引用:https://boards.4chan.org/int/thread/33759413/most-important-battle-in-your-cunts-history
スレッド「歴史上、最も重要な戦い」より。
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ヨークタウンの戦い:1781年に起こったアメリカ独立戦争を事実上終結させた決定的な戦闘。バージニア植民地東岸のグレートブリテン王国(イギリス)軍最終拠点であったヨークタウンにて、米仏連合軍がチャールズ・コーンウォリス率いるイギリス軍約7,000を包囲、降伏させた。
ゲティスバーグの戦い:南北戦争において事実上の決戦となった戦い。ゲティスバーグ戦役の中核を成し、アメリカ合衆国軍とアメリカ連合国が双方総力を結集、南北戦争史上最大の激戦となった。この戦いが転換点となり、合衆国軍が優勢になったと見るのが伝統的見解である。
エイブラハム平原の戦い:七年戦争(北アメリカではフレンチ・インディアン戦争)の中枢となった戦い。この戦いは、両軍合わせて少なくとも1万の部隊が投入され、後のカナダの形成に影響を与え、ヌーベルフランス(北米のフランス領)の運命を決定づけるという点で、英仏両国の戦いの中で最大の山場となった。
オーストラリア人が寝ているうちにエミュー戦争を貼っておくね
エミュー戦争:オーストラリアにおいてエミューは畑をふみ荒らし,穀物を食べ,柵を倒し,羊のための水を盗むという理由で,害鳥として駆逐されることになった。1932年には,エミュー退治に軍隊が出動し,エミュー戦争をひき起こした。この戦争はエミューが分散したので完全な失敗に終わった。
アラモの戦い:テキサス独立戦争中の1836年2月23日から13日間、メキシコ共和国軍とテキサス分離独立派(テクシャン反乱軍)の間で行われた戦闘。結果はメキシコ軍の辛勝となった。
多分、アレシアの戦い
ベルギーは間違いなく「金拍車の戦い」だな
金拍車の戦い:1302年にコルトレイクにおいてフランドルの都市連合軍がフランス軍を破った戦い。フランス王フィリップ4世がフランドルを併合しようとした一連の戦争の中で起きた。戦場に騎士の象徴とされた金拍車が多く残されたため、この名がついた。ベルギーでは、フランドルの独立を守った戦いとして記憶されており、戦史的には中世ヨーロッパにおいて市民中心の歩兵軍が、初めて重装騎兵である騎士軍を破った戦いとして知られている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/金拍車の戦い
西洋国家ならみんな「マラトンの戦い」を挙げるべきじゃないの
マラトンの戦い:紀元前490年9月12日(諸説あり)に、ギリシアのアッティカ半島のマラトンで、アテナイ・プラタイア連合軍がアケメネス朝ペルシア王国の遠征軍を迎え撃ち、連合軍が勝利を収めた戦い。マラトンの勝利は、アテナイに絶大な自信を与えた。マラトンで戦った市民軍はマラトーノマカイと呼ばれ、アテナイ戦士像の理想となり、古典期の陶芸芸術のモティーフとして大きな影響を及ぼした。また、プルタルコスによれば、エウクレス(Eukles)なる兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」と告げて絶命したという。これをもとに第1回近代オリンピックでは、アテナイ-マラトン間の走行競技が行われた。
地球の反対側で常にドンパチ紛争やっている間
重要な位置づけにも2パターンあるよな
ポーランドはタンネンベルクの戦いしかないぜ
タンネンベルクの戦い:1410年7月15日、ポーランド王国・リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団の間で戦われた戦闘。この戦いで勝利をおさめたポーランド・リトアニアはさらに勢力を拡大、ヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えることになる。http://ja.wikipedia.org/wiki/タンネンベルクの戦い_(1410年)
