかりが無くし
忍者でも登れないようにした
戦闘能力を放棄していったのかと思ってた
大砲自体は石垣を崩すことはできなかったようで、結局建屋部分を焼き討ちにしたよ
熊本城の石垣は下のほうが黒くすすけてて、上のほうが白っぽくなってる部分があるんだけど、下の黒い部分が西南戦争以前からあった場所で、それより上の白っぽいところが新しく復元された部分
石垣を探すと、実はこれ大砲の弾が当たった後、っていう場所が何か所かあるよ
実際には登れません。決死の覚悟で石垣に接近して梯子かけたり土嚢を積んだりしてようやく登れます
あと、日本の城は18~19世紀ぐらいの砲撃にも余裕で耐えられるぞ
天守は耐えられないが、天守自体はただの物見櫓みたいなもんというか、西洋で言う所の塔程度のものだからな
塔が砲撃で壊れようと、それで城が落ちる訳ではないだろ?
そういう意味合いもあるが、平城である大阪城が幕府軍が半年かけても落とせなかった事を考えれば、平城だからといって防衛機能を疎かにした訳ではない事は分かるだろう
単に技術の高度化で、平地に作っても十分な防衛力を持つ城を建設出来るようになっただけという面もある
驚愕するよ。自然や事情が違うとは言うものの・・その技術の高さにね。
姫路城の真っ白なのは史実通りだから問題なし。つーか、しばらくしたら落ち着いた白壁になるよ。
大阪城を落とすには堀を埋めればいいっていうのは、これは間違いなくそうなんだよ。家康のすごいのはそれを実現させたってこと。熊本城はもっとすごくて、田原坂が有名になったけど、熊本平野全部をその縄張りとしてるんだよな。このレベルで築城したのってほかにどこがあるんだろ。俺が知らんだけで結構あるんかな?
宮殿をどの部分と言ってるのか分からないが、天守には殿様は住んでないぞ。天守の横に本丸と言う屋敷(宮殿)を作って住んでた。
つまり城の中に宮殿があったわけだ。
おめでてーな。
大半が取り壊されたからな・・
日本で城といえば虎口や曲輪など、縄張り全体を見なければならない
御殿が全くないではないか
今は殆どの城で残ってないし勿体ないわ全く。
企画者はアホに違いない
外郭の構造のえげつなさはマジ勘弁
近代兵器の前で無力なのはどこの国の城でも同じだし。
城壁は壊せないけど、庭に落ちれば大ダメージ、落ちずに炸裂すれば・・
「た~まや~」「か~ぎや~」の大合唱
やっぱ日本はいいねえw
忍者が堀わたって行くシーンがあるじゃん
西洋じゃ無理 何故なら 西洋の堀は肥溜め ウンコなんか
堀にすてる カッコよく堀に堕ちようものならウンコまみれ
映画で堀に落ちるシーンって無いよな
そのあと論理破綻したまま延々と粘着するのがまた見苦しくて見苦しくて
あのー・・・秦の時代の長城はただの土塁で今のは後生に作られた物なんすが
漫画とかの読みすぎで真に受けちゃったんだねぇ
可哀想に。しったか丸出しになっちゃってるよ
平和な時は有事の残酷な対処方法なんか何も考えもつかないでしょ。
実際には水攻めとか火攻めでしか攻略出来ないしな。過去の遺物の攻略方法ってあーた。
>つーかどんな堅固な城でも援軍無しで城を取り囲まれたらほぼアウトな訳で
援軍無き籠城は無駄と一般的に良く言われるが、※211が言っているように、包囲側の兵糧が尽きたり、仲間割れ(家康の祖父の守山崩れ等)、第三国が包囲側の本拠地に侵攻するとか、いくらでもセ-フなのは考えらる。
それは素人の主張。実際には時間切れで包囲を解く方が多い。
小田原を囲んだ謙信が代表例
石積みの土塁など、戦国期の技術の粋が今でも見る事が出来る。
豊臣の大軍を1ヵ月支えた。石火矢(大砲の前身)が無ければもっと持ちこたえられた。
最大限の広い平面から均等に射線が通るように設計されている
お前は日本語の素人かwww俺みたいな馬鹿が読んでも※216の書いた内容が「時間切れ」であることは理解できるわwww
要するに理由を大きな枠でとらえるか、より細かい事由でとらえるかの違いやろ
なんでもかんでも突っかかんな、馬鹿///
ソースは西南戦争の熊本城
実は防御が結構凄く考えられて作ってあって
なかなかお城まで辿りつけないんだよね。
だから兵糧攻めが一番有効なんだよなぁ。
歩いてるだけでどれだけ防御を考えてるかわかる。
ちなみに、城に植えてある松の木なんかは食料になるし城内に井戸もあるし、しかも姫路城は空襲も生き残っている。
但し、城に暗幕を掛けて見えにくくしてしかも幸運があったからこそできたこと。
戦後不発弾が見つかったらしいし
近代兵器相手に耐えきったから
