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スレッド「今日学んだこと(TodayILearn):日本人の90%が神社を訪れるが、宗教的だと思ってる人は4割にも満たない」より。
(海外の反応)
1
万国アノニマスさん

今日学んだこと(TodayILearn):
統計上、自分が宗教的な人間だと答えた日本人は39%
それにも関わらず回答者の90%が神道の神社に訪れると答えたという
2
万国アノニマスさん

俺はサンタクロースを信じてないけど、自宅にクリスマスツリーは家にある
そんな感じなんだろう
3
万国アノニマスさん

チェコでも似たような話があるな
99%無神論国家みたいなもんなのに、それにも関わらずクリスマスは祝う
↑
万国アノニマスさん

全然話が違う
クリスマスは宗教的で厳格な儀式というよりは祝日という側面が強いよ
↑
万国アノニマスさん

そう、だから日本で神社に参拝するのもそれと同じ
観光、気晴らし、お祭り、イベント、デートスポット、高齢者にとっては伝統行事であり宗教感は無い
神社にはこういったあらゆる機能がある
↑
万国アノニマスさん

なるほどなるほど
神社について全くの無知だったから、毎日あそこで瞑想や祈祷してるもんだと思ってた
5
万国アノニマスさん

ユダヤ人の友達は全員無神論者を気取るけど、ユダヤ教の祭日は祝ってるな
↑
万国アノニマスさん

それはユダヤ人という民族特有のこと
だから祭日は宗教というよりは文化的な面のほうが強い
6
万国アノニマスさん

一種の伝統の従ってるだけだから宗教的である必要性は無いんだろうね
友達も私も、”confirmation(堅信礼)”という儀礼を通過したけど別に宗教熱心というわけではない
※堅信礼:キリスト教とユダヤ教の信仰確認式

7
万国アノニマスさん

私は無神論者だが、クリスマスは世俗的な祝日になってるのでクリスマスツリーを持ってる
クリスマス=キリストの生誕日とか全く気にしてないが、夜は大切な人と夕食を食べ一緒に過ごす
これが伝統であり文化なので別におかしいことだと思わない
楽しめればいいので宗教的であり必要は無いよ
↑
万国アノニマスさん
実はクリスマス=キリスト様の誕生日というわけでもない

実はクリスマス=キリスト様の誕生日というわけでもない
ローマ人が後付で作った祝日で、本来は冬至祭だった
色々な文化圏で12月後半に祝日があったので、それがちょうどクリスマスに変わっていったとされている
メインストリームにみんな乗っかってるんだよね
9
万国アノニマスさん
日本人と欧米人の宗教観は同じだよ

日本人と欧米人の宗教観は同じだよ
宗教とは生き方の指標であり、哲学みたいなもの
神道の伝統行事は祖先をリスペクトするもので、神を崇拝しているわけでもない
10
万国アノニマスさん
宗教と伝統はまた別だ、迷信と宗教もまた別なように

宗教と伝統はまた別だ、迷信と宗教もまた別なように
11
万国アノニマスさん
日本人でもないし、神道に入れ込んでるわけでもないのに神社に行ったことあるよ

日本人でもないし、神道に入れ込んでるわけでもないのに神社に行ったことあるよ
神社に行っても別に日本人になれるとも思ってないし
12
万国アノニマスさん

自分も日本にいたとき神社に行ったことがある
本当にクールだし、神社は大きくて目立つスポットになっている
ヨーロッパの大聖堂のように宗教抜きにしても魅力があるよ
とは言えみんな神社の伝統性は尊重してる
13
万国アノニマスさん
アメリカのどんな無神論者でもクリスマスは祝う、それと同じこと

アメリカのどんな無神論者でもクリスマスは祝う、それと同じこと
14
万国アノニマスさん

神道は宗教よりもナショナリズムに近いかもしれん
基本的には日本人にとって愛国精神みたいなもの
15
万国アノニマスさん
やはり宗教というよりも伝統や文化の側面のほうが強いんだね