このテーマなら、独立の決めてになったシプカ岬の戦い(露土戦争)かな
露土戦争(1877年 - 1878年):ロシア帝国とオスマン帝国(トルコ)の間で起こった戦争のひとつ。バルカン半島に在住するオスマン帝国領下のスラヴ系諸民族がトルコ人の支配に対して反乱し、それを支援するかたちでロシアが介入して起こった。ロシア帝国の勝利で終わり、東ヨーロッパ諸国の独立回復のための重要な戦役となった。サン・ステファノ条約によって、セルビア、モンテネグロ、ルーマニアの各公国はオスマン帝国から独立。ロシアの影響を強く受けた広大な自治領「大ブルガリア公国」の成立が定められた。
第二次世界大戦を選ぶドイツ人は物事を分かってない
ライプツィヒの戦い(1813年):ナポレオン戦争における最大規模の戦闘。「諸国民の戦い」とも呼ばれる。ドイツ東部のライプツィヒで、ナポレオン1世麾下のフランス軍19万と、プロイセン・ロシア帝国・オーストリア帝国・スウェーデンの連合軍36万の間で戦いが行われた。3日間の激戦の末、圧倒的な兵力差の前にフランス軍は敗北した。フランス軍ではポニャトフスキが戦死、4万以上の死傷者、連合軍も5万以上の死傷者を出した。戦闘の結果、ナポレオンのドイツ支配が終わった。
イギリスはワーテルローの戦い
第二次ウィーン包囲が最も重要の戦い
第二次ウィーン包囲:1683年に行われたオスマン帝国による最後の大規模なヨーロッパ進撃作戦。オスマン軍はオーストリアの首都にして神聖ローマ皇帝の居城であるウィーンを大軍をもって攻撃したが、拙速な作戦により包囲戦を長期化させ、最後は反オスマン帝国を掲げて結集した中央ヨーロッパ諸国連合軍によって包囲を打ち破られるという惨憺たる敗北に終わる。この包囲戦を契機にオーストリア、ポーランド、ヴェネツィア、ロシアらからなる神聖同盟とオスマン帝国は16年間にわたる長い大トルコ戦争に突入した。その結果、歴史上初めてオスマン帝国がヨーロッパ諸国に大規模な領土の割譲を行った条約として知られる1699年のカルロヴィッツ条約締結に至った。
フィリピン独立革命(1896-97)。
18世紀:ポルタヴァの戦い(大北方戦争)
ニュージランド史上最重要:ガリポリの戦い(第一次世界大戦)
トラファルガーの海戦:1805年10月21日に、スペインのトラファルガー岬の沖で行なわれた海戦。ナポレオン戦争における最大の海戦で、イギリスはこの海戦の勝利により、ナポレオン1世の英本土上陸の野望を粉砕した。http://ja.wikipedia.org/wiki/トラファルガーの海戦
アルジュバロータの戦い:1385年8月14日、ポルトガル王ジョアン1世および将軍ヌノ・アルヴァレス・ペレイラ率いるポルトガル軍とカスティーリャ王フアン1世の軍との間で、ポルトガル王位を巡って行われた戦闘。カスティーリャ軍は決定的敗北を喫し、ジョアン1世のポルトガル王位が確立された。
1620年の白山の戦い
白山の戦い:ボヘミア(現在のチェコ共和国)の首都プラハ近郊の山、白山(Bila hora)でのハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との間で勃発した戦闘。ボヘミアのプロテスタント貴族は、ドイツやトランシルヴァニアのプロテスタント貴族に対して援助を求めたが断られ、わずか半日で壊滅した。ボヘミア王フリードリヒと妃エリーザベトは亡命し、ティリー伯が入城したプラハでは暴動が鎮圧され、多くの市民はカトリック復興を歓迎した。
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コメント一覧
白村江 ×
元寇 ◯
朝鮮出兵 ×(撤退)
ペリー来航 黒船襲来 ×
日清 ◯
日露 ◯
日中 ×
大東亜(太平洋)戦争 ×
こうだっけ?特に白村江、元寇、黒船明治維新、大東亜あたりは国家的なピンチにあわせて天皇の力が強まったんだっけ?
内戦は天下分け目の関ヶ原がやっぱり筆頭かな
日本で一番最初に訪れた侵略だったよな?