航空機や戦車が出るまでは十分に機能する代物だった
木や土でできて火災に弱い建造物を高さ的に守るためにできた物なんかな
四国中央市の川之江城は、完成前に取り壊された(川之江藩が無嗣子断絶により7年で廃藩→天領となったため)ものを一応復元した形にはなっているが、実物とは似ても似つかぬ姿に…。
※179
伊予松山城は、城山公園内にあった野球場、陸上競技場(競輪場)、プール、庭球場、ラグビー場(何れもかつて行われた愛媛国体の施設)を全て撤去したが、資材置き場になったラグビー場以外は、トイレ以外は何もない芝生の公園と化しているんだが…。
(確か、文化庁の規則か何かで、建物の建築を禁止しているとか…)
因みに伊予松山城を築いた加藤嘉明(賤ヶ岳七本槍の一人)は建築途上で会津に左遷され、後を継いだ息子・明成は、悪政が原因で改易の憂き目に遭っている。
(石高に合わない堅固過ぎる城=ブラタモリでは紹介されていないが、平山城の上に、天守閣は五層(現存しているのは後年に作られた三層)、かつ堀の幅は現存の2倍)を築いたためと言われる。なお、戊辰戦争の会津藩の悲劇の遠因となった保科正之が会津藩に入ったのは、明成の改易が原因。)
最強の大阪城でさえオーバーテクノロジーな大砲の前ではかなわなかった
あのまま淀君が粘っていれば、逆に攻め手の徳川方が兵糧不足に陥って、軍が瓦解し兼ねなかったんだけどね~
難攻不落の城塞も結局最後は脅しとハッタリと騙し合いの根競べで負けてしまた訳だw
※259
一応会津の移動は栄転よ?会津は東北の要だからね。加藤嘉明も領地倍増してるし、手塩に掛けて築いた松山城には心残りは有ったと思うけど・・
寄せ手の兵糧は運んでくるだろ・・・
大坂方勝たせたい願望だけに思えるが、何を根拠に言ってるのやら
※263
まだあるハズ
騎兵隊の砦が残ってないのは残念だよな
城だけの性能なら戦国時代程度の大砲では落ちないよ
淀君みみたいにビビらなかったならね
埋め立てさせられる前ならなおのこと
そこら辺をまるでわかってないのな
いや実際兵糧の不安はあった。
日本国中ひっくり返せば十分米はあるとしても、限度を越えた量を集める場合それなりの手間と手続きは必要。
やめろや~;;
また御堀で泳ぐヤツみたいなのが出るじゃねーか
つまりそれは当時の大砲では石垣を崩せなかったってことではないのか
まあゆうて弓鉄砲の間合いだけどな。
大筒の打ち合いを想定した作りにはなってない。
堀が二重になっていて天守閣までたどり着けないような罠でいっぱいのとぐろ上の二の丸三の丸の砦で守られた作りになっているのを知らない。
天守閣は権威用の飾り。
ちなみに投石器などの攻城兵器では天守迄石が届かない。
近代の150mmカノン砲レベルでやっと無力化。
攻略は激ムズで1人ぐらいしかクリアした人はいないはず。
近世の城はダッセ
戦国時代の実用一点張りの城には
天守閣はない。
江戸時代でも薩摩の城には天守閣はない。
つまりそゆこと。
日本の城の本体は土盛りと壕(恒久化のため石垣で固定)と突進を阻む柵。
西洋式の石積みでは一見強そうだが
地震ですぐに崩れるので、
武者返しの事は知られてないようだ
会津軍は兵力が無さ過ぎて総構えを生かせずに、簡単に城下へ新政府軍の侵入を許してしまった。
会津側に兵力が潤沢にあったら、もっと戦い(会津戦争)は長引いていたと思う。
19世紀の兵力兵器をもってしても、16世紀の城を攻略出来なかった一例。
基本的には外堀(あるいは石垣)の内側はみんな城だからね
大坂の陣どころか戊辰戦争も知らない自称日本人
欧州の都市の開発余地の無さのほうがハンパねえのだが
あくまでスレ主の言う侵入暗殺に限って言えば対象の行動、居場所が完全に分かっていて暗殺者が生きて戻る前提でないならどんな城でもワンチャンあるかもしれない。
ヨーロッパや中国だと城下町じゃなくて城壁内町だね。
何故そんなに日本の城に興味があってわざわざ見に来ているのに調べないのだろうか
これ賢者の石錬成しようとしてない?
それ単体で籠もるという設計じゃない
基本的にはいくつかの城同士で連携して動かすから単純な物でもない
加えて周囲の地形を天然の要害としてたりもするので城単体でなく、周囲の地形も加味しなくちゃいけない
山城の中では鉄壁の防備を誇ったようだ。
日本の城は攻略がすごい難しくて実用的な防御構造に見えるけど
欧州の城はいらん装飾だらけでまじめに守る気無いように見えるぞ
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