やはり宗教というよりも伝統や文化の側面のほうが強いんだね
16
万国アノニマスさん
自分は宗教熱心じゃないけどイェルサレムにはいつか行ってみたい

自分は宗教熱心じゃないけどイェルサレムにはいつか行ってみたい
17
万国アノニマスさん
アメリカやカナダだと宗教的だと答えるのが9割で

アメリカやカナダだと宗教的だと答えるのが9割で
教会に行くのは4割以下という逆転現象が起きそう
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神社参拝=クリスマスのような伝統や文化で納得していますが、日本人はクリスマスも祝うという…
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コメント一覧
クリスマスも祝うとかは外人が神社参拝するようなもんだ
まぁ超絶祖先の墓参りする様なモノだろ
隣に住んでるおっちゃんおばちゃん感覚で居るからな
神社に行く人の大半が「観光」だと思うから、伝統よりももっと軽い感じで行っているんじゃないかな。
教会だった観光で行ったりするんだから、特に宗教的かどうかなんて気にしてないよ。
「宗教を気にしないで観光で宗教施設に行くことが伝統」って言われると反論は出来ないけど。
あほか
何かしらの宗教に入信してるから参拝するしないの意味に取られるんじゃないかな
宗教に関わらず神様に詣でる事が出来るのが日本なんだけどな
初詣だって何が祭ってあるかなんて知ってるやつは殆ど居ない
てか初詣以外に神社やら寺やら行く機会がないなw
信仰者は悪く思わないでくれ。
特に否定するつもりは無い。
これが大半の日本人のスタンス。
殆どの人は、お願い事や結婚などの行事に利用しているだけ。
神または崇拝の対象物は、物・人・動物・架空の人物動物・自然(山・木・海川・岩・太陽・月・星座など)多岐にわたる。キリスト・アラー・ギリシャ神話の神々・妖精(エルフ)・仏陀なども神道の前では、一信仰対象にすぎない。だから日本人は、生まれは神道、結婚はキリスト教、死は仏教、他クリスマス・ハロウィンなど他宗教の行事も何でも取り入れる事が出来る。
そういう点で宗教っぽくない
※13
日本人どころか皆にとってそうだよ、宗教ってのは文化であり生活様式の一端
とりわけ盲目的に宗教を信仰する人は、自分の宗教を否定されると、
自分の人生そのものを否定されたのと同じだからこそ激怒する訳で
日本人は宗教とは「一神教の教えを厳密に守るもの」とされてるので
そういうイメージとしては自分は宗教には属してないと考えているが、
神棚を破壊などしてしまうととんでもない幸いが自分に掛かってくるのではないかという恐怖心は持ってるし、
運気を揚げるために神に祈れば何かを得られるという考え方もあるので神を信じてないわけではない
日本は有る意味で宗教的であると言われてるのはそこでもある
幸い→災いねw
ある意味では宗教の究極形とも思うが
この人とかんりにんさんは韓国の人?韓国語だと「祝日」とか、なんか日本語とは違う意味合いを併せ持ってるよねw?
もしくは・・・中学生とかなの・・・かな。ほら、勝手な解釈をしたり、辞書の第一義しか読まないのwいるじゃん?w
檀家は同じ地域で2件しかない。
もう来なくていいと言うと坊さん悲しそう。
お袋が・・・となっては、どう接して良いか分からない。
坊さんに来るなと言えないが、坊さんわかってる・・・・・、電話で・・・・・。
これには同意できない。誰が何を信仰しているのか全くわからない日本では迂闊に宗教の話をするのは危険。
人間関係が崩れる可能性もある
そもそも宗教という言葉にいい印象を持たない人が多い。
日本人的には『え、ご飯作ったの誰ですか?ご飯食べさせるためのお金を稼いでるの誰ですか?神がいったい何してくれたの!?なにもしてないのに感謝されるとか図々しいわ!』
ってなる。
考えると結構矛盾が出て来る。矛盾関係に限った話だが疲れる割に為にならない。考えるなら禅の方がまだ身がある。