朝鮮出兵は△。
あれは結果的に痛み分け(中国がやや痛手をうけた。日本は豊臣の死によって引き上げただけ)。
それを言うなら元寇も△になるぞ別に元にとって大した痛手じゃないしな
内戦で言うなら桶狭間の戦い
これによって織田の武運が拓けて、徳川の独立への道ができたから
と思ったけど案外今川義元の下で執政をして似たような治世をしそうな気がする徳川家康
あとペリー来航は戦ってすらもいない。
あくまで交渉しにきただけで、それもごく普通に締結した。
本格的に問題になったのは次の別の人。
いや〇で合ってるよ。
きちんと撃退したし、その後元も高麗も滅びたから。
ちなみに、朝鮮出兵は日本がほぼ優勢だった。
勝っても「次」で負けそうだけど・・・
明治維新は大規模な戦闘を防げたことに意義があるしね。
第二次はそもそも最初から解ってた結果だからどうかな…
あえて言うなら、北海道のロシア軍との戦闘かな。
あそこで防いでくれたおかげで、北海道まで奪われずに済んだ。
大東亜戦争せずにすんでたら
日本は今より国力のある堂々とした真の意味の独立国家のままでいたろう
その反面国民の生活は今ほど豊かでも自由でも平和でもなかったろう
壬申の乱もだけど白村江からの流れかな
別に日本関係ねえw、第三次の計画もあったんだぞw
これが無ければ近代日本は列強入りしてなかっただろう
第二次世界大戦を含めた以降の流れを決定付けた
日露と日中の間に第一次世界対戦が入るのでは?
第二次は負けるのが必然だったし
あんまり入れたくないなあ、殆ど参加してないし
関ヶ原で西軍が勝ったら、秀よりが頼りなくて東西再分裂しそう。
戊辰で幕府が勝ったら、日露で死にそう。
日露で負けたら、アジア総植民地
太平洋で勝ったら、財閥残って権力固定化の内戦頻発で貧乏国家になってそう。
うーん。やはり日露戦争かな
その違いは大きいと思う。
宣教師どもが来訪した時点で群雄割拠状態てのが良かった
いや秀吉の目的は明だからなw
しかも明も被害を被って、後に滅亡の一因にもなったしね。
視点によってそれぞれ異なる。としか。
後は白村江、日清戦争のどこか、2次大戦のミッドウェー敗戦辺り、地味に薩英戦争とかも
内戦は幕末の一連の戦いの鳥羽伏見(決定的になった)か五稜郭(終戦)がデカいと思うが
勿論関ヶ原合戦や源平期の富士川合戦なんかもデカい
でも内戦より日本史ではクーデターの方が影響でかそう
本能寺の変や大化改新ね
アレで攘夷勝ってたら帝国化しなくてアボンされてたんじゃね?
まぁ、正直壇ノ浦ではすでに勝敗は決したものだったけど
壇ノ浦までの源平の合戦は貴族社会の崩壊と武家社会の誕生のキーポイント
日本単体で意味のある大戦なら数あるけど、世界規模で意味のある戦争だし。
これはこれでよかったと思うわ
白江村は日本600人vs. 明30000人だぞ。
勝てるはずが無い。
負ける可能性のほうが高かったわけだし、もし負けたら歴史は全く違ったものになってただろうし
タイムトリップしとるw
本気()出したら幕府側有利だった可能性高いらしい
ただアメリカや列強の都合良い港扱いはされていたかもしれん
江戸時代がどこまで続いたかは分からんが、いずれにしてもどこかで体制を大きく変えた気はする
兵力の差でいったら幕府軍が圧倒的優位、ガチで潰しにいったら幕府が勝利できたと思われるけど慶喜としては賊軍の汚名を被りたくなかった
議論の余地なし。
えーとネタか、それとも年代間違い?
まず明じゃない。唐と新羅の連合軍。
続いて、単純な兵力では日本側のが勝ってる。
日本側は約5万に及ぶ軍を3度に分けて派遣した。3つの軍隊は旧百済領各地で新羅と唐の連合軍と戦っている。さらに言えば、唐の軍隊は主力ではなく、主力は大陸で別の敵と交戦中。
3つの軍隊のうち、第2次派遣軍(約2万5千)が「白村江」にて、新羅と唐の連合軍と大規模な水上戦を実施し、これに敗北したのが白村江の戦いだ。
第2次派遣軍が第1次派遣軍や第3次派遣軍と合流していればどうなっていたかは分からないし、そもそも日本側が負けた理由は統一された指揮系統がうまく整備されていなかったからなど様々な理由がある物で単純に兵力差で負けた事実は存在しない。
対外戦:日露戦争(日本海海戦)ないしは第二次大戦(ミッドウェー海戦)じゃね
ぶぶ漬けいかがですか?
鎖国といて、初の海外での戦争だし
日露戦争以上に日本にとっては重要だと思うがね
中華圏から独立した勢力と認識されたのはあれがきっかけだろうし
内戦なら平将門の乱とか
将門様が討ち取られてなかったら天皇制も残ってたかどうか怪しい
色々反乱が起こったが
徳川様の天下となって太平の世を開くことになったんだから
このおかげで今の日本人の思考スタイルと嗜好が定まり始めたのだ
戊辰戦争?
逆賊どものせこい反乱でしかないね
恥だからって隠すな!
一つの時代が終わる決定的な戦争
国外では日露戦争
列強英国との同盟と文明開化後の近代的な戦争のはしり
日清戦争は弱いものいじめをしてたに過ぎないから三国干渉もさけられなかったし今の地位は英国との同盟とロシアとの講和がもたらした結果だろう
千年以上続いた独立国としての歴史に終止符が打たれた
日本がこれをやらなければ、全世界の有色人種はいまでも白人の奴隷。
当時の清は、日本の5倍の経済規模と優れた欧州製の兵器を揃えた強大国だよ。
それだけ国力差があったから、清が執拗に日本に嫌がらせをして戦争に発展した。
アジア利権の本拠地を失ったことが、大英帝国崩壊の最大原因。
激戦地・旅順での体験を『肉弾』として刊行。 16ヶ国語に翻訳され、ドイツ皇帝はドイツ全軍の将兵に必読書として奨励。
アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領から「予はこの書の数節を我が二児に読み聞かせたが、英雄的行為を学ぶことは一朝有事の時に際して、一般青年の精神を鼓舞すべきもの」という賞賛の書簡が寄せられた。
ドイツ語版は1940年に再販された。三国同盟を契機として、再びドイツ人のあいだで日本軍人への尊敬と評価が再燃したのである。
日本の成功はアメリカが金を出したからじゃないよ。
日本民族が優秀すぎただけ。
信長が死んでしまったことで日本の歴史が大きく変わった様に思う
・世界最大の帝国
・世界最強の海軍
・世界第二の文化大国
・アジア人を奴隷として支配
・世界第二の自動車先進国
戦後のイギリス
・偉大な日本軍にアジアから叩き出されて香港さえ失う
・日本海軍にボロ負け、いまやフランス海軍より弱い
・音楽の収益はアメリカに吸い上げられ、ポップカルチャー総体では日本以下の影響力
・日系企業の工場や旧植民地の香港、シンガポール、オーストラリアに出稼ぎ、アジア人の下で働く
・日本のバイク、自動車に壊滅させられ、セレブは日本製のレクサスに乗る
アジア十億の敵、暴英撃滅の火蓋を切ってここに七十日、赤道直下のジャングルを、胸をも没する湿地を、シンガポールへ、シンガポールへ進撃し、ついに十数万の英軍を完全に叩き潰したのだ。
世界の要塞シンガポールを陥としたのだ。
傲慢極まりない英人を、東亜侵略の拠点から駆逐したのだ。
アジア十億の同胞よ、今こそ我ら民族の勝利は訪れたのだ。
見よ、南海の碧空高く翻る感激の日章旗を。
坪井淳
それは今だから言える話であって、当時の日本は清みたいな大国と戦争したくてやったわけじゃない。
上で「弱いものいじめ」とか書いてるアホがいるけど、とんでもないw どんなだらしない軍隊だろうと劣等民族の虚弱な敵兵でも、銃を撃てば何発かは当たるわけだからな。
しかも、戦争なんてどれほど強い国でもやれば国力消耗する。もし勝っても清から賠償を得られてなかったら、国が傾くほどの相手だぞ。
逆だよ
中国が日本を虐めてた、今みたいに
横暴な強者に一国で立ち向かったのが日清戦争
日露よりもはるかに大きい意味をもつ
ここでの勝利から一気に明治維新
今のパレスチナ問題や中東アフリカの紛争は何かしらこの国が関わってるのに賠償金も謝罪もしないからなしかも知らん顔してる