日本は選べる。それだけだな。
彼らが無神論者~というのを聞いたり見たりするたびに、貧しい人たちだなあと思う。
やっぱ海外は宗教って関心事高いのかね
もはや日本に於いては文化的側面から見た方が理解しやすいぞ
もっと身近で土着的なものだと思う
どっかで自然やら運命やら生命やらと会話したくてその中継施設として神社がある
曖昧模糊な言葉が日本に存在する前から神社はある。
その点をガチで信じてる連中があちらさん
意味が全然違う
でも、大切には扱うけど、信じてるわけではない
特に、日本人はタヒんだ人は大切に扱うよね
菅原道真や明治天皇は架空の人物ではないぞ。
日本は、お祈りじゃないけど
いただきます。ごちそうさま。
と言う感謝は述べるぞ
自らを助けるものは居ても、その際に天は助けてないから
もっと一方的で、お天道様が見てるから悪いことはできねぇ
天罰怖いから身ぎれいに生きていこうみたいな感じ。
自分基準で何でも考えてしまう白人が傲慢なだけだ
ややもすると「 ISISとかあんな蛮行繰り返すテロ集団が宗教とは!宗教とはそういうものではない筈」なんて言う人が居るが、
むしろあれも”宗教”で何も間違っておらず、”宗教”という言葉と平和的というイメージを勝手に結びつけて曲解しているのはそう言っている人の方だ。
”信仰”に徒党を組む必要は無く、宗教団体・組織という人の集まりには”信仰”以外の目的がある。
たとえば神社仏閣に足を運ぶのは、伝統儀式や歴史ある建物を大事にしたい、残して行きたい、続けて行きたいという深層心理があるからだろう。
ISISには既存国家や政府の支配下に入らず、それらと戦い、自分らで国家を作り上げたい。という野望がある。
山賊・海賊集団のデカいものと思えば良い。
その野望・思想こそが”宗教”で、それに賛同する人間が入信する。
”宗教”は御旗の印のように”信仰”を掲げるが、宗教の本質は信仰ではない。
鰯のアタマも信心からって意味が理解出来れば分かるんだろうけどさ、唯一神って理解出来ないだろうね。
日本人に信仰心が無いなら、コンビニより多い神社(個人の屋敷神のお社は対象外ね)の数って説明つかないし。
お前は頂ますの意味が分かっていないのか?
米粒1つに八十八の神様がいるんだぞ
同じなのはイスラムとキリストじゃないの?
どこにでも居てありふれてて、別に絶対の存在でもない
別にありがたやありがたやと拝むわけでもなく、今日もよろしくって感じで手を合わせる
神様に監視されてるという強迫観念があるわけでもなく、
近くに住んでりゃいろいろ伝え聞こえるでしょって具合
ホントご近所付き合い
神道、仏教は文化,哲学であり宗教とは必ずしも言えない。
世界中のいたるとこのあったんだけど
キリスト教が異端として駆逐していったから日本だけ変わってる感じになってるだけ
それで宗教的な意味があるかといわれれば、うーん・・・て感じだもんね。
都合よく場当たり的に、存在させたり存在させなかったりするよねw
「日本人は宗教を信じないでお互いを信用できるのか?
例えば、俺らは物を盗まない。聖書にそう書いてあるから」
って言ってて、こいつら大丈夫かと思った。
だってこれ聞いた大半の日本人は
「じゃあ聖書に物を盗むなと書いてなかったら、お前ら物を盗むのかよ?w」
って思うだろうし。
普通、道徳教育って宗教とは全く関係なく学ぶだろ?
もしかして違ったりする?
日本の神様が守るのは、人間じゃなく土地とか自然(水とか、天候とか)だから、基本、人間には関係ないんだよ。ただ、そういう神様を怒らせない様に敬意をはらう。
>基本的には日本人にとって愛国精神みたいなもの
こいつの中ではまだ第二次大戦が終わってないのか
地域のなんというかアレだろ
郷土心をくすぐる地元の公民館のもっとなんか古くて深い、
お祭りには欠かせないし。
作法さえ守れば何を信仰してようが、それ等も数多いる神様の一人ってだけで「いらっしゃいw」ってスタンスだしな
全く違う。