日本もふてぶてしさはイギリスに習った方がいい
アメリカは計画的だね前から挑発しといて相手に吹っ掛けさせておいてそれが全てと言うように大義名分を持って戦争している
イラク戦争は流石に無理矢理すぎたが
きのこvsたけのこ戦争に一票w
絶対言う人いると思ったら2コメ目で出てたww
清の北洋艦隊の構成艦として、補修の名目で長崎に入る。
長崎に上陸した清の水兵たちが略奪や暴動を起こして日本人に被害を与える。
やがて起こった日清戦争に参加。豊島沖海戦や黄海海戦に参加するが逃げていただけ。
威海衛の戦いの後、日本軍にっさり降伏し鹵獲される。
典型的な中国人w
いやアメリカのおかげもあるよアメリカが軍事を禁止したお陰で三島とか軍隊内のクーデターをないとは言い切れないし未然に防げた 南米を見てみろよ対共産対策が誤って独裁とか軍が力を持ちすぎて悲惨だったぞ軍事力がなくて他に金掛けれたのも大きいそれに戦後はドルが360円固定で安く外国に工業製品が売れたのが大きいしアメリカもたくさん買ってくれた これ程日本が力をつけたのは誤算だったがな 少なくとも今の中国みたいに嫌われず成長できたのは大きい
お花畑乙
関が原の合戦 どちらが勝ったかで大きく歴史が変わった。
戊辰戦争 これも、歴史の転換点。
日露戦争 ロシアの南下侵略を防衛。負けてたら日本が消滅してたかも。ついでに中国と韓国も無くなってたかも。
白村江の戦い&壬申の乱・・対外過敏病のさきがけと国内統一
源平合戦・・武家政権確立
関が原・・長期政権で現代日本の源流を築く
日露・・日本史上最大のリソースを結集して勝利
太平洋・・チャンピオンに挑むもKO
会津を滅ぼさなければ気が済まないという薩長、特に長州の私怨だろ。
単なる復讐行為で重要な戦いなどではない。
日本がこれをやらなければ、全世界の有色人種はいまでも白人の奴隷
もともと北洋艦隊なんか最新鋭の兵装だったけど練度の低さなんかも日本はしっていたし列強と肩を並べて軍事作戦や検証に海外に武官を送り込んで最新の作戦も研究していた。勝てない相手ではないと踏んでいたしロシアのシベリア鉄道建設や南下を警戒して清を割譲しようとしたわけだろ。
日本以前に各国が清に租借地を得ていたんだから力があるとはいえんだろう。そもそも日本が朝鮮を武力開国させ中国の影響力を削ぎだしたことから軋轢が生まれてんだから日本が一方的にやられていたなんて論調はちょっと都合が良すぎるだろ。
いや、それ以前に国力差を知っていたから、日本が敢えて戦争する理由がない。
練度が低いだの、巧みな戦術運用すれば勝てない相手ではないと結論づけたのは、清からの嫌がらせがピークに達して対立が激化してからの話。
それだって、長期化すれば国力とリソースで劣る日本が不利に決まってるだろ。欧州先進国からの兵器を購入する資金力からして大差があったんだから。
>そもそも日本が朝鮮を武力開国させ
ああ、これだけで頭おかしいあの民族とわかるね。外交非礼を繰り返したあげく、勝手に自滅した劣等民族がなに言ってんだかw
イギリスの場合は「マレーでの敗退とシンガポール陥落」
がおもしろいよ
日本様に楯突くパク・クネのことかと思ったw
あいだの半島はキ.チガイだし
元寇は民間商船も大量徴発した大遠征だから大した痛手では無いってのは無い
経済にシャレにならない打撃を受けてる
戊辰戦争は新政府軍の圧勝だったと思うし。
清からの嫌がらせって…
では当時発生した沖縄の帰属問題と台湾出兵、東学党の乱の鎮圧の件でご意見願いたい。
それ以前に一体なぜ戦争に発展する嫌がらせがあったのかも付け加えてね。
いちいち人様をあの民族だとか下らないこと言う前に納得のいく理由を述べたまえよ。