お前ら欧米人にとって、自然や異文化は支配するもの。
日本人にとってこれらは互いに尊重し共存していくもの。
そういったことはほとんど生活の流れの一部になってる
初詣とか七五三みたいな行事だと、「よし。神社行くぞ」って、改まった気分で出かけるけど、
逆に、「周期的に絶対に行かねばならない」「行って祈らねば」みたいな強迫観念はまったくない。
まぁ清らかな場所ではあるんだけど、同時に身近で気軽なものなんだな。
そもそもの認識が神=自然だから神道は神を崇めると言うより自然を奉る感覚だと思う。
勘違いされてるよねこれ、
日本ほど神様を信じてる国は無い、神社に行けばほぼ必ず神様にお願いをする。
海外は神様=宗教だけど、日本は神様=宗教ではない。
神道は宗教っていうより日本人の世界観みたいなもので言語化とか意識化するもんじゃないし。
七五三とかも宗教儀式としてやってないっす
隣人の目なんて気にしない、神様が絶対
日本は対人恐怖症
外国は対神恐怖症 こんな感じでしょ
これが神社の基本姿勢
誰でも気兼ねなく行きやすい
日本人が接するような物と似てきているみたいじゃないか?
結構布教するわけじゃないけれど神道という形式は他国にも受け入れやすいんじゃないのかもしれないな
>隣に住んでるおっちゃんおばちゃん感覚で居るからな
うん、遠縁の上品だけど気さくなじいちゃんばあちゃんみたいな感じ。
でもそれでこっちが調子に乗ると物凄い怒られるんで大人しくしてるw、
みたいな。
縁日とか菊花展とかで積極的に人を呼び込んでるし、行かない理由は無い
だって「観光」で神社行っても、大抵は柏手打ってお祈りするじゃない?
祈るってことは宗教じゃないのかな?
キリスト教信者でない日本人が「観光」で海外の大聖堂に行っても、十字を切ってお祈りしないだろ?
近所の家にはアパートでも地の神様あるし、毎日仏壇と神棚にお水とご飯あげるし、盆暮れにはお墓参りに行くしおっさまにお経あげてもらってるし新年明けたら氏神様のお社掃除とか思い出しただけでも年中色々やってるなー
まぁ感覚としてはおはようとか顔見せに来たよーとか今年もよろしくね、みたいな感じかな。
でもこないだテレビで天皇のお仕事のあれこれ見たらすごい感動した
トップが国にいらっしゃっていつも気を配ってくださるのは幸せなことだなあと思った
>そんな感じなんだろう
そうそうそんな感じ。ただの習慣
へなへなで弱い学生に神の心を育てよう
>基本的には日本人にとって愛国精神みたいなもの
この人、神道と国家神道を混同しているね。
国家神道なんてせいぜいここ100年くらいの歴史しかない新興宗教みたいなもので、
本来の神道は近代的な国家の概念すらない遥か昔からある日本人の世界観・自然観だ
心の持ち方が宗教的であるのらなどこに問題があるのだろうか。
エルサレムであれメッカであれ日本人なら尊崇の思いで向き合う。
それが出来なくなった時に初めて宗教を意識するのだろう。
無宗教でなく、且つ宗教に頼らない民族でありたいものだ。
どうか見守ってて下さい」って神様に約束する、みたいな感じじゃないの?
お宮参りも「新しくこの地域に子供が生まれました。どうかお見知りおきください」って
面通しみたいな。地鎮祭は「ここに家建てますので、地面ほじくり返したりしますけど
よろしくお願いします」っていうお知らせ。
いただきますという呪文も唱えない人増えてきたし、いい時代になったよ本当。
神も仏も人智を超えたものは怖いし有難い。
バチが当たらないようにお詣りもする。
今となっては文化にまで昇華しちゃった感がするけど。何処で何をやってても神様にはみられてるから恥じない生き方をしないと、とか。
みんな色んな所で空気が違うとかは感じてるじゃない?神様?ここにも、そこにも、あそこにもいらっしゃいます~って感じかな。
生活に普通に密着し過ぎてていちいち信仰心を試すような真似は必要ないしね。
言葉じゃ説明できないけど
わかってても縁結びの神様くらいだろうね
これら西洋式なものだけをもってして”宗教”と言えば