元寇は元の全海軍力を投入した作戦。
元寇で壊滅し、大造船事業を行ったため負担に耐えかねた民衆の反乱が続発したと元史の各記事にある。
造船で山も禿山になってるしな。
石田三成×徳川家康
(´・ω・`)
武田と上杉が無駄に戦力消耗させてたという点では逆の意味で歴史上重要かもしれん
大坂夏の陣かな。
日本のサムライ美の象徴だと思う。
役者も絢爛豪華。
個人的に好きなのは...忠臣蔵かな。
この戦いでは、平家の武将が多数討ちとられて壊滅的な打撃を負って再起不能が確定した
もし、この戦いで平家が踏みとどまれていたら、平家(安徳帝)に勝機ありとなって流れは大きく変わっていたと思う
おそらく、様子見をしていた西日本の豪族勢が平家側に馳せ参じただろうし、奥州の藤原一族も静観から一転して平家側に参じただろうしね
当時は、平家のお蔭で暮らしていた豪族ばかりの世だったから
大阪人にとっては最悪だったらしいな。
通常の合戦は人の居ない野原などでやるのが日本の常識なのに、大阪冬の陣と夏の陣は人が密集している大都市に徳川が攻撃したので、多くの一般人が被害に遭った。
それも今となっては歴史のロマンだけど。
源平の戦い 勝ち
元寇 不参加
嘉吉の乱 負け
応仁の乱 勝ち
関ヶ原の戦い 勝ち
戊辰戦争 負け
日清戦争 不参加
日露戦争 勝ち
大東亞戦争 負け
だな。
日本がこれをやらなければ、全世界の有色人種はいまでも白人の奴隷
日本(国際法と理性) vs 清(感情論と未開) の戦いよね。
あと、みんな勘違いしてるけど、あの頃の戦争予想は
大国・清が日本本土に攻め込んでくる、という想定。
清もそのつもりだったし、日本もそれを念頭に訓練していた。
壬申の乱、蘇我と物部の戦い、保元の乱から始まる一連の源平の争い
応仁の乱、群雄割拠時代の様々な戦いと関が原の合戦、戊辰戦争
そう、中国は当時欧米には頭が上がらなかった。それでも、日本よりも国力はずっと大きかったんだよ。
んで、国力の大きさをたてに日本をいびることによって、欧米に潰されたメンツを保とうとした。
有名なところは長崎事件だね。経緯と対応を調べると、本当に中国はろくでもない。
日本は最初は中国朝鮮と協力して、欧米のもたらす困難に対処しようとしたんだよ。
結局、横暴であまりにも話が通じず、地に足がついてないもんだから、一緒にやってくのは無理と悟った
朝鮮を開国させたのは、欧米列強の勢力圏に半島が落ちるのを、日本の防衛上、見過ごすことができなかったから。
当時の状況から見て、中国には任せておくのは無理ってもんだ。
それと、中国兵の練度の低さを日本が知っていたら、日本が中国に対し弱い者いじめをしたことになるって理論がおかしい。
日本は、中国に国力をたてにさんざん虐められたから、相手の弱点を研究して力を蓄えた。
重税だったし、軍事訓練が厳しくても国民一丸となって、富国強兵に心血注いだんだ。
そして、どこの国の手も借りずに、いじめっ子を撃退したんだよ。
それが日清戦争
少子化の今の子どもたちは、はるかに生ぬるくて羨ましいぜ。
あれで大陸のように蒙古人に大量殺人されないで済んで民族の遺伝子は汚されなかった。
日本列島は日本人のものでありつづけた。
現代に一番直結してる戦争だ
今日本が抱えている負担はあの敗戦で背負うことになった
重要な内戦は関ヶ原
その後の江戸時代を決定付けた
国内は戦争もほとんどなく自国文化を育めた
反面体格は衰え対外的にも消極的で世界の流れについていけなくなった
源平合戦かな?
関ケ原
戊辰
ミッドウェー
最もってなると悩むなぁ。
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