確かに日本にあるものは宗教的とは言いがたいかもねー
だけど”神(=目に見えないモノ)
と向き合う態度”と考えれば
日本人の神と向き合う態度も
西洋と遜色ないと思うな。
西洋人は
祈る時間や、実践してる教義、
飾られた宗教美術の数を自慢したいかもしれないけど、
我々日本人はその様な面倒にあまり価値を見出してないのであった。
ユタの奴らの回し者も、こっちに来たけど幸い増えちゃいないが迷惑この上ないわ。
日曜日に休んでる無宗教気取り白人と一緒や
孫の堅信礼だけは絶対と聞いた。
そんなもんだよねー。
靖国神社の国家神道のが想起しやすい直接的な「神」として日本人に倫理をもたらすかもしれん
日本の宮脇教授が万里の長城周辺を植林した時(焼き煉瓦で伐採され荒廃)、マメ科の窒素固定や伐採後の有益になるヒノキ科では失敗するほど荒れた土地。神社同様に地元の祠にある植物種を増やして植えて根付かせた。
「信じる」要素が薄くて、ただお参りして、お祈りしてるだけな感じだからじゃね
天皇も、統合の象徴だしね
ああでも、その土地、その土地の伝統ってのは世界中で、地域のつながり、ひいては国家のつながりか
宗教なんてのは神社に参拝するくらいで良い。
外国のように唯一絶対の神だけを崇拝し異教徒を弾圧したり他の神を認めない排他性こそが戦争の原因。
一神教の奴らも他の宗教を尊重しなさい。
欧米人に言われたのだが、「日本の神は人間じゃないか」と。(菅原道真や徳川家康の事か?)
俺が「キリストも人間じゃん」と言ったら激怒していた。
神なんてものは外国人の考えるような絶対的な存在ではないよ。
逆に神社に面倒だからという理由以外で積極的に行かないという人はかなり宗教的人間
Godを神感覚で理解していたり、三位一体を理解してないと、議論は噛み合わないよ
アブラハムの創造者を神と訳したのが混乱の理由だな
天主とでも訳すか、日本語の概念にないのだから素直に音訳すべきだった
(定着しなかったというのが実情だが)
でも靖国はちょっと特殊なんだよね。実際は動物が祀られてることも多いし、樹木や山川だったり様々。日本独特だろうけど、ナショナリズムを炸裂させる場所じゃないと思う。
モスクや教会に行くのと同じだ
当の日本人が思ってなくても90%は神道教徒にカテゴライズされる
別に宗教自体は悪いことではないからこれでいいのだ
多少は日本文化や伝統を意識している、と言えるかもしれない
これって充分宗教的だと思う
持って行き方が全然違うんだから、理解するのは無理
日本に来て問題起こしてる無宗教の人多いよ
生活の中に宗教が自然に存在するからそれを排除しようと抗議ばっかりしてる
人類にとっては1000年停滞。
いい加減なコメントしておいて速攻論破されてやんのww
しかもその言いわけが「神社について無知だったから」
知らんのなら分かった風なコメントすんなやww
家単位が宗教で皆で分かち合うのが神道
仏教、キリスト教、かたや教えが大事、神道は道で生き方の指標みたいな
志望校に合格しますように
良い子を授かりますように
商売繁盛しますように
恋愛がうまくいきますように
とかみんな心から願って参拝する
悪いことばかり起きればお祓いする人もいる
単に日本人に宗教的だという自覚がないだけだよ
海外の人から見ると神頼みなど宗教的以外の何物でもないよ
でも、参拝以外でも神事やお祭りなど、日本の国民の日常の習慣として受け入れられているから、改まって宗教意識はないじゃないかな?よくわからん。。
どんなモノにも命が宿ってる精霊信仰みたいなものが根底にあって
でもってそれを無意識に意識して生きてるってだけだと思う
バチが当たるとか、お天道様が見てるとか言う奴ね
地祇(ちぎ) とは
国つ神。地神。土地神様。天孫降臨以前からこの国土に土着し、地方を治めた神の事。
有名な神社も良いが、住んでいる近所の土地神様の神社も大切にしたい。
だよね
向こうの「神なんかいるはずない!信じている奴は気違いだ!」っていう無神論者とは違うんだよなぁ
恋人や家族連れを見てもボッチ感に苛まれずに済む
一人でいても「俺はほら、ちょっと家族の健康の事とか神様に頼みに来ただけなんだからね!」みたいな顔して両手合わせてりゃ堂々といられる
周辺には何らかの飲食店があるし、野良猫なんかもいてモフモフできる
日本で一番ボッチに優しい空間、それが神社だということが外国人にはわからんのですよ
これも神社によって宗教だという人も居るし、私も宗教だと思っている。(信仰して、生きる上での教えと受け取り、支えにしているなら宗教だという考え)
日々の慣習や作法から、行事や神事など国の運営の骨格になるくらいの大きすぎる存在ゆえ、人々は普段、意識すらない。
自然な認識と行動を共有化できる。これこそが日本の民族意識の強みでもあって、アイデンティティの理想ではないかと思うところがある。
日本では様々な宗教はあくまでそのバックグランドの上にあるので、側から見れば不思議なのだろう。
大企業になると企業神社もありますね。有名所ではトヨタ、三菱、三井、日立、東芝、資生堂・・・。神社に参拝するなって言ってる毎日新聞にも毎日神社があるし、朝日新聞の村山一族は神道家。
JAXAの小惑星探査機ハヤブサのときも、プロジェクトがすすむたびに、神社のお札が増えていったのは映画でも紹介されてたし、ヤクザの襲名式とかの儀式も神道式。
科学の最先端のJAXAも、ヤクザも、反日新聞社も、大企業も、仏教の伝道師も、もちろん一般の人も、みんな神社にお参りするってのは、日本人における日本語のようなものなのかも、知らんけど。
宗教という概念では括れない、呼吸みたいなかんじ。
知識だけでは理解が難しいんだよね。
お寺や神社は行かない
宗教に特権を与えるべきえはない。趣味扱いでいい
そうだね。
例えば公明党みたいに宗教と密接な関係にある政党には投票する人の気が知れないね。
要するレベルが高すぎて
他国民なら「信心有り」レベルの人でも
「いえいえ信心というほどのことはないです」といっちゃう、つう
謙遜の表れだったりする例もあるでね
寒い時期の夜中に、羊飼いが野宿しているか?ってところで、気付くべきだよね。
「世界観」か、上手いこと言うなあ。
ようやく神道の正体が分かった気するわ。
その世界(様式)に生きてれば普段から自覚することも少ない。
目から鱗が落ちたわ。
神社の場合は建物に入ることはほとんどない
寺はその中間てとこか
本来は「自分たち民族を創造した神々」を信仰することはごく自然な事
これをキリスト教徒やムスリムが民族主義だナショナリズムだと批判するのは筋違いだろ
ゲルマン、ローマ、ギリシャ、エジプト、オリエント、中南米の神々は皆ヤハウェに殺されてしまったからな
自分たちが自分の神々を守らなかったのが悪い
マナーとかはあるけどその他は個人の「自戒」とか「自律」に頼る部分が多いのが基礎にある。
だから職業とかに関係なく共通の概念を共有できるっていう日本人って不思議なんだろうね。
祈りの概念も外国とは違うもんなあ。
日本は蒸し暑いから素肌に纏わりつくものはユル~い方がいいよなぁ
でもマレーシアとかインドネシアとかのイスラム教徒は暑苦しかったりしないの?
外国で知られてる神道は、国家神道だからね。
伝統的神道(土着信仰)の存在が知られてないから、外国人には奇異に映るらしいです。
国家神道は日本の歴史の中では寧ろ異端。と説明すると、大概驚かれるよ(´・ω・`)
ごった煮ちゃんぽんして、おいしく食べている日本。
ここまで宗教で対立のない国も珍しいだろうね(新興宗教除く)
分かりやすい神を前面に持ってきたのが国家神道
キリスト教の構造を模倣して明治に作られたけれど敗戦によって全否定されたことで
今の日本は魂の無い拝金主義の自堕落な孤独な人間が住まう国になってしまった
>神社にはこういったあらゆる機能がある
この傾向はキリスト教の教会も同様だな。
オレのパソコン掃除しろ
ついででいいからビール返せ
キリスト教徒・イスラム教徒のみなさん、理解できますか?
もし、移民したいなら、これを理解できる精神構造を持っている人でお願いします。
神道には教義がないところが良いのです。とりあえず穢れないことだけです。
「穢れ」それがすべてです。聖書などの様に細かく、アレしてはダメコレしてはダメはないのです。
魂を穢れさせないようにするだけです。悪い心は魂を穢します。悪い心さえなければ争いはないのです。
キリスト教等は神が人間を縛る宗教、神道は人間自らが己を律する智慧だと思います。
だから、日本人は正直で働き者が多いのです。
ふうん。一神教の人達は神に禁止されないと善し悪しの判断もできないの?じゃあ、どうやって自分達の神が正しいと思ったんだろ?
逆で、自分達に都合が良いように神を作った。牛や豚は人間が食べる為に神様が作ったとか
洗礼を受けてない人は皆地獄というような
*148
キリスト教ではアダムが約束を破ったときに労働という罰を与えた。労働は罪という表現。
なので欧米では体を動かす労働者の地位は低く扱われてきた。
神道は神々が機織りや畑を耕したりして自ら労働している。
神のやることは正しい、つまり日本では労働は美徳とされてきたから勤勉なのである。
他の宗教と衝突した時に初めて自分はこの宗教を信じているのだと意識する
そうなんだ~教えてくれてありがとう。
そんなご都合神の教えに縛られてる人もいるね。なんかアホクサ…
神様信じて無くてもおみくじやお守りは信じる
>キリスト教ではアダムが約束を破ったときに労働という罰を与えた。労働は罪という表現。
>なので欧米では体を動かす労働者の地位は低く扱われてきた。
つかキチガイ電波を作った奴のご都合だな
個人的な理由で労働は罪だなんてさ
だから中世ヨーロッパや現代のイスラム原理主義国家は衰退するんだよねぇ
下らん戒律大杉
そもそも神社に神の教えを説く人とかいないでしょ。神懸かりの巫女がいた時代ならともかくさ。
その神にしたって地域性が強すぎるから、統一的な見解とかも(本来は)存在しないしね。
たいていは村長=神主なのも理解できようというもの。
一神教自体が害悪でしかない
古代ローマ以降のヨーロッパや中東も一神教に染まって文化や人権も後退したしね
一神教に染まらなかった日本や中国は高度な文化や自由な風潮を保ち続けることが出来たし
憩いの場とは、静粛を保つだけではなく、子供が騒ぐ事も自然だそうな。
当然、教会と対立してるという話は聞いた事が無いし、
ご法度は野に大小をする事だけで、サンタが路頭に迷っても一宿一飯の恩に与れる筈だそうな。
灯篭や狛犬に登って大人に叱られたり、神社の裏のシーンとした感じが怖くて行けなかったり(神社の社の裏側ってなんかこわくない?)
傍から見たら宗教的でも日本人からしたらちょっと違う
でも無信仰、無宗教かと言われるとそれも違う
敬虔な信徒は少ないかもしれないけど
日々の生活を通して各々が、
穏やかに緩やかに
神や仏に接する機会を大切にしているに違いない
シナは違うだろが
毛沢東狂(凶)に嵌まってもはやみるかげもなしの拝金主義
エドガー・ケーシーの本にあなたは1万年前に神道に関わっていた
なんリーディングがあったのを思い出す
教義を持たないから、キリスト教や仏教のような創唱宗教ではないということ。
でも、自然信仰や先祖崇拝に儀礼まであるんだから立派な自然宗教ですよ。
そして自然宗教なんて世界中に沢山あるんだから、神道だけ宗教じゃないというも誤解。
自然を超越する神秘的な存在(神・霊・魂など)を奉っているのに宗教以外の何なんだと。
日本人には教条信仰じゃないから宗教的じゃないというイメージがあるだけです。
そもそも神道には教義なんてないからな。
ただただ神社に祭られてる神様へのご機嫌取りをお祭りや作法で表現している。
人間は神のエネルギーや魂のようなものが分離して現世に生まれ死ねば元の神の元に戻る
よって間接的に先祖は神と言えるわけ
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